きつねとかくしごと

湊賀藁友

きつねとかくしごと

 お湯を入れて三分。

 ちょうどよく麺がほぐれたと知らせてくるタイマーを止めて蓋を開けると、もわ、という湯気とともにカップから出てきたつゆに鼻腔をくすぐられて、思わず唾液を飲み込んだ。

 湧きあがる食欲のままに天ぷらを箸で掴み少しふうふうと冷ましてから口の中に入れれば、この数分でしみたつゆとえびの旨味、そして衣の少し柔らかい食感が私の舌を刺激し、私は思わず頬を綻ばせる。そのまま危うく飲み込みそうになったところで慌ててそばを口の中に入れると、その旨味と麺が口の中で解け合い僕の幸せな舌を更に優しい世界で満たしてくれた。


「……本当、いつもいつもおいしそうに食べるわよね。」


 呆れたようにそう告げる莉孤りこは、まだ食べることの出来ない赤いきつねカップうどんを前にぴこぴこと


「だって本当においしいから。莉孤もちょっと食べる?」

「どうせあと二分足らずで私の方も食べられるし、たぬきの方を食べるのはきつねへの冒涜だからいらない。」


 その言葉と共に、先程まで彼女の背後で揺れていた黄金色の美しいしっぽは姿を消してしまった。

 あぁしまった、もう少し見ていたかったのに。



 __彼女は、人間に化けた狐である。


 どうやら本人は隠しているつもりのようだが、よく人間社会に馴染めているなと言えるくらいに頻繁に彼女はその愛らしい狐耳__時にはしっぽすら__をうっかり出してしまっているので、僕からすれば寧ろ気づかない方がおかしいのだ。


 彼女の正体を知ったのは、彼女と付き合いはじめた冬の日だった。

 僕を呼び出し緊張したような表情で告白してきた彼女に「僕でよければよろしく」と微笑むと、ぴこん!と彼女の頭から狐耳が飛び出したのだ。


 思わずぽかんとしてしまったが、真っ赤な顔で「あ、ありがとう……!」とうつむく彼女は僕の動揺に気が付かなかったのだろう。そのまま僕が「あ、うん」と返したのに嬉しそうに、そして照れ臭そうに笑って、先程まではなかったはずのしっぽをゆらゆらと揺らした。


『狐なんかと付き合えるか!!』


 僕の親や友人ならそう言ったのだろうが、僕は不思議と彼女が狐だと知っても嫌悪感は湧かなかった。それどころか恥じらったように耳を伏せ嬉しそうにしっぽを揺らす彼女に、心臓を握りしめられたような心地にすらなってしまった。



 彼女は、どうやら嬉しい時や僕を好きだと思ってくれた時に耳やしっぽが出てしまうらしい。


 例えば今緑のたぬきカップそばを食べていた僕を見て耳を出してしまっていたのは、「いつもおいしそうに食べるわよね」……つまり、食べ物をおいしそうに食べる僕が好きだということである。いや、これだけ聞くと僕が過剰なまでにポジティブなだけに聞こえるだろうが、これは事実なのだ。他の色々な事例から導きだした答えなのだから、僕がナルシストというわけではない。決して。


 と、ピピピピ、という彼女の目の前の赤いきつねが食べ頃だと知らせる音が部屋に響いた。タイマーを止めていそいそと食べる準備をはじめる彼女の目は、心なしかきらきらとしているような気がする。

 彼女は赤いきつねが大好物なのである。狐はおあげが好きだとよく言うが、赤いきつねが好きな理由はおあげがあるからなのかと問いかけたところ「それだけなわけないでしょ!」と好きな理由を数十分に渡りしっかりと説明してくれた。

 話しているうちにテンションが高まってきたらしく耳やしっぽが出てきてしまった彼女の可愛いことと言ったら説明のしようがないし、その後自分が熱くなってしまっていたことに気付き赤面した所なんて可愛すぎて正直誰にも知られたくない。


「いただきます」


 もぐもぐと赤いきつねを食べはじめた彼女は、耳をぴんと立てて頬を綻ばせた。本当に、よく人間社会で生きていけているなぁ。


「……おいしい?」

「…………おいしくなかったら食べないわよ」

「素直じゃないなぁ」


 そんな言い方しなくても、どれだけ好きかは耳としっぽが出てる時点でバレバレなのに。


「……あ、じゃあ僕のことは?」

「!」


 驚いたように食べる手を止めた彼女は、予想していなかった問いに相当動揺しているのだろう。食べ進める手をピタリと止めて目を泳がせた。


「………………す、好きじゃなかったら付き合ってないでしょ」


 そう答えるのでやっとだったのだろう。彼女は(人間体での)耳まで真っ赤にして顔を逸らしてしまった。


「うん、僕も莉孤のこと大好きだよ。一生一緒にいたいくらい好き。」


 少しからかいたくなって、しかし本心からそう言うと、驚くことに『ぼんっ!』という音と共に彼女が煙に包まれた。


 え、えぇ!?


「莉孤!?大丈夫!?」


 思わず立ち上がって彼女の方に近付くと、「来ないで!」という焦ったような声で彼女は怒鳴った。


 ……まさか。


 ふと湧いた予想を確かめるようにそのまま薄れていく煙をじっと見つめていると、煙が消えた先では一匹の可愛らしい狐が耳を押さえてふるふると震えていた。


「……莉孤?」


 まさか、まさか、さっきの言葉が嬉しすぎて変化が完全に解けてしまったということなのだろうか。僕の彼女はどこまで僕を惑わせれば気が済むのだろう。


「…………う、う……ぅ……ひっく……」


 あまりの可愛さにぐらつく精神を必死に落ち着かせていると、彼女は突如泣き出してしまった。

 彼女の嗚咽に、可愛さに支配された脳内は一気に冷静さを取り戻した。


「ど、どうしたの!?」

「……だって、だ、だましてたから、っ、わかれるっていうに、きまって……うぅ~……!!」

「わーっ!別れない!絶対別れないから泣かないで!!」

「うそよ!どうせわかれるっていうもん!」

「別れないから!莉孤が狐だったくらいで別れるなんて言うわけないでしょ!」


知ってたし!


「……ひっく、うっ、えぐっ、……ほんとに……?」

「ほんと!本当だから!」


 訝しげに問いかけてくる彼女を安心させる為にそう即答する。__が、


「………………よかったぁ……!!」


 安心したらしい彼女は、また一気に涙を溢れさせてしまった。


 ■


 結局、彼女は泣き疲れて眠ってしまうその瞬間まで涙を流し続けた。

 ……きっと狐だとバレたら別れることになるとか最悪吹聴されて今の居場所を失うことになるとか、色々考えて随分悩んでいたのだろう。

 そんな彼女に正体が狐であることにはずっと前から気付いていただなんてとても言えなかったが、別れるつもりも言いふらすつもりもないというのが伝わったようで本当によかった。


 僕の隣で狐の姿で眠る彼女を優しく撫でながら、僕は一つため息をついた。


「……しかし、僕の正体が狸ってことは言いそびれちゃったなぁ……」


 まぁ、もう暫くは言わなくてもいいか。


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