毒を食らわば皿まで

さち

毒を食らわば皿まで

 昔々、とある国に立派な武将がおりました。武将は知略に富み、情に厚く、殿様にとても信頼されていました。武将には美しい妻と利発な二人の男の子がおりました。長男は六歳、次男は三歳でした。だれもが羨むような仲睦まじい家族でした。

 しかし、そんな武将を良く思わない者がおりました。その男は戦いにおいては武将に引けを取らぬ猛者でしたが、非情で有名でした。気に入らなければ己の部下でさえ殺すと恐れられていました。男は自分より若いくせに殿様の信頼が厚く部下たちにも慕われ、美しい妻もいる武将が妬ましくて仕方ありませんでした。どうにかして武将を貶めたい男の心は闇を生み、やがて鬼を呼び寄せてしまいました。

 鬼に取り憑かれた男は鬼の力を使って殿様に武将が謀叛を企てているという嘘を信じ込ませました。鬼に魅入られた殿様は男に兵を与えて武将の討伐を命じました。

「ははははっ!これであいつを殺せるぞ!」

討伐の命を受けた男は嬉々として武将の屋敷に夜討ちをかけました。武将はなんとか妻子だけでも逃がそうとしましたが、武将の奮戦虚しく次男は矢に当たって死に、妻は捕らえられそうになったところを自害しました。武将自身も鬼に取り憑かれた男に首をはねられて死にました。たった一人、六歳の長男のみが燃え盛る屋敷から抜け出し、兵士の目を掻い潜って逃げ延びることができました。長男は力尽きて倒れていたところを山寺の和尚に拾われました。

 和尚は戦や病で親を亡くした子供を引き取って育てていました。和尚は助けた長男から事情を聞くと菊利丸という名から菊丸に名をかえさせました。

「おぬしを探して残党狩りが行われているやもしれん。名をかえて、新しい人生を歩むが良い」

和尚は仇討ちなど考えず、穏やかに幸せになることが亡き父母の願いだろうと説きました。菊利丸改め菊丸は和尚の言葉にうなずき、和尚の手伝いをして暮らしました。読み書きができたため寺の子供たちだけでなく近所の村の子供たちにも文字を教え、文の代筆などで銭を稼ぎました。寺の裏は畑になっていたため子供たちとともに土を耕し種をまき、野菜を育てました。慎ましいながらも優しい時間が過ぎていきました。そんな中でも菊丸は剣の稽古はやめませんでした。

「誰かを殺すためではない、みんなを守れるようになりたいのです」

何のために稽古をするのかと聞く和尚に菊丸はまっすぐ答えました。和尚はその言葉にうなずくと、知り合いの剣士に菊丸に稽古をつけてくれるよう頼んでくれました。

 菊丸が寺で暮らして四年。平穏な日常はある日突然壊されてしまいました。菊丸の父を陥れて殺した男はずっと殺し損ねた菊丸を探しており、とうとうその所在を見つけたのです。男は寺ばかりでなく近くの村まで襲って女子供まで皆殺しにしました。和尚は寺の子供たちとともに菊丸を逃がしましたが、一人また一人と追手に捕まって殺されてしまいました。

「菊丸!あそこの洞窟に入れ!」

菊丸と歳が近く、仲が良かった唐丸がよく二人で遊んでいた洞窟にと叫びました。洞窟の中はまるで迷路のように横穴がありましたが、大人が入るには狭すぎるものでした。

「唐丸!お前もこい!」

洞窟の前で足を止めた唐丸に菊丸が手を伸ばします。しかし唐丸は首を振るとにこりと笑いました。その腹には追手が放った矢が深々と刺さっていました。

「毒矢だ。俺はもう助からない。お前だけでも生きてくれ。冥土の土産にお前の名前、俺がもらうな。だからお前は今から唐丸だ」

唐丸はそう言うとくるりと背を向けて追手に向かって走っていきました。菊丸は泣きながらその背を見つめると洞窟の奥に入っていきました。

 いったいどれだけの時間が経ったでしょう。暗い洞窟の中でじっと耐えていた菊丸が外に出ると追手の姿はありませんでした。恐る恐る寺に向かって歩くと、無惨に殺された子供たちの亡骸が打ち捨てられていました。

「ああ…ああああっ!」

震える足で寺につくと、寺は焼け落ちていました。和尚は近くの木に吊るされていました。右腕と左足は千切れ、身体中傷だらけというなんとも惨たらしい姿でした。そして、その木に首のない少年の体が刀で張り付けになっていました。その少年の着物は唐丸のものでした。菊丸は和尚と唐丸の亡骸にすがって泣きました。まるで獣のような慟哭が暗く曇った空に響きました。

 いつまでそうしていたでしょう。冷たい雨が降ってきて、全身ずぶ濡れになった菊丸は折れて捨てられた刀を拾うと和尚を吊っている縄を切って下ろしました。森の中に打ち捨てられていた子供たちの亡骸も集めました。唐丸の体を木に張り付けている刀を抜くのは容易でありませんでしたが、丸一日経った頃にようやく抜くことができました。唐丸の首は持ち去られたのかついに見つけることができませんでした。

 全員の亡骸を焼け落ちた寺の裏に埋め、菊丸は村に行きました。村の様子はまさに地獄絵図のようでした。女たちは乱暴された痕が見てとれ、男や子供、年寄りはなぶり殺しにされたのが明白でした。菊丸は憐れな村人たちの亡骸も全員埋めました。

「おのれ、何度俺の家族を奪うのか…!許さぬ。決して許さぬぞ!」

菊丸は血の涙を流して復讐を誓いました。和尚の教えに背くことになりますが、二度も全てを奪われた菊丸にはもう憎しみしか残っていませんでした。

 その日から菊丸は唐丸と名をかえて各地を放浪しました。とある地で知り合った剣豪は唐丸に剣の才を見出だし弟子にして修行をつけてくれました。十五歳で元服を迎えた唐丸に剣豪は唐哉という名前を与えました。父と親友から一字もらった名前でした。唐哉は丁寧に礼を言って剣豪の元を去りました。さらに各地をさすらい、剣豪と呼ばれる人の元を訪れては勝負を申し込みました。そんな暮らしを続けること五年、唐哉は誰にも負けない剣士になっていました。その間、復讐を忘れたことは一日もありませんでした。唐哉はとうとう、十四年ぶりに生まれ故郷の土を踏みました。

 唐哉の家族を殺した男、幽弦は鬼の力を手にしてもはや殿様でさえ逆らえないほど強くなっていました。少しでも逆らうものは容赦なく殺す男の姿は鬼の影響で醜く、鬼そのもののようになっていました。穏やかな気候だった空は暗雲が立ち込めて晴れることはなく、城下の民たちは幽弦や配下の兵を恐れてひっそりと暮らしていました。

 今にも潰れそうな宿屋に唐哉は入りました。そこの主人はかつて唐哉の父に仕えていた人でした。主人は父親そっくりに成長した唐哉を見ると涙を流して喜びました。

「あなたさまが生きておられた!毎日仏さまに祈ったかいがありました。十年前、あなたさまの首だと晒されたのはあなたさまではないと信じておりました!」

そう言って泣き崩れる主人に唐哉は家族が殺されてからのことを話しました。そして、幽弦に復讐をしたいと言いました。しかし、主人は唐哉が復讐することに反対しました。

「あの男はもはや人間ではありません。あの男は鬼に取り憑かれました。毎夜、若い女や子供を一人喰らうのです。もうこの国に女子供はおりません。怒りをかった者は頭を握り潰されるのです。あなたさまといえど勝てません」

「勝つつもりはない。俺は復讐を糧に生きてきた。もはやまともな暮らしは望んでいない。刺し違えてでも幽弦を殺してみせる」

瞳に復讐の炎を燃やした唐哉の言葉に主人はもう何も言いませんでした。せめてもとなけなしの食材でご馳走を作り、新しい着物をあつらえ、唯一手元に残していた亡き主から賜った刀を差し出しました。

「この刀はお父上から賜った刀です。妖をも斬り伏せると言われた名刀です。きっとあなたさまの悲願を叶えてくれましょう」

「ありがとう。どうかあなたの残りの人生が穏やかなものでありますよう」

唐哉は主人に礼を言うと夜中に宿屋を出て城に向かいました。

 城の門は開け放たれ、門番もいませんでした。幽玄を恐れるあまり誰も近づきませんでしたし、腕試しの余所者が入り込んでも幽玄が気付けば喰ってしまうので何も恐れるものがなかったのです。

 唐哉は父に似た顔を見られぬよう女物の薄布の被って城に入りました。誰より強い剣士であった唐哉ですが、体は細身で薄布を被ると一見女のように見えました。

 城に入ってすぐ兵士に見つかりました。

「女、何している?」

「幽玄の首をいただきに参った」

刀をつきつけた兵士の問いかけに答えた声は、なんと不思議なことに女のものでした。

「女風情が幽玄さまの首を取りにきたのか!?」

兵士は唐哉の答えに笑うと幽玄の元に案内してやると言いました。ちょうど幽玄が喰う女がいなくなって、近くの村に女狩りに行くところだったのです。唐哉はうなずくと兵士について行きました。

 幽玄は奥の広間で女を喰いながら酒を飲んでいました。襖を開けた兵士は腹を裂かれて絶命した女の見開かれた目を見てびくりと体を震わせましたが、そのまま深く頭を下げました。

「幽玄さま、幽玄さまの首をとりにきたという豪気な女を連れて参りました」

「ほう?それは面白い」

幽玄は手にしていた女の腕をバリバリと喰うとニヤリと笑いました。元は大柄であっても普通の人間だったのに、今では幽玄の身の丈はゆうに七尺はあろうかという巨躯になっていました。そして、その頭には醜く捻れた鬼の角が二本生えていました。

「女、この幽玄の首、取れるものなら取ってみろ」

「言ったな?」

唐哉は被っていた薄布を取ると刀を抜いて切っ先を幽玄に向けました。

「男だと!?」

唐哉を連れてきた兵士が唐哉の姿を見て叫びます。唐哉の顔を見た幽玄は先ほどまでの笑みを消して刀を握りました。

「その顔、忌々しいあの男によく似ている。貴様、息子だな?生き長らえていたか」

「ひぃっ」

一歩ずつ唐哉に近づいてくる幽玄を見て兵士は慌てて逃げ出しました。幽玄が負けるとは思っていませんでしたが、相手も人間でないなら巻き添えになりかねないと思ったからです。そう、唐哉の頭にも鬼の角が生えていたのです。

「貴様も俺と同じか。仇と同じ鬼に身を堕とすとは滑稽だな」

「人間の力で殺せないなら同じ力を手に入れるしかない」

唐哉はまっすぐ見据えました。

「いくら鬼の力を手にしたところで貴様は人を喰っていない。そんな貧弱な体で俺を殺せるものか!」

幽玄が刀を振り上げて勢いよく振り下ろします。すると、轟音と共に襖が吹き飛んでいきました。

「俺はお前が殺せればそれでいい」

表情ひとつ変えずに唐哉は刀をかまえました。ゆっくり息を吐くと同時に畳を蹴り、一気に幽玄の首を狙って間合いに入ります。幽玄は後ろに下がって唐哉の刀をよけるとすぐさま攻撃に転じました。


 唐哉と幽玄の戦いは朝方まで続きました。力では幽玄のほうが勝っていましたが、速さでは唐哉のほうが勝っていました。柱は折れ、天井は吹き飛び、二人の周りはまるで竜巻の後のように荒れ果てていました。互いに傷つき血を流し、時間が経つにつれて体格に恵まれた幽玄が勝り始めました。

「ふはははは!貴様の貧弱な体ではここまでのようだな!」

とうとう膝をついた唐哉に幽玄が勝利を確信して笑います。唐哉の首を刎ねようと幽玄が刀を振り上げました。そのまま振り下ろそうとしたところを最後の力を振り絞った唐哉の刀が幽玄の刀を折りました。

ガキィン!

高い音と共に折れた刃が宙を舞い、一瞬の虚を突かれた幽玄の首には唐哉の刀が深々と突き立てられました。

「ガハッ!ぐぅぅっ!」

口からごぼごぼと血を吐きながら幽玄が腕を振り回して暴れます。唐哉は揺さぶられながらも刀を離さず、渾身の力で幽玄の首を刎ねました。

 体から離れた首は宙を舞い、ぼとりと地に落ちました。その顔は驚愕に歪み、目は見開かれていました。

 唐哉は幽玄の首が落ちるのを見届けてその場に倒れ込みました。全身傷だらけで血が流れ、骨も何ヵ所も折れて内臓を傷つけていました。

「はぁ、はぁ…やった…やったぞ…」

仰向けに横たわる唐哉は朝日が昇ってくるのを見て涙を溢れさせました。もう指一本動かせない唐哉の耳に何人もの足音が聞こえます。もう何年も晴れることがなかった暗雲が消え、朝日が昇ったのです。それを見た城下の人々は幽玄が倒されたことを確信し、唐哉を探しに城へやってきました。城にいた兵士たちは幽玄が死んだことでもう戦意を失くしていました。

「唐哉さま!」

唐哉を見つけて駆け寄ったのはかつて唐哉の父に仕えていた宿屋の主人でした。主人はぼろぼろな唐哉を見ると手を握って泣きました。その声に一緒にきた人々も集まってきました。

「唐哉さま、ありがとうございます。あなたのおかげでこの国は救われました」

「俺は何もしていない。俺は、ただ己の復讐を果たしただけだ。そのためだけに鬼と契約した」

「そんな、あなたはわたしたちを確かに救ってくださったのに…」

首を振りながら涙を流す宿屋の主人に唐哉は静かに笑いました。

「復讐しても、死んだ人は返らない。幸せだった頃には戻れない。和尚さまの言うとおりだった。でも、それでも俺は、俺を二度も殺した幽玄が許せなかった。だから、後悔はしていない。たとえ復讐の先に何も残っていなくても…」

唐哉は静かにそう言うとふうっと大きく息を吐き、目を閉じました。そのまま動かなくなった唐哉に人々は涙を流しました。

「人間たち、こいつの体はもらっていくぞ」

いきなり声をかけられた人々は驚いて飛び上がりました。いつの間にか背の高い細身の鬼が唐哉のそばに立っていました。

「こ、この方は我らの恩人です。せめて遺体だけでも丁重に弔いたいのです」

震える声で懇願する宿屋の主人に鬼は首を傾げました。

「駄目だ。これはこいつと我の契約だ。我はこいつに力を貸す代わりに死んだら体を喰うことにしている」

「そんな…」

鬼の言葉に人々は悲しみのあまり項垂れてしまいました。鬼はその様子を黙って見ていましたが、唐哉の髪を掴むと鋭い爪で一房切りました。

「契約は守らねばならん。これで我慢しろ。本当なら魂も喰らいたいところだが、まあ今回は見逃してやろう。輪廻の輪に戻ればいつかまた人間になれるかもな」

鬼はそう言うと唐哉の亡骸を持って姿を消しました。人々は残された一房の髪を丁寧に弔い、塚を建てました。

 人々の力で国は再び豊かになりました。塚は丁寧に管理され、幽玄を倒した唐哉の話は昔話として子供たちに伝えられました。

 復讐の先には何もない。それでも復讐したいと望むなら、自分の命だけでなくその魂も引き換えにしなければならない。その覚悟を持って復讐を遂げるのか、その覚悟を持って新たに生きていく道を選ぶのか、そんな問いかけで昔話は終わるのでした。


 完

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