短編小説『大晦日に食べるもの』

川住河住

短編小説『大晦日に食べるもの』


「さむっ」

 暖房がきいたコンビニから一歩外に出た途端、冬の夜風が容赦なく体温を奪っていく。

 マスクをしていても尖った冷気が顔を刺してくるかのようだった。

 買い物を終えたばかりだけど、店内に戻ろうか。

 缶コーヒーか肉まんで温まりたくなってきた。

 いやでも、そんなことしている時間は……。

 スマホにメッセージが届いたことを知らせる電子音が鳴った。

 かじかんだ手でなんとか操作して確認する。


『買えた?』


 絵文字もスタンプもない用件のみを伝える簡素な内容。

 いつものこととはいえ、あまりのタイミングの良さに笑いそうになった。

 どこかに隠れてこちらの様子を見ているんじゃないかとさえ思ってしまう。


『買えました』


 返事を送ってからコンビニに背を向けてすぐに歩き出す。

 空気は冷たいままで風も弱まる気配がなく、マスクからもれる息は白く染まっていく。

 あまりの寒さに体の震えが止まらない。

 けれど心は別の意味で落ち着かなかった。

 手に持ったレジ袋の中をのぞき込むと、赤と緑のパッケージのカップ麺が入っている。

 マスクの下にある顔に笑みがこぼれ、不思議と心は温かくなったような気がした。




 鉛色なまりいろの空の下を歩き続けてあの人の住むマンションにたどり着いた。

 明かりのついている5階の角部屋に視線を向けると、ベランダでなにか動いた。

「あれ?」

 目を凝らして見るとなにもいなかった。

 人影のようにも見えたけれど、たぶん気のせいだろう。

 寒がりでめんどくさがりのあの人が冬の夜にベランダへ出るわけがない。

 早く会いたい気持ちが見せた幻覚かもしれない。そう思ったら恥ずかしくて顔が熱くなった。

 急いでマンションのエレベーターに乗り込んで5階へ上がっていく。

 強風が吹き荒れる廊下を歩いて角部屋の前まで来ると深呼吸を一つ。

「ふう」

 もう何度も来ている場所なのに、未だに緊張と不安で鼓動が速くなる。

 チャイムを鳴らして少し待つと、鍵が解かれてゆっくりと扉が開いていく。

 その先には、いつもと変わらないあの人の姿があった。

「おじゃまします」

 いつものように声をかけて玄関先で靴を脱ぐ。

「いらっしゃい」

 あの人もいつもと同じ言葉を返してくれる。

 どこか不満そうな表情と沈んだ声もいつものことだった。

 寝起きなのか。それとも仕事で嫌なことでもあったのか。どちらだろう。

 いつもなら愚痴や不満を聞いてあげるけれど、今日だけは必要ないだろう。

 なぜなら大晦日おおみそかは、辛いことも悲しいこともすべて忘れて年を越す日だから。

 室内はエアコンの暖房がしっかりときいていた。

 冷えた体に少しずつ温もりが与えられ、指先の震えも収まっていくのがわかる。

 部屋の中央にはこたつが置かれていて、みかんが盛られたカゴも載っている。あとは猫でもいれば完璧なんだろうけど、残念ながらこのマンションはペット不可だ。

「先に手洗いうがい」

「はーい」

 洗面所へおもむくと、色違いの歯ブラシが二本置かれていることに気づいた。

 この時ばかりは、マスクをしていてよかった、と心から思った。

 きっと鏡には、他人には見せられない顔が映っていただろうから。



 

 洗面所から戻ってくると、こたつの上には黒猫の絵柄のカップが置かれていた。カップからは、柔らかな湯気と甘い匂いが混ざり合うように漂っている。

「熱いから気をつけて」

 コタツに入ってスマホをいじっているあの人が言う。

「いただきます」

 反対側に座ってからカップを口元に持ってきて傾ける。

 寒さを忘れさせるほどの熱と優しい甘みが口いっぱいに広がり、おなかの底からじんわりと温まっていく。

 冷めないうちに何度もカップに口を付けていたら、いつの間にか一滴残らず飲み干していた。

「ごちそうさまでした。じゃあ、そろそろ……」

 コンビニで買ってきたカップ麺をこたつの上に置く。

 一つは赤いきつね。もう一つは緑のたぬき。

 いっしょに年を越すために欠かせないもの。

「用意してくる」

 あの人は、お湯を沸かすためにこたつを出てキッチンへ向かう。

 お湯が沸く前にこちらも準備を整えておこう。

 赤いきつねの透明なフィルムを破いてフタを半分ほどはがしてから銀色の袋を取り出す。袋の左側だけを破って粉末スープを容器に入れて、右側の七味唐辛子は入れないように気をつける。あの人は辛いものが苦手だから。

 緑のたぬきも同じようにフタをはがして銀色の袋と天ぷらを取り出す。こちらには粉末スープと七味唐辛子をいっしょに入れた。

 それから天ぷらを2つに割って片方を容器の中に戻し、もう片方はフタの上に置いておく。

 赤いきつねは熱湯5分。緑のたぬきは熱湯3分。

 それなら……。




「湧いたよ」

 スマホのタイマーを起動させているところにあの人が電気ケトルを持ってきてくれた。もう片方の手には、二人分の色違いの箸が握られている。

 赤いきつねに熱湯を注いでいくと、湯気といっしょにだしのいい香りが昇ってくる。

 湯気と香りを閉じ込めるようにフタを閉め、5分でセットしたタイマーをスタートさせる。

 まだ熱湯が入っているケトルは、こたつの上に置いておこう。

「冷めるよ?」

 なぜ緑のたぬきには熱湯を注がないのか、とあの人が聞いてくる。

「猫舌なので」

 適当にごまかして近況を報告する。

「卒業論文、無事に提出できました」

「お疲れさま」

「あとは、来年の審査会に通れば卒業です」

「あの完成度なら大丈夫だよ」

「そう言ってもらえてホッとします」

 スマホの画面には残り4分と表示されている。

「これも手伝ってくれた先輩のおかげです」

「大げさだよ」

「正直、卒業して忙しく働いてる先輩に頼るのは申し訳なかったんですけど」

「べつに気にしてないよ」

「ありがとうございます。本当に助かりました」

 深々と頭を下げて感謝の気持ちを伝える。

 いつの間にかスマホの画面に表示されたタイマーが残り3分となっていた。

 あわててケトルに残っていたお湯を緑のたぬきに注ぐと、湯気とだしの香りがうっすら立ちのぼった。

「優しいね」

「はあ」

 なにを言っているのかわからないふりをして首をかしげて見せた。

 けれどあの人は、それさえもお見通しといった風な視線を送ってくる。




「こうしていっしょに年を越すのも4回目だね」

「赤いきつねと緑のたぬきをいっしょに食べるのも4回目ですね」

「いや、もっと食べてるでしょ」

 こちらのくだらない冗談に対してあの人は珍しく笑顔を見せてくれた。

 スマホ画面に表示されたタイマーは残り2分となる。

「大晦日にうどんって邪道かもしれないけど、やっぱり好きなんだ」

「いいじゃないですか。好きなものを食べて年を越せるのは幸せなことですよ」

「そのうえ好きな人といっしょに食べられるのはもっと幸せなことだね」

 いつもなら絶対に言わないことを平然と言うのでこちらの調子がどんどん崩される。

 正確に時間を刻み続けていたスマホのタイマーは、いよいよ1分を切ろうとしていた。

「今年一年、先輩にはお世話になりました。ありがとうございます」

「こちらこそありがとう。君の優しさには助けてもらってばかりだよ」

 こたつを挟んで向かい合ったまま互いに頭を下げてお礼を述べる。

 スマホのタイマーが甲高い電子音を鳴らして5分経ったことを知らせてきた。

「さ、食べようか」

「はい。いただきます」

 いっしょに両手を合わせてからフタをはがしていく。

 だしといっしょに甘じょっぱいおあげの匂いと香ばしい天ぷらの匂いが室内に満ちていく。

 細く縮れたそばをすすって一気に喉に流し込む。だしをたっぷり吸って柔らかくなった天ぷらは、口の中に入れただけでほろほろと崩れていった。

「おいしい」

 自分が思っていたことを目の前に座っているあの人が代弁するように言葉を発した。

「おいしいですね」

 共感するように言葉を返すと、あの人はおあげをくわえたまま小さくうなずいた。

 フタの上に載せておいた半分の天ぷらを汁にひたしてやる。だしを吸って程良い硬さになった天ぷらにかじりつくと、サクッといい音がした。

「来年の春にマンションの更新があるんだけど、引っ越そうと思ってるんだよね」

 意外だ。

 引っ越しが面倒だからという理由で学生時代から住んでいるマンションにいたのに。

 それからあの人は、真剣な表情で問いかけてきた。

「もしよかったら、いっしょに住まない?」

 あまりに急だったので反応できなかった。

 だがすぐに首を縦に振る。何度も大きく。

「よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

 スマホを見ると、いつの間にか新しい年を迎えていた。


 了

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短編小説『大晦日に食べるもの』 川住河住 @lalala-lucy

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