第38話 まずは話し合いから

 さて、適当な場所に敷き布を敷き、藍華はさっそく即席茶会の準備を始めた。野営慣れしている騎士団である。炎を呼び出す魔法陣付きの魔石も湯沸かし用のケトルも荷物に入っているのだから、地球でのキャンプくらいには快適だったりする。


 さて、お湯を沸かしお茶を淹れ、ブラウニーを配り終わったところで藍華は「それでは皆さんご一緒に、いただきます」と給食係のような文言を口にする。


「いただきます」

「……ます?」


 クレイドに続いてポチも同じく返事を返してくれ、一同ブラウニーをぱくりと頬張った。


「アイカの作った菓子はうまいな」

「えへへ。最近自分でもお菓子作りが慣れてきたなって思います」


 褒められれば嬉しくなる単純仕様である。

 ポチはむしゃむしゃと三口ほどでブラウニーを食べ終え、無遠慮にもう一つ手づかみする。気に入ってくれたようだ。そしてクレイドも負けじともう一つを手に取った。

 男二人ブラウニーを無言で食べている。


(さて、場も温まったことだし、そろそろ本題)

 藍華はこっそり覚悟を決め、お茶で喉を潤した。


「ポチさん、彼がこの国の第二王子クレイド殿下です。って、これは前回村で言いましたよね」

「……」

 突如話始めた藍華を、ポチはちらりと見た。


「クレイドさん、ポチさんです。ポチというのはわたしが名付けた仮の名前です。実は彼、黒竜です」

「そうか、ポチは仮の名前で本当の名前は黒竜……ん? 黒竜……?」


 藍華の言葉を朗らかに復唱していた彼は途中で色々と大変なことに気がつき、そして驚愕の表情でポチに視線をやる。


「なっ……まさか!」

「いえ、マジです」


 藍華の態度から冗談でもなんでもないことを理解したのだろう。彼は立ち上がり、剣の柄に手をかける。


「クレイドさん、だめです。今日は話し合いがしたくてここまで来てもらったんです」

「だが!」


「双方とも言い分があるのは分かっています。だって、わたし二人から話を聞きました。どちらもお互いを本気で殺そうとしていたのも分かっています。これは、わたしのわがままです。クレイドさん、少しだけ付き合ってください」


 藍華も同じように立ち上がり、クレイドの件の柄に、正確には彼の手に自信の両手を重ねた。話し合いが難しいことくらい藍華にだって分かっている。互いに色々と割り切れないことだってあるだろう。でも、それでも。藍華は一方的に黒竜を排除したいとは思えないのだ。


「ポチさんは、わたしが何をしたいのか分かっていて、こうして出て来てくれたんですよね?」

「……ふん」


 ポチの目を見て確認するように口を開けば、彼は面白くなさそうに鼻を鳴らしただけだったが、否定の言葉を吐かないということは、そういうことだ。


「黒竜のことをちゃんと知れば、相互理解はできると思います」

「だがどうやって?」

 ポチが短く吐き捨てた。


「それは、ええと。わたしに話した通りに、順序を追って説明すれば」

「主は異世界人だ。だからこそ我の声に耳を傾けた。だが、この世界の人間は無理だ。こやつらは長い歴史の中で黒竜に対する価値観をすっかり固めてしまった」


「そんなことないです。クレイドさんは異世界から来たわたしのことだってちゃんと受け入れてくれました。とっても懐の深い人です。確かに、ポチさんはクレイドさんに酷いことをしました。でも、クレイドさんもポチさんを本気で倒そうとしたので……これは喧嘩両成敗と言いますが、まあ難しい問題ではあるんですが……」


 藍華は二人の顔を交互に見ながら言い募る。


「でも、この世界でも戦争をしていた国と和平を結ぶことだってありますよね? 対話の機会が全くないだなんて、そんなことないですよね?」

「……それは、まあ」

 クレイドの目を見て必死に訴えると、彼は最後には頷いた。


「わたしは、クレイドさんは話せばわかってくれると思います」

 真摯に言い募れば、彼は数秒後「うっ……」と息を漏らした。そして最終的にはこくりと小さく頷いた。


「まずは話だけだ。アイカの必死さに免じてだな。……対話は必要だ」

「ありがとうございます!」


 嬉しくって満面の笑みを浮かべるとクレイドは、やれやれと言った面持ちでもう一度息を吐いた。


「というわけでポチさん。クレイドさんに世界の真実を話して差し上げてください」

「主よ……、それを人は丸投げと言うのではないか?」

 ポチが半眼になった。


「こういうのは直接本人が話したほうがいいと思って」


 藍華が言い訳すると、ポチはもう一度嘆息して、それから考え込むように黙り込んだ。藍華はクレイドを促して、その場にもう一度着席する。


「……信じるかどうかは、そこの男次第だが……。まあいいか。手を出せ」

「手……?」

 ポチは藍華とクレイドに手のひらを押し出した。


「主と我は想いを共鳴できる。ということは、我の記憶を主に見せて、主がそこの男と手をつなげば、彼もまた我の記憶を共有できるのではないかと思った」

「なるほど、なんとなく言いたいことが理解できました!」


 ケーブルを使って機械同士を繋げるとかそういうことだろう。上手くいくかは分からないが、やってみる価値はある。じゃあ、と藍華はクレイドに手を差し出した。ついでにポチにも。


 すると、クレイドが何か言いたそうにポチに視線を投げた。それに気がついたポチはにやりと笑った。


「ふむ。若いな」


 クレイドが憮然とした表情を作った直後、ポチの体が霞がかる。黒い靄が晴れれば、そこには可愛いカピバラがいた。


「おおお、その姿久しぶり」

「なんだ、この珍妙な顔の動物は」


「何を隠そう、わたしの世界では超絶人気の癒し系動物、カピバラです」


 なぜだか藍華が胸を張る。この可愛さをクレイドにも知ってもらいたい。温泉に入るカピバラは本当に愛らしいのだ。そのうちポチにも入ってもらいたい。

 おすわりしたポチ(カピバラ)がぽんと前足をあげ、藍華の手のひらにそれをおいた。まさかのお手である。藍華は無言で悶絶した。


「……何をしておる?」

「いえいえ」


 頬が蕩けそうになるところを必死に我慢して真面目な声と顔を作ったところで、何かのイメージが流れ込んできた。

 ポチの記憶と知識なのだと、頭の奥深くが理解する。先日彼が話してくれたことが、断片的に、そして的確に視覚として脳内に映し出される。


 それは彼の持つ、黒竜が知る世界の心理。

 はじめはこの世界の人間に託されていた命の結晶。だが、時が流れるにつれ、命の結晶は悪用されるようになった。黒竜を使役しようと、魔力を己がものにしようと。人間たちの中には邪な願いを持つ者もいた。


 女神はいつの頃か、気まぐれに呼ぶ異世界の人間に命の結晶を託してみようかと考えた。

 そうして女神の客人は黒竜の代替わりの際にも呼ばれることになった。


(え、それ以外にも気まぐれで呼んでるんだ……。なんて適当)


 流れ込む記憶の中で藍華は思わず突っ込んでしまった。

 歴史の中で、人間たちは黒竜を恐れ、いつしか彼らに対して悪いイメージを持つようになった。本当は、彼らが魔素の調整をしてくれているのにも関わらず。


 時間にしてどのくらいだったのだろう。

 ポチが藍華の手のひらの上から前足を浮かせた。

 膨大な知識を植え付けられたため、受験勉強に励んでいた時のような疲労感に襲われる。


「……クレイドさんにも見えました?」

「……ああ」


 彼はじっと自分の手のひらに目線を落としている。その声はどこかぼんやりと、世界の狭間を彷徨っているようなものにも聞こえた。


 しばらくの間三人は黙り込んだままだった。

 お茶がすっかり冷えてしまった。もう一杯淹れようか。魔石を使いお湯を沸かして、新しい茶葉を取り出したところで、クレイドが顔を上げた。


「板チョコ、食べます?」

「もらおう」


 ごそごそとポケットから取り出したそれをクレイドに手渡した。すると横から別の手が伸びてきた。ポチである。いつの間にか人型に戻っている。

 三人で板チョコを分け合い、お茶を飲み、ふうっと一息。


「……ポチ殿が見せたものが世界の理なのだろう。未だに信じがたいが……」

「信じてくれて嬉しいです」

「だが。私一人を納得させても解決しない。国民は黒竜に対して恐れを抱いている。多くの人々の意識を変えるには、私一人の言葉など残念だが、小さすぎる」

「……それは確かに」


 藍華も眉根を寄せて黙り込む。少数派の意見というのは埋もれやすいし、下手をすればこちらが黒竜に惑わされていると糾弾されることにもなりかねない。一日で価値観が変われば争いなど起こらない。


「じゃあどうしたら……」

「まずは、裏付けだ」

「裏付け?」


「ああ。魔法使いたちに今の話をする。父上にも話をしなければならない。ポチ殿は私以外の人間と話し合うつもりはあるのか? 数か月前には互いに殺し合いをした仲だ。私はおまえに死の呪いをかけられた。アイカがいなければ呪われたままだった」


 低い声に、彼がまだ割り切れていないことが察せられた。おそらく警戒心もあるのだろう。


「おまえたちだとて私を殺そうとしてきた」

「……そうだな」

「だが、黒竜は本来無益な殺生は好まない。あのときは、少々大人げなかった。若いころの思い出の土地から一方的に出て行けと言われて気が立った」


「……それは、すまなかった。話し合いを拒絶した人間側にも非があった」

「だが、これから話し合いをするのだろう?」

「そうだな」

 クレイドが右手を差し出した。


「懐かしいな。はるか昔、友と躱した」


 ポチが目を細めたから、クレイドが目を見張る。


「ポチさんは大昔、まだ若いころ、人間のお友達がいたそうです。そして、そのお友達がこの近くに住んでいたそうで。彼は余生を、友だちとの思い出の土地で過ごしたかったそうです」


「な、余計なことまで言うでない」

「こういうことが相互理解に役立つと思いますよ?」


 藍華が言い添えれば、ポチの褐色の頬がうっすら赤く染まった。藍華とポチの気安いやり取りに、クレイドが呆気にとられた様にため息を吐いた。


「たしかに、そういう話を聞かされれば、親近感が湧くな」

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