第37話 托卵は重すぎなんです!
突然にこの世界の根幹にかかわることを聞かされた藍華の頭はオーバーヒート気味だ。
(これ……どうしよう)
まさか托卵されるとは思わなかった。カッコウの卵の方が断然に気楽である。託されたのは黒竜の卵……ではなく生命の結晶。
(重い……。重すぎる)
はあ、とため息が漏れてしまうの仕方がない。
そして、村の雰囲気も重くなりつつある。
リウハルド伯爵はあれから粘り強く村に滞在している。彼と一緒の魔法使いマールブレンも一緒だ。グランヴィル騎士団たちを信用していなかった伯爵は村に入った翌日さっそく意気揚々と山に分け入った。
黒竜なぞすぐに見つかるわ、と豪語していたのに四日経過した昨日も不発。彼の機嫌は日に日に悪くなっていく。
(ポチ……じゃない、黒竜は静かに暮らしたいんだ。そうだよね。誰だって余生は静かにのんびりとしたいよね)
しかも次世代を託すという一大イベントまで終えた。押し付けられた藍華は未だに事情を呑み込めないが、黒竜からしたらやり切った感満載だろう。勝手にフェードアウトしないでほしいと思うのは仕方がない。
だが、黒竜の存在意義を一人で抱えるのは重い。重すぎる。
「はあ……」
村の外の野原を前に体育座りしながらぼんやり景色を眺めていると、頭上に影が差した。
「アイカ」
「クレイドさん!」
彼は藍華の隣に腰と落とした。
「この数日、元気がないな。ぼんやりして、ため息ばかり吐いている」
「すみません」
人前では気を付けているつもりだった。上の空になっている時間の方が長かったのだろう。藍華は一人で反省する。
「アイカには窮屈な思いをさせているな。すまない」
「いえ。別に今の生活が嫌とかじゃなくてですね! ちょっと色々と重すぎる事情が……いえ、その」
最後はごにょごにょと言葉を濁した。
クレイドは藍華をじっと見つめている。その瞳の中にはこちらを心配する色がある。
「アイカ、何かあったのなら、遠慮なく言ってほしい。きみは言葉を呑み込むだろう? 異世界にたった一人で呼ばれて、心の負担がないはずないのに、最初部屋に引き籠っていたのが嘘のように元気になった。無理をしていないか、心配なんだ」
「クレイドさん……」
温かで優しい言葉に胸の底がじんわりと熱くなった。彼だってたくさんのものを抱えているのに、いつも藍華のことを気遣ってくれる。
「私では頼りにならないか? うまい菓子を作ることはできないが、練習次第では私だって伸びしろはあると思うんだ」
「クレイドさんがお菓子作りですか?」
目をぱちくりとさせた。王子様がお菓子作り。でも、ちょっと似合うかもと思ってしまう。
「そうしたら、聖女印じゃなくて、王室印にしましょうね。案外流行るかも」
「そうだな。リタに作戦を練ってもらおう。きっと嬉々として取り掛かると思う」
「それ絶対に楽しいやつですね!」
くすくすと笑い合うと元気になってきた。
他愛もない話をするのが楽しくて、その相手がクレイドだということが嬉しい。
彼は柔軟な思考の持ち主だと思う。だって、この世界の序列は日本のそれよりもずっと厳しい。本来王子様であるクレイドはお菓子作りなんてする必要もないし、そういう発想だって出てこないはず。
藍華のことを心配してくる彼になら。
クレイドなら話し合いに応じてくれるのではないか。黒竜に居場所を提供してくれるのではないか。リウハルド伯爵との橋渡し役を担ってくれるのではないか。
藍華はたくさんのことを考えた。
「あのですね……。わたし、クレイドさんにお伝えしたいことがあって」
何をどう説明するべきなのか、まだまとまらない。
目線を彷徨わせつつ切り出した藍華を、彼はまっすぐ根気強く見守ってくれている。
「ちょっと、ここではあれなので……。もう少し人気のない場所でわたしの話を聞いてもらいたいんですが、大丈夫でしょうか?」
真剣な声を出すと、クレイドは数秒真顔のまま固まり、我に返ったように「わかった」と答えた。
藍華はものすごくホッとした。
じゃあすぐにでも、と立ち上がりかけると「団長~」と少し離れたところから声が聞こえた。クレイドを呼びに来たのだろう。彼は忙しいのだ。
クレイドは立ち上がり「悪い、後で聞く」と詫びて呼びに来た騎士の元へ走り出す。
(よし、ちゃんと頭の中で伝えることをまとめておこう)
藍華はクレイドを見送りながら言いたいことを整理し始めた。
翌日、藍華はチョコレートを使ってブラウニーを作り始めた。徐々にお菓子作りにも慣れてきたのだ。寝泊まりしている教会に厨房はないため、村長の家での作業だ。
「いやあ、聖女様手製のチョコレート菓子を食べられるとは。長生きしそうですなあ」
リウハルド伯爵がちゃっかりつまみ食いをするのも予想の範囲内だ。多めに作ったため、けちけちするものでもないが、リタたちへの差し入れ分まで食べられたらかなわないので、「みんなへの差し入れなんです」と大きな声で言っておいた。
そして藍華は粗熱の取れたブラウニーを包んでバスケットに入れ、クレイドとの待ち合わせ場所に向かった。
昨日勢いでそのまま色々なことを話しそうになったが、時間を置いてよかった。
そのおかげでお茶菓子を用意することができた。
「お待たせしました、クレイドさん」
「いや、私も今来たところだ」
片手を上げる彼の爽やかさに思わず照れてしまう。
(って、何浮かれそうになっているの。今日は大切な話があるんだから!)
よし、と内心叱咤する。今日はこれから大事なお話があるのだ。
「それで、話というのは……?」
クレイドにしては歯切れがよくない。それどころかいつもは目を合わせてくれるのに、今日に限って視線を外している。
「あ、このあと何か会議がありますか? 少しお時間をいただきたい案件だったので、もしも今日がだめなら日を改めてということに――」
「いや。そんなことはない!」
尻すぼみになったところでクレイドが勢いよく声を被せてきた。
「よかった。では、人気のないところに行きましょう」
「人気のない……?」
「具体的にはこの山の中ですね。あ、変な草むらに入ると狩り用の罠が仕掛けてあるのでお気をつけて」
村の外を指さしながら藍華はいつもの声の調子でクレイドを案内する。
クレイドはなぜだか顔を赤くして黙り込んでしまい、少々不思議に思ったのだが、緊張していたせいでまったく気がつかなかった。
村を出ていつものように山に入る。クレイドと二人きりだ。
なだらかな坂道を上ることにもだいぶ慣れてきた。地元民のみが使っていた細い道は黒竜討伐隊がこの地に逗留するようになり、少しだけ道幅を広くした。
途中にはまとまった人数が野営できるようにと、開墾された広場も作られた。
それなりに歩いた後、藍華は「よし」と意気込み息を吸った。
「ポチさーんっ!」
大きな声でそう呼ぶと、隣のクレイドがぎょっと目を見開いた。
あたりはシーンとしている。それはそうか。一回で出てくるとは藍華も思っていない。
「ポチさーんっ! お菓子作ってきました。一緒に食べませんかぁぁ!」
今度はもので釣る作戦である。
声が鳴りやんでもあたりに変化はない。時折鳥が鳴き、風が木々を揺らす音が聞こえる程度。いたって平和な光景である。
「アイカ、ポチというのは一体……?」
そろりとクレイドが尋ねてきた。
「あ、ポチさんというのはですね。ええと、まあ……なんていうか。会ってからのお楽しみ的な?」
さすがにここでネタばらしするわけにはいかない。今日のテーマはお互いを知って友好関係を築こうだからだ。そういうわけで藍華は曖昧な微笑みで言葉を濁し、彼をさくっと放っておく形で目を閉じ、念を込める。
この前、ポチ(黒竜)は言っていた。なぜだか彼は藍華の思考の一部を読めるらしい。それって要するにテレパシー? と藍華は考えた。
だから、山の中で呼びかければ出てきてくれると思うのだ。そもそも、人に子育てを丸投げするとは(決して子育てではない。彼が託したのは生命の結晶だ)一体どういう了見か。亭主関白にもほどがあるのではないか(そもそも藍華は独身である)。令和の時代なのだからそんな価値観さっさと捨ててこい。
というようなことが頭の中にもぞもぞと浮かび上がり、目を閉じていても分かるほどに瞼がぴくぴくと動き始める。
さて、藍華の内心生まれた微妙な苛立ちを感じ取ったのか。ざわりと草が揺れる音がした。
「……来たぞ」
「ポチさん!」
今日も相変わらず黒づくめな衣装のイケオジ姿のポチ(黒竜)が現れた。
藍華が嬉しさで笑い顔になったのとは反対に、彼は完全なる仏頂面である。
「アイカ、彼は先日の……旅立ったのではなかったのか?」
一方のクレイドが訝しげな声を出した。
「今日のもう一人のお茶会のゲストです。ええと、立ち話もなんなので、お菓子食べませんか?」
藍華は二人に向かってバスケットを掲げてみせた。
男二人は黙ったまま、互いの出方を伺い、最終的にはゆっくりと頷いたのだった。
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