アイビーの蔓に囚われて

ジーノ

『親友』

アイビーの蔦に囚われて

 いつからだろう、彼女と正面から向き合うことが苦しくなったのは。

 小学生の頃は、胸を張って最高の「親友」と言うことができた。どんな時も、いつまでもずっといっしょだと思っていた。

 しかし中学生になって、気づいてしまった。

 私の恋愛対象が女の子だということに。

 私の初恋の相手は親友だということに。


 抱えきれない思いを持て余しながらも、私は「彼女も私に恋をしてくれるのでは?」なんて希望を捨てきれなかった。

 しかし、何気ない会話の中で、満面の笑みを浮かべて彼女は言った


「もしお互い彼氏ができたら、祐奈ちゃんと、祐奈ちゃんの彼氏とダブルデートがしたいな!」


 彼女の恋愛対象は、男の子だった。私はその時、上手く笑えていただろうか。


 その後も恋愛の話になる度に、心臓が締め付けられた。彼女が好みのタイプの話をする度に性という超えられない壁を実感し泣きたくなった。彼女が理想のデートを語る度に、その隣に自分が立てないことに絶望した。

 辛く、苦しく、切なく、痛かった。

 私の心は、気づけばボロボロになっていた。

 もう、これ以上、この荒れ狂う恋心を抱え続けることはできなかった。

 限界を迎え、彼女にこの想いが露呈する日は、そう遠くないと感じた。


 だから私は、彼の恋路を手伝った。彼女に恋人ができれば、この想いを捨てられると思いたくて。例え半身が引き千切られるような思いをしても、その傷もいつか癒えるだろうと信じたくて。彼女の視線を、情欲を宿した瞳から逸らしたくて。


 そして今日、彼女は彼に告白される。

 きっと彼女は、その告白を受け入れるだろう。彼女が持つ恋人への理想は、極めて高かった。故に、彼女はこれまで何度も告白を受けたが、恋人ができることもなかった。

 しかしそれも、今日で終わりだ。過去に彼女が語ったタイプに、彼は恐ろしいほどに一致していた。きっとこんな相手のことを「運命の人」なんて呼ぶのだろう。

 だからこそ、私は彼を手伝った。親友を汚そうとする、この穢らわしい想いにトドメを刺してくれると信じて。



***



 窓の外から楽しげな声が聞こえる。今日は文化祭だった。今は後夜祭のキャンプファイヤーが行われている時間だろうか。

 誰もいない、資料室に入り込む。ここなら誰も来ないはずだ。学校に残っている殆どの人は後夜祭を楽しんでいるのだろうし、そうでない少数も教室でだべっているのだろう。


 こんな場所で、一人ぼっちになりたくて、蹲っている自分がひどく惨めに思えて、視界が滲んできた。告白を見届けるほどの勇気もなく、学校を後にするほど割り切れてもいない自分が腹立たしかった。


 だけどそんな思いも今日で終わる。きっと傷はすぐには癒えないだろう。汚い傷口は何度も膿んで、傷跡が残るかも知らない。しかしそれでも、いつか傷が塞がると信じたかった。正面から、胸を張って彼女を「親友」と呼べる日が再び来ると願っていた。


 その為には、一度距離を置こう。私たちは出会ってからあまりにも一緒に居すぎた。彼女と離れ、彼女以外の友人を作り、彼女以外の人と恋をする。時間はかかるかもしれないけど、そうすれば私は彼女の隣に立てると思った。恋人にはなれなくても、「親友」としてその場に居られるはずだ。もしかしたら、今度は男の子を好きになって、彼女とダブルデートができるかもしれない。


 そんなことをとりとめもなく考えていると、入り口の扉が大きな音を立てながら開いた。


「――祐奈ちゃんっ!!」


 綺麗な茶髪を振り乱しながら教室に入ってきたのは私の思い人――優香だった。

 いつも浮かべている柔らかな笑顔はなく、その顔はひどく強張っていた。

 私の大好きな穏やかな瞳は、鋭く尖っていた。


「ど、どうしたの優香、告白は?」


 困惑し、尋ねることしかできなかった。優香がここにきた理由も、こんなに怒っている理由も、全くわからなかった。


「直人くんのことなら、さっき今断ってきたよ」

「な、なんで!?どうして!?」


 納得がいかなかった。彼――直人くん以上に優香の理想に叶う人は、この学校にはいない。顔が良くて、背が高くて、頭が良くて、お金持ちで、優しくて…

 誰もが羨む王子様。正に優香の理想の人。なんで彼からの告白をことわっ―


「ねぇ、祐奈ちゃん」

「な、なに?」


 思考を打ち切るように声をかけられた。先程から気が動転して、満足に受け答えもできていない。


「どうして直人くんの告白を手伝ったの?」

「…だって、直人くんは、前に優香が言ってた理想のタイプそのもので……」


 本当の理由でもないけど、決して嘘でもなかった。彼は優香の理想そのものだったはずだ。彼と優香が結ばれるのであれば、無理矢理にでも納得したと思い込めるはずだった。


「うん、その通りだね。でも――」

「もし、私が告白を受け入れていたら、祐奈ちゃんはどうするつもりだったの?」


 正面から見据えられ、息が詰まった。いつの間にか壁際にまで追い詰められていた。


「ど、どうするもこうするも。もちろんお祝いして、そうしたら私も頑張って彼氏を作ろうって―」

「それで、そうやって自分の気持ちを押し殺して私から離れていくの?」

「――っ」

「私が祐奈ちゃんの気持ちに気づいてないとでも思ったの?」


 確信を持ったのは最近だったけど、と優香は呟く。


「それで、どうして私のことが好きなのに私から離れようとするの?」

「だ、だって、優香は同性愛者じゃなくて、こんな思い向けられても迷惑で―」

「確かに、私はレズビアンでもバイセクシャルでも無いよ。正直祐奈ちゃんの気持ちに気づいたときには戸惑ったし、今も祐奈ちゃんとそういうことができるかなんてわからない、でもね」

「私は、祐奈ちゃんにとって、恋人になれないだけで離れていく程度の親友だったの?祐奈ちゃんから見た私は、大好きな親友の想いに向き合えない程の薄情者に見えたの?」


 血が出るほどに唇を噛み締めながら、溢れんばかりの涙を瞳に貯めながら、優香は言った。

 だけど、優香は誤解している。確かに、一度離れてみようかとは考えていた。でもそれは一時的なもので、いつか「親友」として胸を張って隣に立てるようになったらまた戻ってこようと思っていた。優香に思いを告げることができなかったのは、それで「親友」の関係が壊れるのが怖かったからだ。それを伝えようと思って、


「ねえ、優香、話を聞いて」

「聞かなくてもわかるよ、一度離れても戻って来るって言いたいんでしょ。でも、私は1日でも、1時間でも、1分でも祐奈ちゃんと居る時間を減らしたく無いの。親友との時間を大切にしたいの。多分、直人くんはそれを認めてくれる人だった。でも、祐奈ちゃんから離れていっちゃうんだったら意味がないの。祐奈ちゃんが居なくなるんだったら、彼氏なんて要らない。思いを告げなかったのだって、親友の関係が壊れるのが怖かったっていうんでしょ。私は、祐奈ちゃんの想いに気がついてからどうやったらずっと一緒にいられるのか考えてきたんだよ。告白されたら受け入れるのか、断るのか、断るんだったらどう断るのか、考えて夜も寝られなかった。他の人からの告白なんて、祐奈ちゃんと向き合うまで絶対に受け入れる気なんてなかった。なのに祐奈ちゃんは、私が悩んでいる間に私を遠ざけようとしていた。今日直人くんに告白されてやっと気づいたよ。祐奈ちゃんは私のことを想っていてくれているのに、わたしから逃げようとしているって。祐奈ちゃんは、好きな人として私のことを想ってくれているんだろうけど、私が祐奈ちゃんを想っているほど、祐奈ちゃんは私のことを親友だと思ってないんだって」


 思わず、息を飲んだ。ただただ圧倒されていた。知らなかった。優香が私との時間をそこまで大事にしていたなんて、優香が「親友」としてここまで私を想ってくれていたなんて。


――愛しい人にここまで想われていたという事実に、どうしようもなく胸が熱くなった。そして、ここまで想われていても彼女が自分のことを「愛しい人」としては受け入れられていない現実に、叩きのめされた。


 だから、辛くても、心がねじ切れそうでも、言わなくてはいけない。


「優香、ありがとう。そこまで私のことを想っていてくれたなんて、知らなかった」

「だけど、だからこそ一度距離を置きましょう。いろんな意味で、今の私たちの想いは釣り合っていないわ。一度離れて、今の関係を見直しましょう」


 それが最善だと思った。今のままの関係だと、きっといつか破綻するという確信めいた予感があった。


「―――分かった」


 顔を俯かせて優香が言った。顔色は良くなく、ひどく思いつめたような表情で震えていた。しかし、優香も納得してくれて良かった。これなら―「初めから、こうすれば良かったんだ」


 刹那、唇に熱いものが触れた。抵抗ができないように、体を押さえつけられた。私の方が、優香より体格も大きく力も強いのに、何もできない。脳が状況を理解する前に、舌で口内を蹂躙された。決して上手ではなく、むしろ時々歯が当たるほどに拙いのに、優香に犯されているという事実だけで身体が悦んでしまっていた。


 永遠に思えるような時間を経て、二人の間に隙間ができた。しかしその隙間には、酷く淫媚な橋が架かっていて、先ほど行為を想起させた。きっと今、私は他人には決して見せられないような表情をしているのだろう。

 対して優香は、いつか見たような、私の大好きな満面の笑みに戻っていた。その表情に、興奮の色はない。

 そして彼女は――


「――これから私と祐奈ちゃんは恋人で、今まで通りずっと親友だよ。もう二度と、私と離れようなんておもわないで。」


 告げながら、再び唇を落とした。触れる程度の、軽いキス。

――私が夢にまで見て、決して叶わないと思っていた想い人とのキス

――それは、錆びた鉄の味がした

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