冬の日
九戸政景
冬の日
「……今日も寒いな……」
雪の降る12月の夜、白いコート姿の一人の男性が公園のベンチに座りながら空を見上げていた。時折通る車の音以外は何も聞こえず、自分以外に誰もいない公園で男性は白い息を吐きながら座り続けていた。
そして、雪が降る中でただ座る事数分、男性の座るベンチに赤いコート姿の長い黒髪の女性がゆっくりと近づいてきた。黒髪の女性は男性の傍らに置いてある物を一瞥した後、寒さで軽く頬を紅潮させながら男性に声をかける。
「……こんばんは。こんな寒い夜に何をしてらっしゃるんですか?」
「人を待ってるんです。まあ、今日来るかはわかりませんけどね」
「そうですか。ところで……ベンチにそれらを置いているのは何故ですか?」
女性が男性の傍らに置かれた物を指差すと、男性は小さく微笑んでから静かに話し始める。
「……この赤いきつねと緑のたぬきはその待ち人との思い出の品なんです」
「思い出の……」
「はい。あ、話すと少し長くなるので良ければ座ってください。それらは避けるので」
「ありがとうございます。けど、その内の一つは膝に載せても良いですか? 思い出の品というのは聞いたんですが、載せていた方が温かそうなので」
「わかりました。それじゃあ、これを」
男性が迷う事無く赤いきつねを女性に渡すと、女性はにこりと笑いながら会釈をし、女性が座るのを確認してから男性は静かに話し始めた。
「……それじゃあ、話しますね。高校生の頃、将来を誓い合う程に愛していた相手がいまして、お互いに部活動なんかで疲れた下校途中や寒い日のデートの帰り道にどこかで買って、公園のベンチに座って食べていたんです。
当時はお互いに学生という事で金銭面が豊かではありませんでしたから、デート先も近くの公園やお互いの家ばかりでした。けれど、自分はそれだけでも十分幸せで、これ以上望む事はないと思っていました」
「そんな事が……」
「……ですが、そんな日常もある時終わりを迎えました。お互いの進路が違ったために高校三年生になって卒業が少しずつ迫るにつれて会える日も少なくなっていき、気持ちに徐々にすれ違いが生じたり学校の成績にも影響が出始めました。
けれど、自分は別れたいとは思わなかった。彼女と喧嘩する時が増え、彼女の気持ちを考えられなかった自分に苛立ちを感じる時もありましたけど、自分にとって彼女は本当に好きな人で、別れるという選択肢が浮かぶ事はありませんでしたから」
「……それくらい想ってもらえる彼女さんが羨ましいですし、それくらい彼女さんを想える貴方は凄いと思います」
「……ありがとうございます。そして、彼女も恐らく同じような考えだったからか彼女から別れを切り出される事も無く、二人の関係はそのまま続きました。
けれど、その内に自分の中にある考えが浮かんだんです。本当にこのままで良いのだろうか、と。彼女と別れるつもりは無く、彼女との関係を続けたい気持ちはある。だけど、お互いの進路だって大事だ。それなら、一度彼女との関係を断ち切り、自分の目標を達成してから彼女との関係を戻すのも手じゃないかと思ったんです」
「…………」
女性が何も言わずにどこか哀しそうな笑みを浮かべる中、男性は同じように哀しそうな笑みを浮かべる。
「……我ながら勝手な考えだったと今でも思いますよ。別れたくないと考えてくれている彼女に辛い選択を迫らないといけない上に自分以外の相手との間にあるかもしれない未来を諦めさせる事になりますから。
けれど、当時の自分はそれしか無いかもしれないと考え、夏の終わり頃に彼女にその提案をしました。話している間、彼女は何も言わずに聞いていてくれましたが、自分の頭の中には終わった後に待っているであろう彼女の悲しみや怒りの表情が次々と浮かんでいました。
けれど、実際に話が終わってみると、彼女は哀しそうな笑みを浮かべたものの、その提案を否定する事はありませんでした。彼女自身も何かはしないといけないと考えていたらしく、自分も本当はそうしたくないけれど恐らくそれしかないだろうと言い、お互いの意見が一致した事で一時的に彼女との関係を終わらせました」
「……つまり、それ以来連絡もしていないんですね?」
「はい。家族や親しい友人達からは、そこまでしなくてもとは言われましたが、彼女とまた楽しい時間を過ごせる事をご褒美にする事で頑張れると思いましたし、連絡をしてしまったら自分達の覚悟も無駄になってしまう気がしましたから。
なので、学校で顔を合わせる事はあっても、軽く挨拶をする程度でしたし、それ以上の事はお互いにしませんでした。そして、卒業と同時に彼女は自分の進路のために遠くへと旅立ち、顔を合わせる事すら無くなりました。
その事が寂しくないわけではありませんでしたが、いずれ訪れるであろう彼女との再会を夢見てひたすらに頑張りました。そして数年後、自分の夢を叶えた事で今度はここで待つ事になったんです」
「それが彼女さんとの約束だからですか?」
「そうです。関係を終わらせる前、彼女と約束をしたんです。自分の夢を叶えたら、付き合い始めた記念日であるこの日にここへ来て、あの頃のようにカップ麺を食べながら再会を喜び合おうと。けれど、いつになっても彼女は来ず、今日で五年目になってしまいました」
「……けど、諦める気はないんですね。たとえ、その人以外にも素晴らしい相手がいたとしても」
「もちろん。今日までに自分と付き合おうとする人はいましたし、この話を聞いてバカな奴だという人もいました。けれど、諦める気は当然ありません。彼女の心が離れているなら仕方ないですが、その事実が無い以上は待ち続けないと今度は彼女を待ちぼうけにしてしまいますから」
「……そうですか。ふふ……ほんと、その彼女さんが羨ましいです」
そう言いながら女性が微笑むと、男性はクスリと笑ってから再び空を見上げた。
「……けど、もう待たなくて良いのは本当に嬉しいな。五年も待ったら、流石にカップ麺も冷めるからさ」
「……それでも私への気持ちは冷めなかったようだけどね」
「冷めるわけないよ。この日を楽しみにして頑張ってきたんだから」
「そっか……でも、そんなに待たせてたんだね。知らない振りして話を聞いてた時、凄く申し訳なくなっちゃったよ」
「そう思うならこれからはずっと一緒にいて欲しいな。一人で二つも食べる日々はもう終わりにしたいし」
「うん、もちろん。でも、その前に……」
女性は髪を軽く耳に掛けると、男性に顔を近づけていき、そのまま自分の唇を男性の唇に押し当てた。
「ん……ふふっ、流石にこんなにお預けくらってたから我慢できなくなったか?」
「それもあるけど……これを食べちゃう前に貴方自身をしっかりと感じたくて。食べた後だとキスもこれの味になっちゃうでしょ?」
「そうだな。その味も悪くないけど、恋人からのキスは俺もそのままの味が良いよ。それくらい特別感のある物だからさ」
「ふふ、そうだね。さあ、冷めちゃう前に食べちゃおう。貴方も待ってて体が冷えちゃったでしょ?」
「まあな。それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
二人は声を揃えて言うと、二人は蓋を開けてそれぞれが持つカップ麺を食べ始めた。寒さで冷やされた事で温度は少し下がり、汁を吸った麺は少し伸びていたが、降る雪と空に浮かぶ月が見守る二人の顔はとても幸せな物だった。
冬の日 九戸政景 @2012712
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