二十八年前

Lance

二十八年前

「私は今、最高に震えている。否、武者震いではない。草葉の陰から恐る恐るその様子を見ている。動けど地獄、止まっても地獄」

「そ、それでどうなったんです?」

 幻の城に調査に入ってから、十日も経とうとしている。もとより、ここが帰れずの城だということは先の犠牲者数を見れば明らかだ。私は若いレンジャーを励ますように話を続けた。ディーは脱水症状にやられていた。私とて同じだが、先輩として彼を励まし続けた。扉を亡者達が叩く音が小部屋に木霊する。

「うむ、身の丈二十メートルはあろうかという緑色のドラゴンがそこにいたのだ」

「フォレストドラゴンですね」

「その通り。当時の私はお前よりも少し若かったな。遭難者救助のために赴いた先でドラゴンと御対面というわけだ」

 ゾンビどもの暴虐的な唸り声が木の扉の向こうから聴こえる。ディーは扉を見詰め、再び表情を強張らせた。私はディーの隣に座ってその肩に手を置いた。

「ディー、気にするな。あの木の扉は頑丈だ。錠だってしっかり下ろしてある。叩いて引っ掻くだけのゾンビどもに破れるわけがない」

「ええ、先輩。話の続きを」

 ディーはいつ気を失ってもおかしくはない。私だってそうだ。私は促され話を進めた。

「二十メートルだぞ。しかもドラゴンは嗅覚が優れているし、耳だって良い。だから私が止まっていても、茂みを掻き分け逃げ出そうとしても見つかる」

「絶望的ですね」

 ディーは自虐的な風にそう言い、弱弱しくニヤリと微笑んだ。

「そう、絶望的だった。私は必死に考えようとした。だが、見つかってしまった」

「どうなったんです、先輩」

「そう、あの時の動きは自分でも信じられなかった。咄嗟に横へ跳躍し、風の音ともにドラゴンの長い首が伸び今の今まで潜んでいたところを噛んでいた」

「危機一髪でしたね」

 ディーがか細い呼吸を押し殺し軽く笑った。

「そうだな、ディー。その通りだ。私は駆けた。ドラゴンの長い歩幅では背を向け逃げてもあっという間に追いつかれてしまう。本能がそう告げ、私はドラゴンに突進した」

「蛮勇ですね。いや、でも先輩はこうして生きている。勇敢の間違いかもしれませんね」

「蛮勇か、勇敢か、そうだな、どちらも当てはまる。私は当時愛用していた究極の山刀を二刀流でドラゴンの首を掻い潜り、側面、つまり前脚に斬りつけた」

「でも、効かなかったんでしょう?」

「その通りだ、ディー。竜鱗には歯が立たなかった」

「突きはしなかったんですか?」

「突いたさ。そりゃもう、必死で。だが、刃先が欠けるだけだった」

 ドンドン! 扉を叩く音が一瞬大きくなった。たまたまゾンビが良いところを叩いたに過ぎない。早くも覚悟を決めたかのように剣を握る若者の肩に再び手を置いて宥めた。

「一矢報いるつもりです」

「焦るな、ディー。俺の予想だが、この話が終わるまで扉は破られることはない」

「だったら聴きたくないな。だけど、興味があります。先輩がどうやってドラゴンと対峙したのか。こうして俺の隣で励ましてくれてるってことはドラゴンに食われたわけでは無いってことですからね」

「その通りだ。話そう。俺が頭をこんがらかせて、オタオタしている間にドラゴンの首が伸びてきた。そして口を開いて咆哮を挙げた。あの時の絶望感は忘れない。まさに生き物の王者の威厳を見た。俺は耳を塞いださ。そしてこの後に何が来るか頭にピンと来てな、もう駆け回った」

「何が起きたのか当てましょう」

「良いぞ」

「先輩を襲ったのはフォレストドラゴンの吐く毒の霧ですね。噂に聞いたことがあります」

「おお、見直したぞ、ディー。でな、俺もお前と同じでフォレストドラゴンが吐くのが毒霧だって悟ったんだ。俺はドラゴンの尾の辺りまで逃げていた」

「ドラゴンから離れなかったんですか? いや、離れても捕まるだけですもんね。歩幅と長い首がある」

「御名答、お前にシガーを一本進呈だ」

「俺、タバコは吸わないんですよ」

「だったら飴玉だな」

「飴玉でも良い、今は欲しいな。それで、勇敢な先輩の次の行動は?」

 ディーは割り切ったように尋ねてきた。ゾンビどもの声が増えている。

「話そう。俺はもうどうして良いのかわからなかった。ひとまず横腹に剣を突き立てたが、弾力性があって弾き返された。背後を振り返れば紫色の毒の霧が拡散していて戻ることもできない。まぁ、ここで戻っても首に捕まって終わりだがな。俺も慌ててたがそれだけは分かっていた。そして、この場を逃れる方法は一つしかないことも理解していた」

 すると、ディーは軽く瞠目した。

「先輩はまさか竜殺しに?」

「ははは、いーや、その必死な思いが、これが偶然にもう一つの手段に繋がってくれた」

 首をかしげる後輩にハンスは軽くニヤリと微笑んだ。

「偶然、見えたんだよ。尻尾の付け根の下にある、ある穴をな」

「それってもしかして」

「そう、俺はもうやけくそになりながらドラゴンの尻の穴を突き刺した。するとどうだろう。中の肉は驚くほど柔らかかった。だから俺はメタくそに突き刺しまくった」

「うわっ、聞いてるだけでも洩らしちまいそうですよ」

「ガハハハッ、そしたら、ドラゴンのやつ、何をしたと思う?」

「驚いた?」

「そうだ。どうなったかというと驚いて脱糞した。その量が半端じゃなくてな俺はクソに埋もれた」

 ハンスがウインクするとディーは軽く笑った。

「あの強烈な刺激臭は忘れない。重たいクソに埋もれながらぶっ倒れた俺が見たものは、翼をはためかせて空を行くドラゴンの姿だった。西の方角だったかな」

「大変でしたね」

「ああ、大変だった」

 扉が軋んだ。

 ハンスは立ち上がった。

「俺が連中の気を引くからお前は逃げろよ」

「逃げる場所なんてありません。お供しますよ。一緒にゾンビの仲間入りです」

 剣を手にしたディーがヨロヨロと立ち上がる。ハンスは彼の身体を支えて言った。

「負けたと決まったわけじゃない。希望は常にある」

 すると、風のような音色と人が倒れるような音が聞こえた。

「おい、誰かいるのか? 外のゾンビは片づけた!」

 男の声が聴こえた。

 ディーがハッとし、すぐに微笑みを向ける。そして床の上に尻もちをついた。

 ほらな。

 ハンスは右手の親指を挙げて後輩に応じたのであった。 

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二十八年前 Lance @kanzinei

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