611
――……我は汝に請い願う!我がもとに
ユモが振動させたエーテルの波動は、ユモが自分達の周囲に展開したイメージの
――……猛き天使カマエルよ!我が求めに答えて現れ出でて、その盾をもって我らに鉄壁の守護を与えたまえ!――
ユモの声なき声に合わせるように、
その翼の輝きは中心の獣魔女にまといつき、纏わなかった一対もろともに輝く羽根をまき散らしながら服と一体化し、消える。
――次!我は汝に重ねて請い願う!我がもとに遣わせし
印を切ったユモの、
――偉大なる魔法使いマーリーンに連なる我、ユモは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す……――
ユモの声なき声が、地上では失われた言語で別な呪文を唱え始める。その間も、獣魔女の体はユモの唱える呪文と印を切る腕の動きに関係なく、『ウェンディゴ憑き』を討ち倒し、吹雪の指を切り払う。
「一段落したら合図ちょうだい!」
「試したい事があるの!」
雪風の意識の中に、肯定を示すユモの意識が流れ込んだ。
だが、
だからだろうか。
洞窟の上部空間に位置する本体ごと攻め寄せたならば、あるいはそれは一瞬でカタがついた程度の抵抗だったのかも知れない。だが。
だから。何度目かに吹雪の指を斬り払われた時。偶然、その触手が二手に分かれ、二つの触手として機能する事に気付き。
「うわマジかバカ急にふざけんなこの!」
突然数が増えた触手攻撃を
――月の魔女リュールカが一の弟子にしてその子たる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に命ずる!『
ユモが、呪文を一時停止して雪風に合図する。
「よおっしゃあ!」
飛びすさって後退しつつ吹雪の触手を切り払いながら、待ちかねたように獣魔女の口から声がする。
――何を?――
「見てな!」
雪風が何をしたいのかはわからないが、何であれ体の事については逆らう気のないユモは、疑問を抱いたまま
「……ほら!」
――あ……――
雪風の狙い通り、かちりと音をたててその年代物の
「思った通りよ!そうじゃないかと思ってたのよ!そしてぇ!」
推測が正解して嬉しそうな雪風の声が、己の愛刀に命じた。
「れえばていん!あたしの命に従い!
先込め式単発銃から薬莢式連発銃へ、黒色火薬から無煙火薬へと急速な進化を遂げた小銃の歴史の上で、過渡期の小銃と銃剣は、先込め時代の刺突武器としても使われるその名残を強く残し、後世のそれに比べて銃身も刀身も長いものが普通であった。
その、まさに過渡期にプロイセン軍に採用されたモーゼルM1871、後に連発式に改造される以前の単発の、Gew71とも呼ばれるオーガストが戦利品として持っていたその銃と、その
その姿は、
――ニーマント!出番よ!――
ユモの声なき声と共に、その長巻様の小銃を持つ獣魔女のセーラー服の左手に、軍用コートの両手が首から外した
「荒事は、得意ではないのですが……」
左掌から聞こえたぼやきを無視して、ぐるぐるとチェーンを何度か巻き付けて
「……
一連の呪文の詠唱とそれに伴う
「見えた!」
――見えた!――
見通しで、その要石が視野に入った瞬間、獣魔女の口から漏れる雪風の声と、ユモの声なき声が重なった。足場を蹴って、獣魔女は落ちるより早くその要石に向かって跳ぶ。
「だりゃあぁ!」
――精霊よ!我が望みを聞き、我に仇なす彼の光をこの掌に集める
ユモの声なき声が、精霊を使役して青い光を
「……ウソ!マジか!」
その光の圧力は、足場を蹴って勢いをつけた獣魔女の落下速度をも減殺し、押し返さんばかり。勢いを殺された呪魔女は、歯軋りし、罵る。
「ふざけんなこの!」
――ここまで来て!負けてたまるもんですか!――
力が、欲しい。こんなヘナチョコな光に負けない、
ほんの一瞬押し負けそうになっていた獣魔女は、光の翼の羽ばたきによって勢いを回復し、再び要石に向けて突き進む。
要石に左手が、
「れえばていん!力を見せろぉ!」
その
「今だ!ユモ!撃てぇ!」
ともすれば弾き飛ばされそうな反発力に抗して、獣魔女が叫ぶ。セーラー服の左手は石の表面に、右手は
――偉大なる魔術師マーリーンに連なる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に再び命ずる!光の弾丸よ!カマエルの威光をもって我が示す的を撃ち抜け!――
ユモの声なき声が、周囲のエーテルを震わせる。
獣魔女の背中から、軍用コートを着たユモの腰から上が抜け出し、
「
叫んで、ユモは引き金を引く。ユモの左手の、伸ばした人差し指からまばゆい輝きが銃口に移り、直後に、銃声と共に弾丸が、弾丸と共に光の矢が放たれる。その光の矢の矢尻は目もくらむほどの輝きを放ち、銃口から丸石までのほんのわずかの距離を飛翔して、石の中に消える。
直後。石は、まるで爆薬を飲んだヒキガエルのような短い悲鳴にも聞こえる不協和音を放ち、爆散した。
「……見えてる!まだ間に合う!」
聞き覚えのある、少女の声がする。
「ニーマント!今度こそ見える?!」
二人分の、少女の声。
何が起きて、自分がどこに居てどうなっているのか皆目見当もつかない状態で、オーガストは薄目を開けた。
「まだ日蝕続いてる!急がないと!」
急速に晴れつつある空を見上げて、雪風が言う。
「ニーマント!返事なさい!」
下を向いて、自分のペンダントに向けてユモも言う。
「……いやはや、酷い目に合いました」
ニーマントが、ぼやく。
「生きてるのね?生きてるならいいわ!で!ちゃんと見えてる?!」
「……はい、見えてきました……おや、いくつかの面はブラックアウトしてしまってますね」
「故障?」
「と言いますか」
咄嗟に機械みたいに雪風に言われて、苦笑しながらニーマントが答える。
「あまりのエナジーに、焼き付いてしまったようです」
「何でも良いわ!それで、あたしかユキの
ユモは、眼下の崩壊する地表から目を戻して、聞く。要の丸石を破壊したからだろう、コントロールを失った膨大なエナジーの奔流はその出口を求め、本来は頂点に向けて直径1メートル程開口していたその光の吹き出し口を10メートル程まで砕き、拡張しつつ噴き出した。当然、洞窟の中にあったあらゆるものも巻き添えにして。
――精霊の加護をつけていなかったら、あたし達も木っ端微塵だったでしょうね――
ユモは、心の中で思う。そうなっていたら、うちに帰るどころの騒ぎではなくなる、と。
「……残念ながら」
「見えないの?」
「左様で。いくつか行き先は見えますが、お二人に関係しそうな気配なありません」
ユモと雪風は、顔を見合わせる。目と目が合い、頷き合う。
「……いいわ!直接帰れなくても、ちょっとでも近づければ!」
「とりあえず次の日蝕が一番近そうなとこ!ってわかります?」
「断言は出来ませんが、多分、でよろしければ」
「決まりね!」
「よし!腹くくって行こう!」
「……と、その前に……」
オーガストは、やっと理解した。
足下の、人型洞窟の下の方の様子をうかがっていた時。
突然、爆発的な光の奔流に襲われ、気が付いたらここに、空中にいたのだ、と。
眼下の大地は、その光が吹き出したとおぼしき大穴の周囲が今、直径100メートル程もあろうか、崩落し始めた。
オーガストは、知った。自分の体も、粉々に千切れ飛んでいる事を。
痛みはない。何も感じない。ただ、残念だった。折角ここまで来たのに、仲間と呼べる者達を裏切り、切り捨ててまでここにたどり着いたのに。
これで、どうやら終わってしまうようだ。
声が、聞こえた。
聞き覚えのある、少女の声。
――あんたを助ける義理はないけど、伝言係が必要だから――
薄目を開けたオーガストには、その姿が見えた。
翼の生えた魔法円に立つ、二人の、抱き合う少女の姿が。
小さい方の少女が、金色の髪をなびかせ、何事か唱えた。
それが何か、オーガストにはすぐにわかった。
千切れ飛んだはずの体が、少しずつ、集まってきたからだ。
――スティーブとチャックに伝えて。50年したら、また必ず会いに来るって――
少女の、優しい声が聞こえる。
――あと15年くらいで、もう一度、大きな戦争が来ます。必ず、生き延びて下さい――
もう一人の少女の、これは懇願か。
――じゃあ、頼んだわよ――
――お達者で――
それきり、少女の声は聞こえなくなった。
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