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「……よくわかんないけど、わかった」

 ため息一つついてから、雪風が言う。

「オーガストさんは、夕べここで、イタクァだとか蕃神だとかいう奴らと接触し、自ら望んで連れて行かれた。行き先は、森の方って事しか分からない。そして、ユモのペンダントは、オーガストさんが持っていった」

 メモには、光る水晶玉と輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロンをどうしたかは書かれていなかったが、文脈から見て持っていったに違いないし、少なくともこのロッジには残されていないことは確認した。

「それから、ここが一番重要。あたし達は、なんとしても、ペンダントを取り返す」

 言って、ユモを見た雪風の視線と、雪風を見るユモの視線が絡み、二人は強く頷く。

「これだけ分かってれば、あたし的には充分なんだけど、ユモ、あんたは?」

「絶対に、ぶちのめしてでも、取り返す。それだけよ」

 ユモの言葉には、強い決意があるが、焦燥感は薄い。それを感じた雪風は、聞いた。

「OK……よく我慢してたわね。正直、また飛び出して行くかと心配してた」

「同じ失敗はしないわ。あたしだって、そんな子供じゃないもの」

「じゃあ、行こうか?」

「うん」

「待て!待ってくれ、行こうって、今からか?どこに?」

 急に二人がやる気を出したことに驚き、チャックは慌てて止める。

「どこって、森の奥。足跡残してくれてるんだもの、追って来いって事でしょ?」

「罠かもだけど、虎穴に入らずんば虎児を得ずって昔の人が言ったって」

「どこの言葉?」

「昔の中国」

「あんた、思ったより学があるのね?」

「お?今あたしの事バカにした?」

「待て!こんな時間にか?」

 チャックは、楽しげに言い合いを始めたユモと雪風の会話に割って入る。

「無茶だ!大尉だけならともかく、イタクァだのなんだの、得体の知れないものが絡んでるんだろう?そんなところにこんな時間に乗り込むつもりか?」

 是が非でも止めなければ。チャックの訴えに、しかし、雪風は毛皮の外套に袖を通しつつ、さらりと答える。

「や、得体の知れないのが居るってのが分かっただけ有り難いってもんですよ」

「あたしも、昨日の朝みたいなバカは二度としないけど、我慢もそろそろ限界、今すぐ走っていってオーガストを1発ぶん殴らないと気が済まないの。それに、オーガストが居なくなってからかれこれ一日経ってるって事でしょ?馬鹿面下げて森の中で丸一日突っ立ってるとも思えないわ」

「それは、そうだが……」

「あたし達が知りたいのは、ニーマントがどこにあるか、です。それを知ってるのは、多分、オーガストさん。だから、今から足跡を追う。今夜中に追い切れなさそうだったり、手がかりがなかったり、手に負えそうもなかったら、戻って来ます。それでいいわよね?」

 雪風は、ユモに確認をとる。

「まあ、その線が落とし所ね」

「そ、それならまあ、いいんだが……いや、よくない」

 大急ぎで、チャックは食事前に外したガンベルトを巻き直した。

「君たちだけで行かせるわけにはいかない。俺がついて行く」

 止めても絶対に聞かない。そこのところには悪い意味で自信があったチャックは、自分の中の落とし所として、二人に同行することに決めた。


「見て」

 ライフルGew71を担ぎ、手に持ったフード付きのアセチレンランプで行く先を照らしていた雪風が、一行に注意を促した。

 雪風の腕時計――時刻が狂いまくってるソーラー電波腕時計からの逆算――によれば、およそ午後十時前。ロッジの周りこそ膝ほども雪は積もっていたが、森に入ればせいぜい深くてふくらはぎ、ほとんどはくるぶしまでの積雪を、三人はロッジから続く足跡を追って歩いていた。

「何これ?」

 説明されるまでもなく、ユモも、チャックも気付く。確かに二人分の成人男性らしき大きさと形の足跡は、雪風の示すあたりから、一つは妙に大きく、形も靴跡にしては幅広になっている。

「歩幅も変わってるな」

「この辺に、こんな足跡の動物、居ます?」

 自分のランプで先を見通したチャックに、雪風が聞いた。

「大きさと形だけなら熊が近いか?……いや、あり得ないな。熊は二本足では歩かないし、やはり形がまるで違う」

「彼ってのが、本性出したって事?」

 首を横に振るチャックの言葉に、ユモが皆の考えを代弁して口に出す。

「そういう事、なのか?」

「先に進めば分かりますよ、きっと」

 心配げなチャックの声に、軽くこたえた雪風は、一行を先へ促した。


「ユキ、君は落ち着いてるな」

 歩きながら、チャックはぼそりと呟いた。

「こんな異常な状況なのに、君のような少女がよくもそんなに落ち着いていられるものだ」

「……まあ、その辺は、何と言いますか」

 雪風は、返答に困る。

「チャックさんこそ、狩りとか、得意なんです?」

 返答に困って、雪風は話を逸らそうとする。

「スティーブと組むようになってからだから、そんなに経験があるわけじゃない。居留地に居た頃は大人に混ざってやってたが……」

「そっか……あたしも、大人に狩りに連れてってもらったことがあって」

「なるほど……」

 咄嗟の雪風の返答で、何事か納得したらしいチャックの様子に、雪風は心の中で胸をなで下ろす。さっきからのあれこれで、自分もただの人間ではない、チャックにそう思われているのは確かなはずだが、ここでさらに余計な事を言って、警戒されたり怖がられたりを繰り返す必要はない。大人が狩る相手が何者なのか、という事も含めて。


 森の中の足跡は、獣道に従って、ロッジの建っていた湖畔からやや奥に入る方向に続いていた。距離にして半マイルほどだろうか、うっそうとした、松を中心とした森に一行は入っていった。

「……誰か、居るわ」

 目ざとく、雪風の見つけたそれは、よくわからない黒々とした岩のようなものに腰掛けて手にしたメモ帳に視線を落としている、白いスーツを着た男だった。

 ぞくり、と、雪風の背中に冷たいものが走り抜けた。こいつは、ヤバイ奴だ。雪風の本能が、そう告げた。ちらりと横を見ると、同じような印象をユモも、そしてチャックも受けたようだった。

「……これは。気付きませんで、大変失礼を」

 その男は、慎重に近づく三人に気付いたようで、視線をメモ帳から三人に向け、そして腰掛けていた岩からひらりと降りた。

――いや、待て。おかしい……――

 チャックは、何か違和感があることに気付いた。ランプの光に浮かぶ、男の姿をよく見る。白いスーツ、帽子、シャツは薄ピンク、その気障で派手な出で立ちは、オーガストの残したメモのそれに一致する。

 その男が、パタリとメモ帳を閉じた時、チャックは気付いた。

――こいつ、俺たちが照らす前から・・・・・・、メモを読んでいたのか?真っ暗だったのに?大体、この寒空に、あんなスーツだけで居られるものか?それとも……そういうこと、なのか?――

 チャックは、肝っ玉が縮み上がり、内臓が絞り上げられ、口から出るような錯覚に襲われる。明らかに人に見えるが、その実、人ではないというその異質な何かが目と鼻の先に居ることを改めて認識して、チャックは再び恐怖が鎌首をもたげるのを感じた。

「ようこそ、私の領域テリトリーへ。私は……まあ、お好きに呼んで下さい」

 帽子に手を当て、男は会釈する、慇懃無礼に。

「……オーガストは、どこ?」

 その男の物言いを無視して、ユモは単刀直入に聞いた。

「おお、オーガストさんのお知り合いでしたか。これはこれは」

 男の正体以上にユモの物怖じしない物言いに驚いたチャックの様子を知ってか知らずか、男は大げさに両手を広げ、親愛の情を示す。

「さては、彼を探しにいらした?もしかして、彼を連れ戻しに?」

「どっちでもないわ」

 ユモの言葉は、にべもない。

「オーガストに用があるとしたら、とっちめて1発ぶん殴ってやりたいだけ。そして、あたしが用があるのは、オーガストが持っていった、あたしのペンダントだけよ」

 ユモの言葉を聞いて、男の表情が変わった。男の口元が、大きく歪み、耳元まで吊り上がった。

「……では、あなたが、あの、輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロンの持ち主だったのですね?」

 男は、笑顔を作ったようだった。

「そうすると、あなたはあの魔女リュールカご自身?いやいや、いくら私でも、それくらいの見分けはつきます。あなたは、魔女リュールカではない、違いますか?」

「ええ、その通り、別人よ」

 ユモは、言い切った。

「そんな事はどうでもいいわ。答えなさい、ペンダントは、どこ?」

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