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「……それで、どうするの?」

 チャックが元の顔色と落ち着きを取り戻したと判断した雪風は、成り行き的にも、性格的にも先頭を切らないと気が済まなそうなユモに尋ねた。

「とにかく、情報を整理しましょ」

 今にも玄関から跳び出すんじゃないかという心配を他所に、ユモは思いのほか落ち着いた声で言うと、椅子を引いて座り直す。

「……ユキ、お茶入れて頂戴」

「ちょ、なんであたしなのよ?」

「あたし、ずっと読んでて喉ガラガラなのよ?」

「……へいへい」

 確かにその通りだろうし、言い合うのも無駄だと判断した雪風は、諦めてケトルの置いてあるシンクに向かう。

「表にあった二人分の足跡は、オーガストともう一人で確定ね。行き先は森の奥。時間は……ちょっとわからないか」

 言いながら、整理するためだろう、ユモはオーガストが置き去りにしたらしい万年筆とメモ用紙に箇条書きに要点を書き出している。

「ここに居たのは、オーガストと、ニーマントと、あとは正体不明の誰か、か」

「そのニーマントってのだが、本当に、ペンダントがしゃべるのか?」

 チャックが、まだ信じられない様子で、聞いた。

「しゃべる、っていうのとは違うみたいだけど。人語でコミニュケーションが取れる、っていう意味なら、イエスよ」

「どうやって?」

「さあ?あたしも、詳しい事はわからない。ママムティならよく知ってると思うけど……オーガストのメモには、洞窟で話しかけられたってあったけど、あたし達もそうよ。あの洞窟に落ちたときに初めて、ニーマントが意識のある存在だって知ったの。ついでに、オーガストのメモの記述は正確よ。まあ、ニーマントが距離の離れた相手にも話しかけられるなんてのは知らなかったけど」

「他にも隠してること、ありそうよね」

 ケトルをコンロにかけた雪風が、一旦会話に戻って来た。

「それと、最初のここ」

 雪風は、ユモのメモの先頭を示して、言う。

「ここから出てったのは確かに二人分の足跡だけどさ。オーガストさん、彼が迎えに来た、って書いてたわよね?じゃあ、彼が来たときの足跡は?」

「あ!」

 ユモとチャックが、同時に声を上げる。

「オーガストさんによれば、その彼っての、自由に体の形を変えられるみたいじゃない?だったら、歩いて来なかった可能性もあるわよね?」

 ユモにそう指摘してから、雪風はチャックに向き直り、

「そんな話、イタクァって奴の伝承とかに、あったりします?」

「いや……」

 問いかけられたチャックは、記憶を探る。

「イタクァは、吹雪そのものとか、雲のようとか言われているが、人間になったりは聞いたことがない、いや、人型ではあるが、雲で出来た、雲を突くような巨人、だったか」

「だとしたら、この」

 チャックの話を聞いたユモが、オーガストのメモの最後の方を示す。

「吹雪そのものの巨人って」

「ああ、それは俺も気付いてた……これが、イタクァだろう」

 まるでそれが忌まわしいものであるかのように、苦々しげにチャックは言う。

「イタクァなんてものが、本当に居たとしてだが」

「本当に居たから、オーガストはおかしくなっちゃったし、『ウェンディゴ症候群』の患者もいっぱい居るって事でしょ?状況証拠的には、確定だわ……そうすると、その彼ってのとイタクァは別物、って事になるけど……」

「ニーマントと彼が同じ、ってのも気になるわよね」

 言いながら、雪風は沸き始めたケトルの相手をしにコンロに戻る。

「それの意味がわからん。私によく似た私、ってのは、なぞなぞか何かか?」

「さあ?そこはとりあえず無視して良いと思う、ニーマントを取り返したら、何が何でも聞き出してやるけど」

「彼とやらに直接聞いてもいいんじゃない?」

 ユモの台詞に、振り向いた雪風がキッチンから意見を返す。距離的には、キッチンからでも充分に会話に参加出来る。

「どっちにしても、彼とやらの正体に関する重要な手がかりだろうけど、不明なものをあれこれ推測しても今は意味がないわ。まず分かってることだけ整理しましょ」

「ああ、しかし、聞いておきたいんだが、君の母親は、その、人間を鉱物に閉じ込めたり、鉱物そのものを作り出したり出来るのか?」

 チャックは、どうしても興味本位を脇に置くことが出来なかった質問をする。

「出来る、と思うわ。やってるの見た事ないけど。鉱物の方は、間違いなく、出来るわ……ただ、作ったのは、ママムティじゃないかも知れない」

「どういう事だ?」

「あの多面体トラペゾヘドロンも、あれが入ってた箱にかけられてたまじないも、ママムティまじないによく似てたけど、ちょっとだけ違うの……そうね、たとえるなら、チャック、あなたのお母さんの得意料理はあなたのお婆ちゃんから受け継いだものだとして、それはまったく同じ味かしら?」

「……いや、作る人が違えば、レシピが同じでもまったく同じ味にはならないだろう」

 ユモに問われ、チャックは何かしら思い出しながら答えた。その答えに軽く頷いて、ユモは続ける。

「そのレベルで、ほんのちょっとだけ、まじないの癖が違ったのよ。放射閃オドって言って、まじないは必ず放射閃オドを発するんだけど、その放射閃オドの癖は術者によって異なるの」

「よく分からないが、味付けが違う、いや、匂いか?」

「そんな理解で合ってるわ。だから、あれを作ったのは、ママムティによく似てるけど、多分別人。さっきの例え話じゃないけど、ママムティに対するグランマオーマみたいな感じかしらね」

「実際にお婆ちゃんが作ったんじゃないの?」

 コーヒーを落としたマグカップを器用に三つ持って来た雪風が、会話に参加した。

「……あり得ないわ。少なくとも、この地上には、あたしの血縁者はママムティしか居ないんだもの……」

 雪風からカップを受け取ったユモは、そう言って、カップの中に視線を落とした。


「そもそもの話を聞いておきたい」

 一口、マグカップのコーヒーを啜ってから、チャックが口を開いた。

「魔法って、何なんだ?いや、今までの話で魔法も魔法使いも実在する、というのは理解したつもりだ。だが……」

 上手い言葉が見つけられず、チャックは肩をすくめる。

「本来なら人が扱えない領域に接触し、この世のことわりの真を求めんと欲するもの、それが魔法使いであり、そのための技が魔法、かしら……あたしもまだ魔女見習いだから、全てを知ってるわけじゃないから、偉そうなことは言えないんだけど」

「魔法は奉仕の御業だって、叔母さんよく言ってるけど」

 自分の知識を確認する意味もかねて、雪風が言葉を挟む。

「知り得た理を現世に還元しようとすると、そういう事になるかしら。魔女鍋煮込んだり、魔法の杖でいかづちを起こしたり、一般のイメージはそんな感じみたいだけど、それは応用の一部に過ぎなくて、本来は真理の探究とそのための自己研鑚が魔法の本質よ」

「……ユモ、君も、魔法が使える、のか?」

 腫れ物に触れるような語調で、チャックが聞く。

 答える代わりに、ユモは腰の銃剣バヨネットを抜き、弾薬盒パトローネンタッシェの聖水を一滴だけ振りかけてから口の中だけで小さく呪文を唱える。その銃剣バヨネットを、ユモはチャックのマグカップに軽く当てた。

「……うわ?」

 さっきまで飲み頃の熱さだったコーヒーが、突然アイスコーヒーになっている事にチャックは驚き、思わず声を上げる。

 その様子に小さく笑いながら、今度は聖灰をひとつまみだけ銃剣バヨネットに擦り付け、ユモはまた呪文を唱えた。

「……見える?」

 銃剣バヨネットをもう一度マグカップに当てる前に、ユモはチャックに聞いた。

「光っている……のか?」

 チャックの目には、ほんの微かに、燐光のような光を銃剣バヨネットの刀身が纏っているのが見える、ような気がする。

「目が善くないと見えないと思う。あなたは、まだ大丈夫みたいね……」

 言いながら、ユモは銃剣バヨネットでチャックのマグカップをもう一度つついた。飲み頃、よりもちょっと熱いくらいに戻ったコーヒーを見つめながら、チャックが呟く。

「これが……」

「悪戯みたいなものだけど。この銃剣バヨネットパパファティがあたし用に作ってくれたもの、刃は潰してあるけど、よく研いでから全体に銀がメッキしてあるから、源始力マナが載せやすいの。そこに多めに聖灰を使ったから、少しは見えたでしょ?」

 微笑みながら、ユモは自分の銃剣バヨネットの刀身を見せつつチャックに言った。

「四大元素って分かる?土と風はだいたいいつでもどこでも手に入るけど、火と水はそうはいかないから、いつもちょっとだけ持ち歩いてるの」

 銃剣バヨネットをハンカチで拭ってから鞘に戻した後、ユモは弾薬盒パトローネンタッシェをぽんぽんと叩いて言う。

「あー。だから色が違ったのか」

「違った、のか?」

 聖水と聖灰の放射閃オドの違いを見分けた雪風の一言に、見分けられなかったチャックが小さく驚いて聞き返す。ユモは、軽く頷いて、

「見えただけでも上等よ。あたしの村でも、大人は大体見えてないもの」

「そういうものなのか?」

「そういうものよ。不思議じゃないわ、感性が鈍るって言う人も居るけど、そうじゃなくて、生きるために、見えたってどうにも出来ない能力は切り捨てて、必要な能力を優先してるだけ。普通の人が大人になるって、そういう事だって、ママムティが言ってたわ。鈍るんじゃなくて、使わなくなっただけ」

 あっ。雪風が、小さく声を上げた。

「じゃあさ。使い方を忘れてる大人が、急に無理矢理、そこを刺激されたら?」

「混乱して、ショックを受けるでしょうね」

「暗闇の中で、源始力マナを載せた言霊で誘導されたら?」

「呪的防衛の出来ない一般人なら、イチコロね……オーガストの事ね?」

 雪風は、頷く。チャックも、気付いた。大尉は、上手いこと誘導されたのだ、と。誘導され、告白させられ、心の中が空っぽになりかけた時に、さくりとその隙間に入り込んだ、何か、怖ろしいものが。

「じゃあ、大尉は、騙された?」

「そうとも言い切れないと思う。自ら進んで罠にかかったっぽくも思えるわ。ま、どっちにしても絡め取られてたでしょうけれど」

「その彼ってのが黒幕か……」

 チャックが、顎に手を当てて考え込んだ。


「ここで言ってる音楽ってのは、例の音のことでしょうね。迎えに来る時に聞こえてるから」

 彼とオーガストの会話のあたりと、メモの最後の方を引き比べながら、ユモが指摘する。

「じゃあさ、整理するとさ、こことあっちと、同じ現象が起こってる、その両方に、この彼ってのか、あるいはイタクァのどっちか、もしかしたら両方がかかわってる?」

「その場を見たわけじゃないが、大尉の残したこのメモと、あっちで出っくわした『ウェンディゴ症候群』の患者の数から言って、イタクァが絡んでることは間違いない」

「じゃあ、やっぱりあの洞窟は、イタクァの祭壇?」

「ほぼ確定ね、意味わかんないポエムもあった事だし……ただ、その、彼ってのの役割が分からない」

「……彼は、人ではないのか?」

 チャックが言ったその質問の後、一時いっとき、沈黙が続いた。

「姿を変える術を心得た術士とか、魑魅魍魎の類いとか?」

 雪風が、呟く。

「モンスターだのクリーチャーだの、そういう類いならまだマシかもだけど……ひっかかるのよ。輝くシャイニング・多面体トラペゾヘドロンが、ユゴスのものだってのが」

「そのユゴスってのは、どこの国だ?」

 雪風の呟きに応じたユモの言葉に、チャックが尋ねる。

「国じゃないわ……あたしも勉強中で詳しくは知らないけど、この太陽系の外惑星の一つ、だったはずよ。ただし、天文学では使われてない単語だけど」

「外……惑星?」

 その言葉が上手く理解出来なかったチャックが、聞き返す。

「待って待って。え?地球外物質って事?外惑星って、冥王星の次?ユゴスなんて星、聞いたことないけど?」

 1925年現在、冥王星はまだ発見されていないが、1960年代のユモの知識では冥王星は外縁惑星であり、21世紀人である雪風の知識では、冥王星は準惑星に格下げされてしばらく経っている。

「ユゴスは、あたしの知る限り、天文学上は特定されてないはず。冥王星とは別よ……蕃神ばんしんに関する事だから、あたしにはまだ早いって、ママムティは言ってた」

「蕃神?」

「平たく言うと、地球の外から来た神、ね」

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