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「……なあ、チャック」

 テントの中で切断された手綱を直しながら、スティーブはチャックに話しかけた。

「大尉は、どうしてこんな事をしたんだろう?」

 聞かれて、チャックは修理していた腹帯から顔を上げ、数秒スティーブを見つめた後に作業を再開してから、言う。

「……馬具を壊したのは追跡を諦めさせるか、最低でも遅らせる為。追跡されるのは、娘達の持ち物を無断で持ち出した為だ」

「そう、それなんだ」

 スティーブも、手を動かしながら話を続ける。

「大尉にしてみれば、だよ。こんな工作をするより、俺たちを殺した方が簡単で楽だったはずだ」

「それは……」

 チャックは、手を動かしたまま答えようとして、言葉に困り、顔を上げる。その様子に気付いたのかどうか、スティーブは言葉を続ける。

「四対一だから戸惑った可能性はある。けど、大尉の自動拳銃なら、まず面倒な俺と君を撃って、それからお嬢さん達を始末するのはさほど難しいとも思えない。何しろ、俺たちは寝ていたんだから」

「……それは、そうかもしれないが……」

 不寝番に立つ際に、銃は必ず持っていく。あの時、大尉の自動拳銃M1911はガンベルトごとユキの枕元にあったが、そもそも大尉のものなのだから、手に取ろうが持ち出そうが何も不自然ではなかっただろう。

「なのに、そうしなかった。馬具だって修理出来るレベルでしか壊してない」

 切られたところを革紐で繋ぎ直しているスティーブが、顔の前でその手綱をひらひらさせながら言う。

「……修理出来なければ、最悪、俺たちはここから帰れなくて、やはり死ぬ。それを避けたかったのだろう」

「そこさ」

 一旦、手綱を置いて、ブランデーを落としたコーヒーのマグカップを掴み、スティーブは言う。

「つまり、大尉は俺たちに死んでもらっては困るわけだ。何故だろう?」

「……殺人犯にはなりたくなかった、それだけだろう」

 手を止めたままのチャックは、少しだけ考えてから、答える。

「そう、それも理由だとは思うけど……俺は、大尉は追ってきて欲しいんじゃないかと思ってるんだ」

 そう答えてから、スティーブはブランデーがかなり多めの、とっくに冷めてしまっているコーヒーを一気にあおる。

「……ばかばかしい。なら、何故、追われるような事をした?」

 ため息をついてから、チャックは頭を振りつつ、その矛盾点の説明を求める。

「最初からそんな事しなければ良いだけだ」

「……多分だけど。大尉は、職務に忠実なんだ」

 マグカップにブランデーをつぎ足しながら、スティーブが答える。

「お嬢さん達の話が全部本当かどうかはさておくとしてだ、仮に全部本当だとして、人間を瞬時に違う場所に送れるなら、それは凄い技術だ。それから、ジュモーのペンダント、光るやつ。あれだって、石油も電池も使ってないんだろ?」

 ほとんどブランデーのマグカップをあおってから、スティーブは続ける。

「軍としては、手に入れて研究する価値はあるんじゃないか?」

 あっ、という顔をして、チャックはスティーブを見つめる。

「大尉は職業軍人だ。俺みたいな、応募したはいいが終戦間際に傷病兵で追ん出された兵隊崩れとは違う。なら、軍に役立ちそうな物は是非とも手に入れたい。そもそもこの調査だって、軍が出てくるからには、軍にもそれなりの利益があっての事だろう。それが金銭的な物か、それ以外かは知らないがね」

 マグカップの中で、ほぼブランデーのコーヒーを回しながら、それに目を落としながら、スティーブは言う。

「軍のために、必要なら手段を選ばず、軍の利益になるような物は持ち帰る。そのために、出会った者を裏切るような事をしてでも。小を殺してでも大を救う。上に立つ者の判断ってのは、つまりそういう事なんだろうさ」

 やるせない顔で、スティーブは言葉を切ってマグカップの中身をあおり、飲み干す。スティーブが前の戦争に募集兵として参加し、負傷して除隊になった事は知っているチャックは、スティーブが何か見るか聞くかしたのだろうと、勘ぐる。

「そして、大尉は、そういう自分が嫌で、追いかけてきて、止めて欲しい。そういう事なんじゃないかって、思ったのさ」

「……ロマンチストだな」

 やや呆れたような声色で、チャックが言う。

「まったくだ、迷惑な話だよ」

「いや、お前がだ」

「俺かい?」

 自分を指さして、スティーブはチャックに聞き返す。

「ああ……しかし、迷惑なのも確かだな」

「だろう?結果的に俺たちに損失はないようなもんなんだが、こりゃ追加料金もらわないといけない話だな」

「その分は、紙幣で封筒に入っていただろう?」

「ああ……そう言えばそうか」

 納得して、スティーブは笑う、力なく。

 その様子にもう一度、チャックがため息をついた時。

 雪を踏みしめる足音二人分が、男達の耳にも入る程度の近さと音量になってきた。


「連れ戻せたのか。それはご苦労……」

 ご苦労だった、入って休め、か何か言って、帰ってきたユキとユモをねぎらってやろうとしていたチャックは、テントの入り口をまくるなり目に入ったその二人の様子を見て、絶句してしまった。

 そこには、二人仲良く手を繋ぎ、二人仲良く目と鼻を真っ赤にしてべそべそと泣きじゃくっている、掛け値無しのローティーンの少女二人が居た。

「一体どうし……おお……」

 様子がおかしいことに気付いてテントの外を覗きに来たスティーブも、鼻をすする女の子二人を見て、こう言うのが精いっぱいだった。

「……とにかく、中、入れ」


「そんだけ泣けば腹も減っただろう。好きなだけ喰え。ユキも、もう少し喰うか?」

 木皿に盛った畜生鍋をユモに渡しつつ、スティーブはユキに聞いた。その木皿をユモは素直に受け取り、小さく食前のお祈りを呟くと、スプーンを動かしはじめる。その様子を見つつ別の木皿に鍋をよそったスティーブは、先ほどの質問に無言で頷いたユキにもそれを渡す。

「……食べながらでいいから聞いてくれ。大尉の事だ」

 丸太に腰掛け、スティーブは話し始める。ユモもユキも、目だけを上げて話を聞く。

「大尉の向かった先は、多分、ジュノー郡のキャンプダグラスで間違いない。ここから南に250マイル弱、確かに馬で四、五日といったところだ。馬で五日、大尉もそう言っていたから、俺もコロッと見落としていたんだが……」

 スティーブは、焚き火の横に地図を広げながら、言う。

「チャックに言われて思い出したんだ。真っ直ぐ行けるわけじゃないが、その近くまでは、鉄道レイルで行ける」

「……鉄道レイル?」

「こんなところに?」

 田舎生まれ田舎育ちで鉄道になじみのないユモと、鉄道王国日本出身だからこそこんな僻地に鉄道があるとは思っていなかったユキが、同時に声をあげた。

「ああ。俺も、普段は鉄道レイルなんか乗らない、馬であっちこっち行ってるから、すっかり頭から抜けてたんだが、ここから南に20マイルも行けばアシュランドだ、あそこには、港と駅があって、鉄道レイルはダルースにもシカゴにも繋がってる」

 そう言われても、北米大陸の五大湖周辺の地理に疎いユモとユキには、イマイチ、ピンとこない。

 来ないが、二人はすぐに気付く。

「……じゃあ、オーガストは!」

「電車で帰ったって事?」

電車エレクトリックじゃなくて、汽車スチームだけどね。可能性としては、あり得る。ただ、断言は出来ない」

 二人並んで匙を咥えたまま、ユモとユキは話の先を促す。

「正直、俺も滅多に使わないからよく分からないんだが、ここに一番近いアシュランドからキャンプダグラスに近いパックウォーキーまで、乗り換えだなんだかんだで鉄道レイルでも丸一日はかかる。馬を連れて行こうと思ったら、専用の貨車も必要だから、手続きやら何やらでもっと時間がかかるだろう。それに、冬場のこの季節、雪が積もったら途端に鉄道レイルは停まる。パックウォーキーからキャンプダグラスまでだって、車が用意出来れば速いんだろうけど、馬で行くとやはり半日以上かかる。結局、鉄道レイルを使っても稼げるのはいいとこ一日、下手すると天候次第で足止め喰らうって事だ」

「一日……」

 ユモは、言葉に出してみる。たった一日、でも、追う側にしてみれば、五日ほどのうちの一日は、大きい。

「逆に言うと、電車トレインを使えば、先回りできる可能性があるって事?」

 ユキが、スティーブに勢い込んで聞く。

「あくまで可能性だが。それだって、大尉がアシュランドから鉄道レイルを使っていたら、追いつくのは難しくなる」

「だとしても!」

「そう、だとしても、だ」

 勢い込むユキを手で制して、スティーブは続ける。

「そこで提案だ。ユキ、それとジュモー、俺の馬を使って、チャックと一緒にアシュランドに行って、大尉の足取りを確かめてくれ。その後、君たちは鉄道レイルでダルースに向かう。大尉の追跡は、チャックがする。これが、俺が提案出来る妥協点だ」

「……」

 ユキは、考え込む。納得出来ていないのはその顔を見れば一目瞭然だが、どう口を開いたものだかまとめられないようにも見える。

「……大尉が鉄道レイルを利用していたなら、あたし達は諦める。追いつきようがないもの」

 顎に手を当てて考え込んでいたユモが、顔を上げて言う。

「その時は、ダルースでもどこでも行くわ。その条件なら、呑むわ」

 その言葉は、朝の感情的だったそれとは違い、強く、冷静だった。

「よし、決まりだな」

 ぱん。一つ手を打って、スティーブは宣言する。

「そしたら、俺たちは大急ぎで修理を終わらせる。君たちは、荷物をまとめてくれ。基本、昨日と同じでいいだろう。昼迄に仕上がれば、日が落ちる頃ギリギリにはアシュランドに着けると思う」

 スティーブは、信頼する同僚に向き直り、言った。

「すまないが、頼めるか?」

「……他に道はなさそうだからな」

 肩をすくめ、痩身のネイティブのその男は、かぶりを小さく振りつつ、請け合った。

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