205

――お嬢さん方……聞こえていますか……目を開けて下さい……お嬢さん方――

 ユモは、聞いた事のない声が、自分を目覚めさせようとしているのを聞く。

――目を開けて下さい……やっと、私の話を聞いていただけるようになったのです……是非、聞いていただきたい……――

 しつこく覚醒を催すその声に負けて、ユモは重い瞼を開ける。開けた、つもりだった。

「……あれ?」

 だが。視野は暗転したまま。目を開け損なったかと思い、ユモは数回、瞬きする。

「なんで?」

 不審に思い、ユモは自分が半ば側臥位で横たわっている事にも気付き、起き上がろうと身じろぎする。

「……っ!」

 手をついて上体を起こそうとした時。声にならないうめき声が、体の下から聞こえる。体を支える手のひらに感じる、地面の固さではない、ぐにゃりとした感覚。

「え?」

 あわてて手を引っ込めたユモの、その手を追うように、体の下から声がする。

「……目が覚めた?なら、悪いけどちょっとどいてくれない?乗っかられたまんまだと、治るものも治らないから……」

 姿こそ見えないが、それは、確かに聞き覚えのあるユキの声。理由は分からないが、どうやらユキはユモの下に居て、ちょっと苦しそうだ。

「あ、ごめんなさい、今どくわ」

 これ以上、下になっているユキに負担をかけないように注意しつつ、ユモは手探りでユキの体の上からその横に降りる。降りきったと思った途端に、ユキの深いため息が聞こえる。

――お二人とも、お目覚めのご様子ですね。改めまして、私の声が、聞こえてますでしょうか?――

 ユモの耳に、さっきの声が聞こえる。若い男のようであり、若作っている老獪な策士のようでもあるその声色は、やはりユモの記憶にはない。

「……誰?どこに居るの?」

 ユモは、辺りを見まわしつつ問いかける。見まわしても、周りは漆黒の闇ばかり、自分が目を開けているのか、そもそも覚醒しているのかすら疑わしくなる。

「私は……そう、エマノン・ニーマント。そういう名前でした。どこに居るかと言われれば、あなたの首から下がっている、と言うのが一番正確でしょうか」

「え?ええ?」

 言われた事が今ひとつ理解出来ず、ユモはそれでもとりあえず自分の胸元に手を当てる。首から下げていると言えば……これしかない。

 ユモは、胸元から二つのペンダントを取り出す。一つは、源始力マナを蓄積する水晶玉。もう一つは……

「そう、それが私、エマノン・ニーマントです」

 耳の中に直接響くように聞こえるその声は、しかし、確かにその、正体不明の黒い多面体トラペゾヘドロンから聞こえてくるように思えた。


「……するってえと?整理させて?その宝石の中に封じられてる意思?人格?がエマノン・ニーマントと言う名前のあなた、って事?でいいの?」

 真っ暗闇の中で、恐らくはユモが右手に吊す黒い多面体トラペゾヘドロンを挟んで額を寄せ合うが如くにユモの目の前に居るユキが、多面体トラペゾヘドロンにそう問いかける。

「その認識で、間違いありません」

 エマノン・ニーマントと名乗る黒い多面体トラペゾヘドロンの中の人格は、そう答える。声ではない、空気の振動としての音ではない声で。

 エーテルの振動だ。ユモは、直感する。エーテルの振動を、直接鼓膜に作用させて音声として認識させているのだ、と。

 魔法において、呪文とは、単なる音声ではない。通常の人間は音声としてしか言葉を発し得ないが、人間の限界はその程度ではない。完全ではないが、イメージを同調させる訓練を積む事で、音声に合わせてエーテルに影響を与える事も可能であり、それこそが呪文の詠唱に必要な、精霊に言霊を伝達する手段として必須の技術であり、それが故に往々にして魔法使いは呪文を『振動させる』と表現するのだ、ユモは、母からそう教わっていた。

 だから。恐らくこのニーマントなる何者かは、聞かせたい相手の鼓膜にエーテルの振動を伝える事で、会話を成り立たせているのだ、とユモは理解した。つまり、このエマノン・ニーマントなる何者かは、エーテルを振動させる程度には、魔法的な素養を持っているのだ、とも。

 ……それにしても。

「……ユキ、あんた、本っ当に動じないわね、こういうの……」

「いやだって。あたしかあんたの腹話術でない限り、誰かがここに居てしゃべってるのは事実で、でも少なくともあたしとあんた以外にはここには人気はない、だったら、この玉から声が出てると認めるしかないでしょ?大体、人形だの石像だのに魂がこもって動いたりしゃべったりってよく聞く話なんだから、これくらい驚くほどのもんじゃないでしょ?」

「よく聞く話って……よく聞くような環境なの?あんたのまわりって……」

「いやまあ……自慢じゃないけど、まあ」

 ユキの、頭をかく気配が暗闇から伝わってくる。

「……まあいいわ。今は話せないって言うんならこれ以上聞かないけど」

 相手のためにも、教えない方がいい事だってある、お互いに。ユモは、そう思い、いったんは好奇心の矛を収める事にする。

「じゃあ、ニーマントさん、あなたが教えて」

 ユキに対する矛を収めた代わりに、ユモはその矛先を変える。

「この事態に関して、知ってる事、全部」


「……ここは、先ほどあなた方が居た所からほぼ真下に50mほど下の、ほぼ垂直な洞窟の底です」

「……ありがたい情報だけど、聞きたいのはそういう事じゃなくて、って、50m?」

 ニーマントが語った事実に、遅れて気付いたユモが、声をあげる。

「そんなに落っこちて、よく生きてたわね……」

「それは、途中で何度もあちこちにぶつかって、その都度ユキさんがユモさんを庇っていたからですね」

「そうなの?」

 ユモは、ニーマントの声のする方、自分の右手のひらの下20cm程の位置から、ユキの声がしていたあたりに視線を上げる――何も見えないが。

「いや、えっと、うん、まあ、ね」

 照れの入ったユキの声が聞こえる。その顔を見てやりたい。ユモは、無性にそう思う。

「……まだるっこしいわね。ちょっと待って、明かりを点けるから。父と子と精霊の御名の元に……」

「おおっと、待って下さい、明かりは……」

「……は願う、この指先に、わずかばかりのかりそめの明かりを灯したまえ」

「いけませ……」

  ニーマントの静止は耳に入っていたが、あまり深く考えずにユモは源始力マナを使って明かりを灯す呪文を唱えた。こちらに来た時にほとんど空っぽだったユモの体内の源始力マナは、食事をして一晩きちんと寝たおかげである程度は回復している。この程度の呪文であれば、源始力マナの消費は雀の涙、問題にならない。どちらかというと、その源始力マナの消費量の事の方を心配していたユモは、だから、ニーマントの静止の意味を深く考えなかった。

 呪文を唱えながら、流れるような慣れた仕草で指先にほんの少しだけつけた聖灰に、ほんのりと明かりが灯る。

「……うん、やっぱり明かりがあると落ち着くわね。で、続きなんだけど……」

 しばし、沈黙。

「ちょっと、だから、続き」

 沈黙。

「ちょっとお!」

「ねえ、あのさ、もしかしてなんだけど」

 ユキが、ほんのりと光るユモの指先と、その手からぶら下がるチェーンの先端の多面体トラペゾヘドロンを交互に見ながら、遠慮しがちに言う。

「この人、光がある所だと、しゃべれないんじゃない?」

「……え?」

「だってさ、この宝石、今までずっと光るヤツと一緒にあったんでしょ?で、しゃべれるんなら、もっと早くにしゃべってたんじゃない?だとしたら、さ?」

「あ……」

 ユモは、ユキの指摘が正鵠を射ている、ような気がしてくる。その事自体がちょっと癪で、う~とか唸りつつ、指を振って明かりを消す。

「いやはや。ユキさん、ご明察です」

 再び訪れた、鼻をつままれても分からないような暗闇の中に、ニーマントの声がした。

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