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 ユモとユキがテントから出る、直前。

「あんた、一体……」

 ユキは、投げ渡されたオーバーコートを胸に抱えながら、低い声で聞いた。

「あたしは、ジュモー・タンカ。メーリング村の雑貨屋の一人娘。それだけ。いい?」

 テントの出口に向いていたユモは、くるりと振り向いて、言う。体を追って、長い金の髪もくるりと回り、入り口の隙間からこぼれる光を受け、輝く。

「野暮は言いっこなしよ、いいわね?」

 そう言って、ユモは小首を傾げ、笑う。満面の笑みで。

 魅了。魔女にとって、魔女見習いであるユモにとって、もっとも源始力マナのコストのかからないまじない。

――何が言いっこなしよ怪しさ大爆発よバレバレよあんた何者よふざけんじゃないわよ……――

 ユキは、しかし、そのユモの笑顔を受けて、思う事が多すぎて内心、疑問が大渋滞を起こす。そして。

――……まあいいか、あたしだって――

「……わかった」

 言って、ユキはユモに右手を差し出す。

 ユモは、その手を笑顔で握った。

 自分の魅了のまじないが効かなかったことには気付かずに。


「そうか……さっぱり分からないな」

 ユモの告白を受けて、スティーブは肩をすくめ、

「で?」

 ユキに、話を振る。

「あたしは……あたしも、何が何だかよくわかんないんですけど。空から急にジュモーが降ってきて、びっくりして、受け止めたら、そしたら気が付いたらテントの中で寝てて……」

「あたしが、降ってきた?」

 聞き捨てならない。そんな感じで、ユモが話しを割る。

「そうよ。急にふっと、空中に湧いて出てきて。そのまま落っこちたら大怪我すると思って受け止めたら、なんかこう……よくわかんないんだけど」

 真剣な顔でユキを見つめるユモに視線を向け、出現する直前と護岸擁壁に吸い込まれる時の魔法陣の事とか、雪原に出現して全力で着地したこととかはさておいて、ユキは言っても問題なさそうなことだけをピックアップして言葉にする。

 無意識だったらしくてほとんど覚えてないけど、どうやら自分が熊をアレしてコレしたらしいことも、隠蔽して。

「なるほど……さっぱり分からん、が」

 スティーブは、息を吐きつつそう言うと、

「君たちが最初から一緒だったわけではない、というのは分かった。二人とも、軍服みたいな妙な服を着ているから、てっきり、どこかの軍隊の関係者なのかもしれないとかも考えていたんだが」

「え?このセーラー服が、ですか?」

 ユキは、思わずオーバーコートの胸元から自分の制服を覗き込む。

「……あたしのコートは、パパファティのお下がりよ。あたし用に寸法詰めたけど、パパファティは軍人だったから、そう見えてもおかしくはないわね」

「そうか、お嬢ちゃんの」

「お嬢ちゃんは止めて下さる?えっと、ジュモー、でいいわ」

「これは失礼、ジュモー君のお父さんは軍人だったのか。どこの軍隊だろう?」

「詳しくは知らないわ、パパファティママムティが結婚する前の話だから」

「……プロイセンのものに似ている気はします。まあ、当時、どこも似たようなものでしたが」

 それまで会話に積極的に加わらず、しかし話を聞いていないわけではなさそうだったオーガストが、突然言った。

「そうですか?ああ、モーリー大尉も前の戦争に従軍されてましたっけ」

「ええ、君もでしょう?」

「そうですが、僕は一兵卒で、志願したのも遅くて前線には一度しか出てませんから……正直、敵も味方も泥まみれで良く覚えてないです」

「そうですか……私は、野戦病院その他で敵兵も多く診ましたからね」

 前の戦争。ユキは、世界史の知識を思い出そうとする。ええと、今は、今日は1925年って言ってたっけ。それ自体まだ信じられないけど、それが本当だとして、第二次大戦は1941年からだから、えっと、その前は、第一次大戦?西暦何年からだっけ?

「まあ、どこの軍隊でも関係ありません、今は戦争中ではないですからね。それより、あなたのその服も少々気になります」

 オーガストは、そう言ってユキに視線を向ける。

「え?あ、あたし、ですかあ?これ、学校の制服です、ただの制服、ですけど」

「なるほど、制服のあるような、立派な学校に通っているのですね?」

「いえいえ、そんな」

 確かに、自分の通っている学校は私立だし、両親に経済的に負担をかけている自覚はあるが。その両親も元を正せば同じ学校の卒業生だし、制服のある学校は、日本では珍しくない、どころか、小学校ならともかく中高では制服はない方が珍しい。そう思って、ユキはあわてて、

「普通です普通、みんな普通に制服です」

「なるほど……日本は、よほど教練・・が進んでいるのですね」

「いや……教練て」

 何か違う。ユキは、オーガストの目が、ほんのわずかだが、何か怪しげな光を帯びているのに気付いた。


「それにしても、信じがたい話だね」

 あらかた鍋の中身がなくなり、スティーブはコーヒーのお替わりをパーコレーターから注ぎつつ、言う。

「どこか別の場所から、ここに飛ばされて?来たと。科学的には、あり得ない話だね」

「けど……」

 嘘は、ついていない。言った事を疑われているのかと思い、ユキは抗議しようと身を乗り出し気味に口を開く。

「いや、うん、分かってる。君たちは嘘はついてはいないと、僕も思っているんだ。しかし……」

「イタクァなら、あり得るかもしれない」

 取りなそうとしたスティーブの言葉にかぶせて、チャックが言う。

「……あの、さっきから出てくる、そのイタクァ?って、何ですか?」

「……土着の、神のような存在のことです」

 コーヒーのマグカップを置いてパイプを取り出したオーガストが、ユキの質問に答えた。

「このあたりは、有史以前から土着の民族が居たようです。現在このあたりに居るネイティブと直接関連があるかは分かってませんが、伝承自体はかなり以前から言い伝えられているらしいので、関連性は高いものと思ってます」

 急に饒舌に話し出したオーガストに軽く引きながら、ユモとユキは話を聞く。

「その伝承の中に、イタクァという自然神、そう表現するしかない何者かが登場します。伝承によってその描写にブレがありますが、大まかには、巨人の姿をした雲の塊、と思って下さい。そのイタクァは、これも伝承によれば、ごくまれに、遭遇した人間を自分の住み処すみかに連れて行く、複数の伝承でそう伝えられています」

 オーガストは、パイプに火を点ける。

「そして、イタクァに連れ去られた人間は、運が良ければ、帰ってきます。ただし、同じ場所、同じ時に帰れるわけではありませんし、生きて帰れるとも限らない。いや、生きて帰れるのは珍しい、と言うべきでしょう」

 パイプを吸い、オーガストは紫煙を吐き出す。

「ただし、生還した者は、超人的な力を得ている、そう伝承にはあります。超人的過ぎて、地上の生活にもはや適応出来ず、高山に隠れたり、イタクァの住み処に戻ったりする、とも。そんなのは迷信、ネイティブの世迷い言、そう思われてもいました」

 黙ってオーガストの語りを聞いていた、スティーブの後ろのチャックの顔に、一瞬、かすかだが、苦々しげな表情が浮かんだことを、ユモとユキは見逃さなかった。

「これとは別に、少し前、この地域で、ある犯罪者が逮捕されたのですが、これがどうにもおかしかったのです。簡単に言えば、喰らうために人を襲ったのですが、逮捕時の様子から、これはこの地域でいう『ウェンディゴ症候群』と呼ばれる病状だと診断されました。そして、時間が経つにつれ、ウェンディゴ症候群と診断される犯罪者、あるいは浮浪者、そういった不逞の輩がこの地域で急増している事が判明しました。事ここに至り、カウンティからの報告を知った陸軍アーミーは調査のために私を含む数名を派遣、私はこの地域に詳しいオースチン君に案内を依頼し、調査目的地に到着直前にあなた方が現れた、こういう訳です」

 一気に話し、話し終えたオーガストは深くパイプを吸い、満足げに鼻から煙を吹き出す。そして、付け足す。

「補足するなら、ウェンディゴはイタクァの別名でもあります。そして、ウェンディゴ症候群の患者の何割かに、伝承における、イタクァに連れ去られた者と似通った症状が診られています。曰く、低温環境でなければ生存できない、逆に低温や低圧環境でも問題無く生きられる、元の性格から変貌し、非常に凶暴化する、などです」

「そんな……あたし達は」

 ユキは、怖ろしいことを平然と、むしろ講釈を垂れるように自慢たらしく言うオーガストに軽く引きつつ、自分とユモは凶暴化も、寒いのに強くもなっていないと主張しようとする。

「そう、その意味で、あなた方はイタクァに連れ去られた者の要件を満たしていない、そう言って良いと思います」

 オーガストは、鷹揚に頷いて、ユキの言わんとする事を先取りして答える。

「全ての犠牲者がそうだったわけではない。そうなった者の大半が生き残り、そうならなかった者は大半が死んだ、そういう事かも知れん」

 チャックが、オーガストの話しに続けて、言った。オーガストは、それにも頷き、

「その通りです。イタクァに連れ去られた場合、圧倒的に帰って来れない伝承の方が多い。帰ってきても、多くは高い所から放り出されて墜落死している。それに」

 オーガストは、パイプの灰を焚き火に落としてから、ユモとユキに目を向ける。

「運良くまっとうなままで生還しても、いつの間にか居なくなってしまっているという伝承もある。時間差で症状が出てきたものと、私は推測しています。まあ、あくまで伝承、口伝なので、伝承全体についても、信憑性には疑問はありますが」

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