103
「さて、と。コートがあるって言ってたわよね……」
何でもないことのように、くるりと踵を返したユモは、ユキをほっておいて、ブロンドの男性に言われたコートを探し始める。
「……これ、かな?うわ、おっきい」
天幕そばに引っかけてあった、かなり古ぼけ、汚れてもいるオーバーコートを手に取り、その大きさと重さにユモは少したじろぐ。
「……ちょっと!ねえ!」
そのユモに、ユキは後ろから声をかけ直す。
「一体……」
「話はご飯食べながら!」
ユキの言葉を制し、ユモは振り向いて、人差し指を立て、振りつつ、言う。
「言っとくけど、あたしも何が何だかわかんないの!だから、分かってる人にこれから聞くの!
「分かってる人って……ってうおっ!」
それっ、と小さく気合い入れながらユモが投げてきた布の塊――着古したオーバーコート――を、ユキは咄嗟に受け取る。
「それ着たら行くわよ。っと、その前に……」
自分もオーバーコートに袖を通しながらユキに近づいてきたユモは、
「父と子と精霊の名において。大魔術師マーリーンに連なる我、ユモが願う。この布きれに、凍える冬も灼ける夏もわれらを護る精霊の加護を与えんことを。アテー マルクト……」
「まず自己紹介しておこうか」
ユモとユキが焚き火のそばに来て、並んで倒木に座り、赤銅色の肌の男からスープ――らしきもの――の皿を受け取ったところで、ブロンドの男が切り出した。
「僕はスティーブ。スティーブ・オースチン。ここいらへん一帯を取り締まる
「マーシャル?」
聞き慣れない言葉に、ユモが聞き返す。
「ああ、
ジャケットの胸の保安官補のバッジを見せながら、スティーブは笑う。
「今は、
スティーブは、コーヒーの入ったマグカップで、隣に座る赤銅色の肌の男を指す。男は、小さく頷く。
「組んで動いてる。依頼者の代表が、彼さ」
そのスティーブのマグカップが、焚き火を挟んでスティーブ達とほぼ向かいに座る、スティーブに比べればむしろ小柄な、眼鏡をかけた黒髪の壮年の男を示す。視線を上げ、ユモとユキに向けた男は、
「……私は、アメリカ陸軍の軍医、オーガスト・モーリー陸軍大尉です。今回は、ある調査の立ち会いとして、オースチン君に同行してます」
そう言って、オーガストは視線を膝の上の皿に戻し、豆とベーコンのスープに、堅そうなパンを浸す。
「……君たちも、冷めないうちに食べたまえ。それから、僕の相棒、チャックだ」
オーガストの仕草に、やれやれという顔で肩をすくめて見せたスティーブは、隣の男に話を振る。
「……俺はウチャック。チャックでいい。オースチンに雇われている」
ひげ面で、痩身。スティーブより多分少し年上、まず間違いなく、ネイティブアメリカン。だが、その事は口にしない、言外に伝わるに任せる。見るからに、語るからに寡黙そうな、しかし実直そうなその男の人となりを、ユモもユキも、そう判断した。
「それで、良ければ君たちの事を聞かせてくれるかな?」
スティーブが、ユモとユキに水を向ける。
「……その前に、教えて下さる?」
ユモが、スティーブに聞き返す。
「ここはどこで、今日は何年何月何日?」
「……ここはベイフィールド、ウィスコンシン州ベイフィールド郡。スペリオル湖のすぐ側だよ。それから」
ちょっとだけ不思議そうな顔を、何をわかりきったことを聞くのかという顔を一瞬だけ見せたスティーブは、それでも素直に現在地を言う。『アメリカ合衆国』という国名を抜かしたのは、ここがアメリカである事が、当たり前以前であるという認識なのだろう。
「今日は1925年1月19日、今は……」
懐中時計を取り出して確認したスティーブは、言い切る。
「午前7時5分過ぎ、か」
それを聞いてユモはため息をつき、ユキは息を呑んだ。
「あたしは、ジュモー。ジュモー・タンカ。生まれも育ちもメーリング村の、雑貨屋の娘よ」
「ジュモー?」
聞いたことはあるが、女の子の名前としては聞き覚えのないその名前に、スティーブは眉を寄せる。
「人形メーカーの名前、ですね。フランスだったかドイツだったか、いずれにしろ欧州ですな」
スープを啜る匙を止めて、オーガストが言った。
「なるほど。そっち系の名前か。で、そっちのお嬢さんは?」
スティーブは、マグカップを両手で持って、今度はユキに水を向ける。
「あたしは、ユキ。ユキ・ターキー……かな。日本人よ……これ、ちゃんと下ごしらえ、しました?」
ユキは、平静を装いつつ、頭の中はフル回転で、本名に近い名前を咄嗟に作って、名乗る。これなら、意識しなくても、呼ばれれば返事出来る、と思う。
「日本人!これはまた……豆と一緒に煮ただけだけど?」
「アクは取った?」
「そりゃ、少しは」
「これ、多分だけど、熊の肉ですよね?ちゃんとやればもう少し美味しくなったと思う。あと、お味噌があればもっとよかったんだけど」
「口に合わなかった?ミソって?」
「豆の発酵食品です、日本の。別に不味くはないけど、もう一手間でもう少しは美味しくできたと思って」
「そうか……幸い、その肉はまだ少しは残ってる、良かったらレシピを教えてくれないか?それから」
マグカップを置いてスープの皿を持ち、豆と肉を一緒に大きいスプーンですくいつつ、スティーブが聞いた。
「どうして君たちが、熊と一緒にあんな所で倒れてたのか、教えてくれないか?」
「熊と一緒に?」
食べられなくはないけど、これはギリギリのラインの食事よね、そう思いつつスープを、味付けは塩だけらしい、インゲン豆らしいものと熊だという脂の多い肉を煮込んだだけの液体に切り分けられた堅いパンを浸していたユモは、顔を上げて聞き直す。
「そうだ。お前達は、死んだ熊のそばに倒れていた。付近に、熊以外の足跡はなかった」
スープとパンを頬張っていて口がきけないスティーブに替わって、チャックが答える。
「熊は、心臓を撃ち抜かれて死んでいた。銃声らしきものは聞いたが、色々辻褄が合わない」
「……チャックは、疑ってるんだ。君たちが、その、イタクァに『獲られた』ものなんじゃないか、ってね」
口の中のものを呑み込んだスティーブが、言葉を切ってスープを掻き込み始めたチャックの後を継いで言った。
「夕べ、夜中、僕たちはものすごい銃声を聞いた。銃声というより、砲声と言うべきかな。テントが震えたよ。慌てて飛び起きたら、遠くから熊の声が聞こえてね。僕は一応は密猟の取締や治安維持も
「お前達は銃も何も持っていない。お前の腰の剣は刃がついていないし、そもそも抜いた形跡がない。だから、お前達が熊を倒したのではないだろうし、そもそも子供二人で倒せるような相手ではない」
「済まないが、立場上、持ち物は簡単に改めさせてもらったよ。調べただけで何もしていない、神に誓って。それから、そのまま放置したら間違いなく凍死するから、とにかくテントに運んで寝かせて、改めて熊を調べたんだ」
「熊は鼻に傷があったが、致命傷ではない。死因は、心臓を撃ち抜かれたこと。だが、貫通していないのに弾が見つからない。傷も、銃創とは違う感じだった。そもそも、よほどの優れたハンターが相当威力のある銃で仕留めない限り、たった一発で、あれは出来ない」
疑われているのね。まあ、それはそうよね。交互に話し、交互にスープを頬張るスティーブとチャックのコンビの話しを聞きながら、ユモは思う。
その現場、自分たちが倒れていたという現場を見ていないから何とも言えないけれど、心臓を一突きされて死んだ熊の隣に女の子が倒れていれば、誰がやったんだ、って話になるのは当然だろう。
けど。残念だけど、ユモもまったく心当たりが無い。だとしたら、知っているのは隣に居るユキ、だろうか?
ユモは、そのユキを見る。ユキは、味に頓着がないのか、モリモリと遠慮なくスープとパンを詰め込み、さりげなくスープのお替わりをすくっているところだった。
「……あたし?あたしも、なんにも……」
ユモの視線に気付いたユキは、口の中のパンと肉をもぐもぐしつつ、つぶやく。
「……まあ、そりゃそうだよな。女の子二人で、熊をどうにか出来るわけがないよ、チャック」
「俺もそこは認める。だが、そうすると辻褄が合わない」
「そうなんだよな。そもそも、君たちはどうしてあそこに倒れていたんだい?」
「それは……」
ユモとユキは、偶然ハモり、お互いに顔を見合わせる。口裏を合わせるとか、そういうのではなく、そもそも二人とも、何が何だか分かっていない、互いに何故一緒にテントに寝かされていたのかすら理解出来ていないのだ。
――いやいや。ちょっと待って、思い出してきた……――
ユキは、スプーンをくわえて、記憶を辿る。
――たしか、金髪の女の子が落っこちてきて。あ、それがジュモーか。そんで、よくわからないけど、どっかの雪国に吹っ飛ばされて……ああ、そこがここか。で……――
ユキも、思い出せるのはそれくらい。信じてもらえるかはともかく、自分でも今ひとつ信じられないけれど、ここに来た経緯は何となく説明出来そう。だけど、熊は……
……あ。ユキは、ちょっとだけ思い出す。あたし、やっちゃったかも。
「……あたしは、何も覚えてないの」
そんな、内心色々と葛藤が始まったユキには気付いているのかいないのか、ユモが語り出す。
「記憶喪失とかそう言うんじゃなくて。朝、
よく分からないけど、わかる。ジュモーは、何か隠している。ユキは、直感的にそう思う。 それは、テントを出る直前の会話に、ヒントがあった。
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