第66話 デーティング

 周囲の乗客の視線が痛かったが、電車は一駅だけなのですぐに栄町駅についた。

 愛乃も知香も透の腕を放そうとしなかったけれど、さすがに密着されたままでは歩きづらい。


 透が頼むと、二人とも名残惜しそうに離れていった。


「まあ、あとでいくらでも機会はあるし……」


 知香がそんなことをつぶやく。愛乃が「あれ?」という顔をして、ふふっと笑った。


「近衛さん、透くんとイチャつくつもりなんだ?」


「そうよ。悪い?」


 吹っ切れたのか、知香は愛乃をジト目で睨み返す。少し顔は赤いけれど。

 愛乃は優しい表情になる。


「悪いことなんてないよ。近衛さんには自分の気持ちに正直になってほしいから」


「どうして?」


「近衛さんにはちゃんと透くんにアプローチしてもらって、その上でわたしが透くんに選ばれるの」


 愛乃は歩きながら、はっきりとそう言った。

 以前、透と二人きりのときにも、愛乃は言っていた。


 知香は透のことが今でも大事で、透も今でも知香に未練がある。だから、愛乃は知香に勝って、何のためらいもなしに透に選んでもらえるようになりたい、と。


 今の透にとっては、愛乃は婚約者で大事な存在だ。愛乃を守ると約束した。もちろん、いちばん大事なのは愛乃だ。

 それでも、幼馴染で従妹で元婚約者の知香が、特別な存在であることは否定できない。


 だからこそ、愛乃は宣戦布告をしたのだと思う。

 知香も顔色を変える。


「あなたが幼馴染の私に勝てると思っているの?」


「今の透くんなら、わたしの方を大事にしてくれるよ?」


 そして、愛乃は「そうだよね?」と透を上目遣いに見る。その青いサファイアのような瞳に、かすかに不安の色があった。


(今の俺は愛乃さんの味方なんだよな……)


 だとすれば、答えは決まっている。


「俺は愛乃さんの婚約者だからね」


 透がそう言うと、愛乃はぱっと顔を輝かせる。

 一方、知香はショックを受けたように固まっていた。しばらくして、「……悔しくなんて、ないんだから」ととても悔しそうに言う。


 どう見ても悔しそうだ。知香を傷つけるのは本意ではないけれど、それは透にとって譲れないラインだった。

 三人での同居を認めて、さらに婚約者の愛乃と疎遠だった知香を平等に扱ったりしたら、「さすがに男としてどうなのか?」と自分のことを思ってしまう。


 けれど、愛乃はもう一歩踏み込んだことを考えていたようだ。


「デーティングって言葉、知ってる?」


 透と知香は顔を見合わせた。

 知香は首をかしげる。「知らない」ということだろう。知香は学年一位の優等生だけれど、なんでも知っているというわけではないらしい。


 けれど、透はその言葉を知っていた。


「たしかアメリカとかの恋愛用語だよね」


 日本では告白を経て彼氏彼女は付き合うことになる。ただ、海外ではそもそも告白という概念がない場所も多いらしい。


 そこで登場するのがデーティング。交際前のお試し期間で、男女がお互いの相性を確かめるらしい。

 

「さすが透くん。なんでも知ってるね」


「こういう役に立たない知識には詳しいから」


「ふふふ、謙遜しなくてもいいのに。それでね、フィンランドも同じなの。お互いを好きって言ったり、付き合ってほしい、みたいなことは言わない。いろんな異性と知り合って、仲の良い相手と少しずつ恋人になっていくの」


「へえ……」


「だからね、わたしたちもそうしない?」


「え?」


「透くん、わたし、近衛さんの三人でデーティングをするの」


「それって、つまり……」


 デーティングのあいだは愛乃も他の異性と付き合うことができてしまう。

 透の言いたいことに気づいたのか、愛乃は慌てて首を横に振る。


「もちろん、わたしは透くん一筋だよ!?」


 愛乃は言ってから、恥ずかしそうに透を上目遣いに見る。

 そんな愛乃を見て、知香が口を挟む。


「つまり、私とリュティさんで透を争うってこと?」


「そうそう。そのとおり。負けたら恨みっこなしってことで。どう?」


「それって私に何のメリットがあるの?」


 透は今の話を聞いていて気づいた。

 この話は知香にとってはとても有利だ。そもそも透と愛乃は婚約者だ。そして、それは近衛家も後押ししているし、透自身も愛乃を婚約者とすることを受け入れた。


 一方、知香は透と幼馴染で元婚約者だけれど、状況を考えると逆立ちしても透と付き合える可能性はない。

 しかも、明日夏のようなライバルもいる。

 

 なのに、圧倒的に有利な条件の愛乃と対等に戦えるわけだ。


 愛乃が透とまったく同じことを説明する。こういうところを見ると、学校の勉強はそれほど得意でなくても、愛乃は頭の回転が早い。


 知香は「なるほどね……」とうなずいた。

 ただ、透は気になることがある。


「それは……あまりにも俺に都合がいいというか、その……」


 透だけが美少女二人を天秤にかける権利があるわけだ。

 そんなこと許されるとは思えない。


 けれど、愛乃はふわりと微笑み、知香もくすりと笑う。


「わたしは問題ないよ。最後に勝つのはわたしだって思っているから」


「私も。もちろん、私も透以外の男の子と付き合ったりなんてしないし……透を絶対、取り戻してみせるんだから」


 愛乃と知香にじーっと見つめられ、透は困ってしまう。


(いや、美少女二人に迫られるのは嬉しいけれど……)


 最後には結局、どちらかを選ばないといけない。今のままなら透は愛乃を選んで、知香を傷つけてしまう気がする。

 

 愛乃が人差し指を立てる。


「それじゃ、第一ラウンドだね!」


 愛乃が視線を向けたのは、街中にあるカラオケ店だった。




<あとがき>

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