第44話 知香の本当の思い
「透、どうしたの?」
知香が首をかしげる。
風呂に浸かった知香が目の前にいる。
しかも、バスタオル一枚しか巻きつけていないし、しかもそのバスタオルが透けている。
知香は、自分のバスタオルが水で透けたことに気づいていないらしい。
知香の小さな胸の桜色の突起を見てしまい、透は動揺する。
あどけない表情で、知香は微笑む。
「こんなふうに透と話をする日が来るなんて思わなかった」
「俺もね。というか、俺のこと、『透』って呼ぶんだ?」
婚約破棄以来、知香は頑なに、「連城くん」と透のことを呼んでいた。
けれど、愛乃が透の婚約者となってから、知香も「透」呼びに戻っている。
こないだ近衛家の屋敷で会ったときは、愛乃にそのことを指摘されて、知香はうろたえていた。
でも、今の知香は静かにうなずいた。
「だって、私たち、幼なじみでしょう? だから、それが自然な気がするから」
「まだ、俺のことを幼なじみだって言ってくれるんだね」
「だって、事実だもの。……たとえ婚約者でなくなっても、透が私のことを嫌いになっても、私たちが幼なじみだったことは、変わらない」
そう言うと、知香は恥ずかしそうに目を伏せた。
相変わらず知香のタオルは際どい状態だったけれど、それより驚いたのは、「透が知香を嫌っている」という発言だ。
逆のはずだ。
たしかに透は知香を見捨てて逃げたかもしれない。でも、それで嫌いになったわけではない。
逆に、知香が透を憎んでいるのだと思っていた。
知香は透と婚約者だったことを思い出したくないとも言った。そして、透を突き放すような冷たい態度を取っていた。
嫌われているのは、透の方だったと思う。透が知香を見捨てて、誘拐犯から一人だけ逃げたから。
透がそう言うと、知香はもじもじと小さな手を、大きな胸の前で組み合わせた。
「そうよ。私は透のことなんて大嫌い。でも、それは……透が私を見捨てて逃げたことが理由じゃないの」
「違うの?」
「透が逃げちゃったことがショックじゃなかったら嘘になる。でもね、本当に嫌だったのは、透と私の婚約が破棄されたことだったの」
「え?」
「透は、私との婚約が破棄されるのも、家からも追い出されるって聞いても、仕方ないって諦めていたでしょう?」
「まあ、そうだね」
言われてみれば、そのとおりだ。知香たちへの罪悪感もあったし、もともと近衛家の傍流の存在でもあるし、ぞんざいに扱われても仕方ないと思っていた。
でも、透以外の人間がそう思っていたとは限らない。
知香は言う。
「どうして……あのとき、透は全力で抵抗してくれなかったの? 『近衛知香の婚約者でいたい』って、一言でも言ってくれればよかったのに。そうすれば、私は透を許せたのに。透と一緒にいられるように……できたかもしれないのに!」
知香は悲痛な声でそう言った。
透は、知香がそんなふうに思っていたなんて、全然知らなかかった。あのとき、愛想を尽かされたとばかり思っていたのだ。
知香が黒い瞳で上目遣いに透を見つめる。
「私って、透にとってそんなにどうでもよい存在だったの? 従妹なのに、幼なじみなのに、婚約者だったのに、透は私なんていなくても平気って顔で、家から出ていっちゃった」
「そうするように近衛家から言われたんだよ。知香が決めたことじゃないけど、それでも俺は逆らえなかった」
「わかってるよ。私も悪いのは、わかってる。だけど……透がリュティさんと一緒にいて幸せそうにしているのを見ると……許せないの。私はやっぱり、いらない子だったんだって」
知香の瞳から一筋の涙がこぼれた。そして、耐えきれなくなったのか、しくしくと泣き始める。
目の前にいるのは、幼い日の知香と同じで、弱く孤独な、助けを必要としている女の子だった。
透は知香のしなやかな美しい体が、ほとんど裸であることも、バスタオルが水で透けていることも、忘れてしまった。
ただ、目の前の幼い少女を慰めてあげたかった。
だから、透はそっと、知香の背中に手を回す。
「透……?」
知香が泣き止んで、透を見上げる。
そして、透は知香をぎゅっと抱きしめた。そうしたのは、愛乃に対する異性としての感情によるものではなく、家族愛のようなものが原因だったと思う。
だけど、見ている側が、そう思うとは限らない。
風呂場の扉が開き、愛乃が現れたのは、そのときだった。
<あとがき>
さらなる修羅場へ……!
面白い、愛乃vs知香がどうなるか気になる……!という方は
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