第14話 過去と未来
「俺が近衛さんと幼馴染で、しかも従兄妹だってことは知っているよね?」
「うん……婚約者だったことも知ってる」
愛乃はこくこくとうなずいた。当事者の知香が暴露したけれど、本当は透と知香の関係は秘密だ。
こんな秘密が学校中にバレた日には、面倒なことになることは間違いない。ただでさえ、知香と親しくなりたい男子は多いのだから。
「ということで、このことは絶対に秘密にしておいてほしいんだけど」
「うん。……そっか、連城くんの秘密を知っているのは、近衛さんとわたしだけなんだね」
なぜか嬉しそうに、愛乃はふふっと笑った。
知って面白いような話では無いと透は思うけれど、愛乃は上機嫌の様子だった。
「もともとさ、知香は身体が弱い子だったんだよ。病気で入院と退院を繰り返していたし、小学生のときは学校に行けない日も多くて」
「へえ。今ではぜんぜんそんな感じがしないけど」
「まあ、今ではすっかり元気だし、弱点なんて一つもないけどね。ただ、昔の知香は病気のせいで、一人でいることが多くて、ふさぎこんでいることも多かったんだよ」
「そういうとき、連城くんは、近衛さんと一緒にいたの?」
「そのとおり。それが俺の役目だったから。寝ている近衛さんの隣で、俺が話し相手をして、知香……近衛さんは楽しそうな顔をしていたっけ。婚約者になったときに、『何があっても知香を守るし、どんなことがあっても知香のそばにいる』って俺は言った。小学生なのにカッコをつけて、今思い出すと、恥ずかしいんだけれど。でも、近衛さんは……嬉しそうだった」
透は一瞬、懐かしい気持ちになる。昔は透と知香の関係も違った。そのときの知香は透のことを必要としていたのだ。
透ははっとする。目の前の愛乃がちょっと不機嫌そうに透を睨んでいる。
「なんか……のろけ話みたい」
「今も俺と近衛さんが婚約者だったら、そうかもしれないけど、現実は違うからね」
愛乃は「しまった」という顔になり、おそるおそるといった感じで透を見つめる。
「ごめんなさい。無神経なことを言ったかも」
透は微笑んだ。もし無神経だとすれば、それは透も同じことだ。
「べつにいいよ。つまりさ、俺は近衛本家に、近衛知香を守る盾であることを期待されていたよ。それが、俺の婚約者としての役割だった。なら、その俺が婚約者の地位を失ったのはどうしてだと思う?」
「ええと、役割を果たせなかったから?」
「そのとおり。俺は近衛さんを守れなかったんだよ。近衛さんは、知っての通り、大手企業グループの令嬢だから、いつも護衛がいるんだけど、それでも完璧じゃなかった。中学一年生のとき、身代金目的で、近衛さんは誘拐された。ついでに俺もね」
「そ、それって大事件じゃ……」
「ニュースにはならなかった。警察とマスコミのあいだで取り決めがあったから。でも、俺と近衛さんにとって大事件だったのは、そうだと思う」
起こったことは、単純だった。まず透は未然に知香誘拐を防げなかった。それは仕方がない。ただの中学生だったのだから。
ただ、その後に起こったことが問題だ。
「そのとき、俺は近衛さんを見捨てて逃げたんだよ」
「え?」
愛乃は青い目を丸くして、透を見つめた。透は小声になる。
「誘拐犯から俺だけ逃げるチャンスがあった。俺は近衛さんを助けようともせず、みっともなく逃げ出した。結局、警察のおかげで、近衛さんは傷一つ負わずに解放されたけど、俺は近衛本家と近衛さんの信頼を失った。それで婚約は解消された」
「で、でも、そんな状況になったら、仕方なかったんじゃ……」
「俺は近衛さんのそばにいることもできたのに、自分の命惜しさに逃げたんだ。俺に期待されていたのは、命に代えてでも、大事な近衛本家の娘を守ることだった」
「そ、そんなの理不尽じゃ……」
「仮に近衛本家のことは置いておいても、近衛さんにとってみれば、何があっても自分を守ってくれるはずの、何があっても自分のそばにいてくれるはずの婚約者が自分を裏切ったんだから、失望して当然さ」
そう。透は取り返しのないことをした。
もちろん婚約の解消は、透に非があったというだけでなく、本家と分家の親族たちの権力闘争の結果でもあった。
それでも、結果は変わらない。
たとえ命の危険があっても、透は知香のそばにいるべきだった。そうすれば、知香を失うこともなかったし、際限のない自己嫌悪に悩まされることもなかっただろう。
「俺はそういうやつなんだよ。リュティさんは、それでも俺を婚約者にしたい? 近衛さんと同じように、いつか俺に失望することになるよ」
透は投げやりにそう言った。だから、透は前向きになれない。誰かに必要とされても、期待に応えられないかもしれない。
また同じようなことが起き、大事な人からの信頼を失うかもしれない。
愛乃は魅力的で、心優しい、可憐な少女だ。男なら誰でも、彼女と親しくなれるときけば喜ぶだろう。
その愛乃が、透と婚約することを望んでいる。けれど、もしふたたび同じようなことが起きて、知香と同じように愛乃を失えれば、もう透は立ち直れないかも知れない。
そのことが恐ろしかった。
愛乃は、とても綺麗で純粋な瞳で、透を見つめた。
「わたしはね、おかしいと思うの」
「えっと、何が?」
「連城くんばかりが一方的に近衛さんを守っていたんでしょう? 近衛さんは連城くんに何をしてくれたの?」
「それは……」
そんなことは考えもしなかった。知香は透よりずっと優秀だ。その知香の隣にいられるように透は努力した。そして、病弱な彼女のことを守ろうと思っていた。
でも、その代わりに、知香が透に何かをしてくれるという発想はなかった。
愛乃は透を優しく見つめる。
「婚約者なんだもの。連城くんが一方的に近衛さんを守って、それができなかったら責め立てるなんてひどいよ。わたしは……連城くんと婚約者になったら、連城くんの力になりたい」
愛乃はそう言い切り、そして、恥ずかしそうにうつむいた。
「わ、わたしなんかにできることがあればだけど……」
愛乃は小声で言う。
透はソフトクリームを一匙すくい、考えた。婚約者なのだから、たしかにどちらかがどちらかに一方的に献身する関係は違うのだ。
愛乃の言うとおりだった。
「もし、リュティさんが俺の力になってくれるなら、俺はリュティさんの支えにならないとね」
透は思わずつぶやき、愛乃がぱっと顔を輝かせる。
しまった、と思う。
これでは、まるで婚約を受け入れたみたいだ。他に選択肢がないのも事実だけれど、ただ、まだ時間はあるはずだ。
もしかしたら、愛乃と婚約せずに、近衛家を納得させて、愛乃の母の会社の窮地を救う方法があるかもしれない。
「リュティさんと、こ、婚約するとは言っていないから。もう少し考えさせてくれないかな」
「いいよ。でも……」
愛乃はくすっと笑い、そして、透の頬に指を伸ばした。
どきっとして身構えるが、愛乃の白い指先は透の頬を優しくなぞった。
その指先には、ソフトクリームがついていた。どうやら口ひげのようにソフトクリームがついてしまっていたらしい。
愛乃は嬉しそうに微笑むと、指先をぺろりとなめた。透は自分の頬が熱くなり、そして、愛乃から目が離せなくなっているのを感じた。
愛乃はいたずらっぽく瞳を輝かせる。
「わたしは近衛さんとは違うの。だから、わたしは連城くんと結婚したいんだって、覚えておいてね?」
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