ステラマリスに抱かれて

第36話 星乃博士

 走り続けること約半日。夕暮れ時の辺りの空は不気味なほど赤く染まり、この世の終わりのような景観の中でポーラスターの地はヤコたちを待ち構えていた。

 工場地帯は侵入者を拒むように有刺鉄線をどこまでも張り巡らせ、朽ちた鉄塔は傾き、かつては大型車の往来で賑わっていただろう大通りもひっそりと静まり返っている。少なくとも大人たちが諸手を挙げて歓迎してくれるという雰囲気ではなさそうだ。

「侵入した瞬間に襲われるかもしれない。はぐれてしまった時はあの二本の煙突の元で落ち合おう」

 テキパキと指示を出したレイは、ザッと足元を擦ると工場地帯の奥を見据えた。

「行くぞっ」

 合図と共に一行は鉄柵を乗り越えた。敷地内に入り込み着地した彼らはその場で身構える。だが幸いにもいきなり警報が鳴り響くなどと言った事は無かった。慎重に中へと小走りで進んでいく。

「道が……」

 二人の後ろを駆けていたヤコが驚きの声を上げる。走っている道路に光の矢印が現れたのだ。点滅を繰り返し道筋を示すサインは明らかにヤコ達をどこかへ導いているようだ。

「ハッ、招待してくれるってか? ご丁寧なこって」

「対話できる相手だと良いんだがな……」

 毒づいたハジメが腰の刀をチャッと押さえる。険しい顔のレイを見てヤコはごくりと息を呑み込んだ。


 大がかりな鉄橋の下をいくつか潜り、導かれるままに中央に位置するひときわ大きな建物の中へと入っていく。扉を何枚も開けると、やがて大きなホールのような場所へ入り込んだ。ドーム型の半円を描く壁に、中央にある機械のような物。見覚えのありすぎる光景に一行はギクリとする。ここはフォーマルハウトのメインコンソール室とほぼ同じ造りだ。

 ヤコはこの部屋に入った瞬間から、うなじの辺りがぞわぞわとするような落ち着かない感覚に襲われていた。どこからともなく視線を感じる……?

「っ、我々は移動要塞船フォーマルハウトから来た! ここから20キロほど離れた地点で船が運航不能となり多数のクルーが困窮している。どうか、救助を願いたい!」

 代表して名乗り出たレイも緊張しているようだ。いつもより少し高めの声が、ホールに反響して消えていく。何も起こらないのかと不安になりかけたその時、中央の床が円形状に少しだけ開いた。

(来るぞ)

 小声で言ったレイが身構え、二人も気を張り詰める。かすかなモーター音のような物が聞こえ、誰かがせり上がってくる気配がする。そしてついにその人物が現れた時、その意外な姿に一同は面食らった。

「わぁぁ、遅れてすまないね。どうにも接続を間違えてたみたいで別の部屋出ちゃったよ、いやぁ恥ずかしい恥ずかしい」

 照れくさそうに頭を掻きながら出現したのは、どこにでも居そうな壮年の男だった。中肉中背でヨレヨレのスーツを着込み、いかにも善良そうではあるが気が弱そうな40代ほどの男である。

 こんな壮大な装置からせり上がってるにしてはあまりにも普通すぎるビジュアルに、レイもハジメも拍子抜けして何も言えなくなってしまう。戸惑いながらもとりあえず名乗ろうとした――その時だった。

「おとうさん……?」

 震える声に二人は弾かれたように振り返る。零れそうなほど大きく目を見開いたヤコは、信じられないような表情で立ち尽くしていた。今度こそ声を失う二人を差し置いて、謎の男は両手を広げて泣きそうな顔と声で答えた。

「ああぁ、よくここまで来たね。ゲームクリアおめでとう、よぞら」

 よぞら。というのがヤコの本名を指すのだと理解するのに少し要する。次の瞬間、ハジメの口からは激昂の声が飛び出していた。

「どういうことだ! 父って……まさか貴様までグルだったのか!!」

「ひっ……」

 いきなり怒鳴られてヤコは条件反射で身を竦ませる。それにも構わず、その肩を掴んだハジメは激しく揺さぶった。

「答えろナンバー8! お前はいったい――」

「あぁぁ、よぞらを責めないでやってくれ! その子は本当に何も知らないんだよ、『一条正臣』いちじょうまさおみくん」

 久方ぶりに呼ばれた本名に、ハジメまでもがギクリとする。しばらくして彼は焦りを無理やり押さえつけているような低い声で返した。

「、どうして俺の名前を」

「そりゃもちろん、参加者の全データは把握してるよ~、移動要塞船フォーマルハウト所属の『千本木麗』せんぼんぎうららちゃん、『一条正臣』くん。やはり君たちの船が一番にたどり着いたんだねぇ。フォーマルハウトによぞらを乗せたのは正解だったなぁ」

 ほわほわとした雰囲気を崩さず、男は嬉しそうに両の手をこすり合わせる。その柔らかな笑みをじっと見ていたレイは、軽く目を見開いて問いかけた。

「……もしかして、星乃博士ですか?」

 ぎょっとしたようにそちらを見るハジメの方は向かず、男を見据え続けたレイは記憶を掘り起こす。

「以前パーティーでお会いしたことがある。星乃修一。脳科学の権威で、うちの会社とも懇意にしていたはず……」

「あぁ、覚えててくれたんだ嬉しいなぁ、まだあの時は麗ちゃんこんなに小っちゃかったのにねぇ。千本木製薬さんには本当にお世話になったよ。お父さんにいつも返事返せなくてごめんねって謝っといてくれないかなぁ、無視してるわけじゃないんだよって」

 レイの血相が変わった。冷静さを欠いて一歩踏み出す。

「どういうことなんです! まさか父が関与してこんな世界に――!?」

「え?」

 意外そうな顔をした博士は頭をポリポリと掻く。その仕草は記憶の中にある父と同じで、ヤコはどういう感情になればいいのかますますわからなくなる。今すぐにでも駆け寄りたい気持ちと、果たしてあれは本当に本人なのかという気持ちがせめぎ合う。

「あれ、気づいてなかった? この世界のこと」

「世界って、どういうことです……」

 激しく困惑するこちらを見て、博士は両手を大きく広げた。その指先からキラキラとした光が零れ落ち、末端から分解されては再び構築されていく。息をのむ子供たちを前にして、彼は実に楽しそうにネタばらしをした。

「普通に考えて人間があんなに跳んだりオーラで回復するわけないじゃないかぁ。ここはね、私が開発した次世代ゲームの中なんだよ。フルダイブ型のMMOオンラインゲームって言ったら分かりやすいかな?」

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