赤くて、あつい。
霜月このは
赤くて、あつい。
沈黙が流れていた。
熱くなった赤いパッケージを眺めて過ごす。
この5分間が長くて仕方がなかった。
*
夕ご飯の当番は私のはずだった。うっかり忘れて何も買わずに帰宅したのは私が悪いけれど、まさかこの女と二人きりになるだなんて、聞いていない。
父さんに電話してしまおうか、と一瞬思ったところで、やめた。さすがに仕事中だろうし、それにどんなに嫌いでも、この女はもう私の家族で、私はどうせ逃げられないんだから。
目の前には私と同じくらいの歳の女の子がひとり。
「梨香、ちゃん」
意を決して話しかける。
「久美ちゃん、どうしたの」
「夜ご飯、食べよう」
「うん」
「ごめん、私、買い物し忘れて。キッチンにこれしかない」
私はカップ麺を二つ、梨香の前に差し出す。赤いのと、緑の。
確か、赤いのがうどんで、緑のがおそば。お父さんが夜勤のあと、夜中に食べていたのを見たことがある。
「好きな方、選んで」
私がそう言うと、梨香は赤いほうのカップ麺、『赤いきつね』を選んだ。私は『緑のたぬき』。二つのカップにポットのお湯を入れて、テーブルの上に運んだ。
二つのカップを見つめたまま、向かい合う私たちの間には、沈黙が流れていた。
私たちは、それぞれの親同士の再婚で家族になった、義理の姉妹だった。中学2年のある日、父さんと二人だった私の家に、梨香と梨香のお母さんがやってきて、私たちは4人家族になった。
お母さんとはすぐ仲良くなれたけど、なぜか梨香のことは苦手だった。きっとそれは、私たちが同い年だったせいかもしれない。
せめて、歳が一歳でも離れていたら、と思う。そうだったなら、どちらかが姉で、どちらかが妹で、うまいこと上下関係なんかができて、距離感もとれていたのかもしれない。
私と梨香は大人の都合で『姉妹』なんて名前をつけられただけで。本来何の関係もない狐と狸が、仲良く一つ屋根の下で暮らせと言われているようなものだった。
赤いきつねと、緑のたぬき。いつも仲良く並んで売られている二つだけど、麺ができあがるまでの時間には、少し差がある。
赤いきつねは、5分だけど、緑のたぬきは、3分。
だけど私は気が付かずに5分待とうとしていた。
「久美ちゃん、もう3分経つんじゃない?」
「え?」
「緑のたぬき、3分って書いてあるよ。伸びちゃうから、先に食べなよ」
「……うん」
私は、黙って麺を口に運ぶ。梨香のおかげで、ちょうど3分でできあがった緑のたぬきは、天ぷらの固さもちょうど良くて、麺もスープも美味しかった。
「……ありがとう。おいしい」
「うん、よかった」
『ありがとう』と素直に言えたのは、この日の緑のたぬきが美味しかったから。
「ねえ、ちょっとだけ、ちょうだい」
「えっ?」
「たぬきも、食べてみたいなって。あとで、赤いきつねも、少しあげるから」
『うん』と素直に受け入れたのは、赤いきつねが美味しそうだったから。あの厚いおあげを食べてみたかったから。
『おいしいね』と笑い合う頃には、ほんの少しだけ、心がふやけていた。カップ麺のシェアまでした相手を嫌い続けるだけの根性は、中2の私にはなかった。
梨香は転校してきたばかりだったけど、優しくて人当たりがいいから、すぐにたくさん友達ができた。
最初は、梨香と私を、似てない姉妹だと、複雑な家庭だとからかう人もいたけれど、だんだんそれも気にならなくなった。
中学、高校と進んで、大学に進学するタイミングで、私と梨香は一緒に家を出た。
カップ麺をつくって食べることに何の勇気もいらなくなるくらいには、私たちはいつのまにか大人になっていた。
*
「ああ、寒い寒い」
「おかえり。なんかあったかいもの作る?」
「……赤いきつね、ある?」
「あるよ」
飲み会で遅くなって、夜中に帰ってきた私を梨香が出迎える。
キッチンから赤いきつねを二つ持ってきて、お湯を入れた。
「久美、最近、遊びすぎじゃないの」
「梨香が真面目すぎるんでしょ。せっかく大学生なんだから遊ばなきゃ」
「でも、心配だよ」
「梨香は私のお母さんじゃないでしょ」
そう言うと梨香の顔が途端に曇る。言ってしまってから、反省した。だけど、次の瞬間、また空気が変わる。
「久美、もう5分経つんじゃない?」
「え、あ……ほんとだ」
慌てて蓋を開ける。湯気と共に、赤いきつねのいつもの香りがする。
「麺……あんまり伸びてないね」
「むしろちょうどいいかも」
湯の温度の問題か、それとも時間の計り方の問題か。わからないけれど。もう6分は経っている、その『赤いきつね』の麺は、ほどよい固さだった。
「昔よりも、なんか、つるつるしてる? 卵もふわふわだし」
「あー、言われてみればそうかもしれない」
時代が変われば技術も進歩するだろうし、人の味の好みも変わる。だから、ずっと同じである必要はないのかもしれない。
「久美も昔よりもなんだか滑らかになったよね」
「なめらか? 丸くなった、とかじゃなくて?」
「うん。なめらか、って感覚に近いな。凹凸が減っただけで、丸くもないし柔らかくもなってないし」
「なにそれ」
「なんとなく」
くだらない笑い声が、湯気の中に溶けていく。
私たちは昔よりも、ちゃんと家族になれただろうか。
空になったカップを重ねて、片付ける頃には、部屋も身体も、ほどよくあたたまっていた。
赤くて、あつい。 霜月このは @konoha_nov
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