教師と生徒の○○な関係
吉永凌希
国枝駿一 ①
放課後の理科教室は、珍しく無人だった。
いつもは補習だの自習だの個人面談だので、たいてい数人の生徒が十八時前後まで居残っているのだが。期末テストが終わり、今日から部活動が再開されたので、そちらに参加している生徒が多いのかもしれない。
(ちょうどいい。誰かいたら、場所を変えなきゃならんところだった)
理科準備室に通じる入口から室内を一瞥した
黒板の上の壁時計は、午後三時五十分を示している。
(あと十分か)
おそらく
日頃から提出物の出来が芳しくないうえ、このたびのテストの点が驚くほど悪かった。このあたりで一度、膝を交えて話をする機会を設け、本人の言い分も聞きながら、きっちりと指導してやらなくてはなるまい。
国枝駿一は理科教師として、この県立高校に赴任して五年目になる。校風や地域の気質にもすっかり馴染んできた頃だった。
この高校はもともと女子校として設立され、三年ほど前に共学化されたばかりなので、男女比は三対七と圧倒的に女子が多い。
学力的には中位校であることとも相まって、校内には押しなべてソフトというか、悪く言えば〝ぬるま湯〟的な空気が流れている。
管理職を含め教職員も温和な人物が多い一方で、生徒の問題行動は比較的少なく、国枝にとっては働きやすい職場環境であった。
とはいえ、相手は多感な年頃の少年少女たちであるがゆえ、まったくの無風というわけにはいかない。学力不振や校則違反、生徒間の諍い、不登校、校外での迷惑行為にともなう地域住民からの苦情、等々。
そのような問題が発生した場合、第一に求められるのは生徒とのしっかりした対話なのだが、朗らかで意思疎通の容易な生徒がいれば、神経過敏で対応に気を遣う生徒、反抗的で指導の難しい生徒、とさまざまである。
菱谷明花は一見好感の持てる女子生徒だが、どこか一筋縄ではいかないという印象を、国枝は抱いていた。
持ち授業の関係で去年はほとんど接触はなかったが、明花が二年生になって、国枝の担当科目である化学を選択したため、週二時間は必ず顔を合わせるようになった。
第一印象は悪くなかった。明花が校内で三本の指に入る美少女であるうえ、笑顔を絶やさない愛嬌豊かな女子生徒だからである。
しかし、そのうちにどこか捉えどころのなさを感じるようになった。何度か短い会話を交わしたが、頭脳の明晰さを窺わせるような受け答えがあるかと思えば、意思疎通さえ危ぶまれるような突拍子もない台詞を発して相手を煙に巻く。
さらに交流が続くにつれ、扱いにくさに加えて、明花の容貌や言動に微かな既視感を覚えるようになった。ふとした表情や仕草に、国枝の記憶を刺激する何かが含まれているのだ。
つい最近になって国枝は、その何かにようやく思い至った。
(松本
高校時代のクラスメートだった松本遥花。あれから二十年という時を経ても、彼女の容貌や仕草は、国枝の脳裏に鮮烈なイメージとして揺曳している。
明花と同様に整った顔立ちと笑顔が印象的だったが、明花以上に謎めいた部分の多い女子生徒だった。「不思議ちゃん」とか「ミス・テリー」などと称されていた所以である。
明花と遥花の相似に思い至った国枝は、さっそく校内のデータベースに登録されている明花の生徒情報を調べてみた。
すると、保護者欄には〈菱谷遥花〉という名が──。
(やはり遥花だ。明花はあの遥花の娘なんだ)
〈菱谷〉は、おそらく結婚後の姓だろう。
念のため、国枝は明花の担任教師にそれとなく探りを入れてみたが、それによると明花の家は母子家庭であり、母親は夜の仕事に従事しているらしい。
(待てよ。離別しているのにパートナーの姓を名乗り続けるのはおかしくないか)
そういう些細な不審点はあるにせよ、担任教師が描く母親の人物像は、国枝の記憶に残る松本遥花のそれに合致していた。母親の醸し出す独特の雰囲気に呑まれてしまい、担任は明花のアルバイトを許可してしまったという。
かくして、菱谷明花と松本遥花の関係は、国枝の中では確定したも同然となった。
(あの遥花の娘が、今、身近にいるのか)
国枝が遥花の出現に思い戸惑うのは、単に昔のクラスメートというだけに留まらない、より深い理由がある。
若かりし日の、ある夏の夜の出来事だった。
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