第22話 祭りのあと(後編)

 沈む夕日に急き立てられるようにして、ユキホを探して走り周った。

 フェスの会場はもちろん、海の家やコテージも探した。そう遠くへは行っていないはずだ。思いつく限り、ユキホの立ち寄りそうな場所を探して周った。

 どこにも姿が見えず途方に暮れていたとき、ふと思い至る。ボクはその場所を目がけて、全力で走り続けている。

 いつだってそうだ。ユキホはボクの心配ばかりしている。子供の頃からそうなのだ。姉貴面してボクを連れ回していた頃から、何も変わっちゃいない。

 学校の行き帰りだって一緒だった。帰ってからだって一緒に遊んでいた。母親同士の仲が良かったから、まるで姉弟のようにして育った。

 側に居ることが当たり前になっていた。いや、当たり前になり過ぎていた……。

 ボクが辛いとき、心細いとき、気弱になっているとき、いつもそっと寄りそって、気持ちを分かち合ってくれたのはユキホだった。そしていつだって、ユキホはボクの背中をそっと押してくれたのだ。

 ヒデさんは言っていた。気持ちを分かち合ってくれるヤツが居るのって本当にいいよな……と。そして、たった一人の理解者が居るだけで何でもできる気がする……そう言っていた。

 居たじゃないか。ずっとそばに居てくれたじゃないか。気づかなかっただけだ。あまりにも距離が近すぎて、大切な存在に気がつかなかっただけなのだ……。

 逢魔が時の薄闇の中、岬の突端へと続く遊歩道をひた走る。アスファルト道路の突き当りにある駐車場は、花火見物の人たちの車でいっぱいだった。駐車場から展望台へと続く階段を、息を切らせながら駆け上がる。追い越した人たちが、なにごとかと驚きの声を上げていた。

 展望台は、花火を待つ人たちでごった返していた。人波をかき分けるようにして展望台を進み、下りの未舗装路に入る。

 月明かりを頼りに、人影のない小路をひた走る。時折、生い茂った木々の枝がドレスの裾を引く。厚底のパンプスはとても走り辛いけど、そんなことはお構いなしに目的地を目指した。

 やがて柚子崎灯台へと辿り着く。海の彼方へと力強い光を放つ灯台の脇を抜け、海沿いの小路をひた走る。小さな空き地に行き当たり、その奥には洞窟が……そう、ユキホとボクの秘密基地が在る。

「ユキホ!」

 洞窟の手前で叫ぶ。返事はなかった。

 けれども洞窟の奥に人影が見える。荒れた息を整える間もなく、洞窟の中へ駆け込んでいく。

 ユキホは膝を抱えて座っていた。膝に顔をうずめ、表情を伺うことができない。

「ユキホ。何やってんだよ、こんなトコで」

 荒れた息のままで訊いた。

 返事はなかった。

 深呼吸をして息を整えていると、ユキホがおもむろに顔をあげる。

「……アンタこそ、何やってんのよ」

 表情のない不機嫌な声が返ってきた。

 日はすっかり暮れてしまったけど、昇り始めた月が煌々と輝いている。洞窟の中へと差し込む月光が、ユキホの肌を青白く照らしていた。

「ユキホが泣いてるんじゃないかと思って」

「……何それ。バカみたい」

 ユキホは再び、膝に顔をうずめてしまった。

 ボクはユキホの隣に、肩を並べて腰を下ろす。

 つい昨日のことじゃないか。昨日もこうやって、二人並んで座っていた。なぜ気づかなかったんだろう。いや違う。なぜ気づかないふりをしてしまったのだろう。

 夕立に降られ、雷を怖がり、それを差し引いても、ユキホの様子はおかしかったじゃないか。違和感を覚えておきながら、どうしてボクは気づかないふりをしてしまったんだろう。いまさらのように後悔する。

「ヒデくんは?」

 顔を伏せたままでユキホがつぶやく。

「なんでヒデくん放ったらがして、こんな所に居るのよ」

「だって……」

「だってじゃないよ! ヒデくんと付き合うんでしょ? 想いが通じたんでしょ? やっと辿り着いたんでしょ? なんでこんな所に居るのよ!」

 叫んでユキホが顔を上げる。

 彼女の頬は涙に濡れ、口元が嗚咽に震えていた。

 ボクの肩を掴んで、ユキホが揺さぶる。

「早く帰りなさいよ。花火始まっちゃうよ。ヒデくんと一緒に、花火見なよ」

 言葉を重ねるたび、嗚咽は慟哭へと変わっていく。

 ボクの肩に額をこすりつけて、ユキホが泣いている。

 こぼれ落ちた涙が、ドレスを濡らす。

「いいんだよ……」

「いいって何よ。解んないよ……」

「ヒデさんのことは、もういいんだ……」

「なに言ってんのよ! いい訳ないでしょ! 馬鹿なこと言ってないで、早く帰んなさいよ! ねぇ、早く!」

 叫びながらユキホは、ボクの肩へと拳を打ち付ける。鈍い痛みを感じながら、打ち付けられた拳を掴んでユキホを引き寄せる。

 ユキホが驚いて身をよじる。一方の腕で強く肩を抱きとめると、呆気にとられてボクを見上げた。

「ジュンちゃん……どうして……」

 きつくユキホを抱き締める。

 はっきりと鼓動が伝わってくる。早鐘のようなユキホの鼓動。緊張しているのが判る。

 でもボクの心臓だって、ユキホに負けないほどほど大きく、そして速く脈打っている。

「一回しか言わないからよく聞いて……」

 ユキホの目を、じっと見詰める。

「好きだ。これからもずっと、そばに居てほしい」

 ユキホはしばらく、言葉を失っていた。

 やがて両手できつくボクを抱き、そしてそっと涙を流した……。

 どれくらいの時間が経っただろうか。長い時間、抱き合っていたような気がする。

 泣き止んだユキホが、ボクを見詰めている。頬にのこる涙の跡が、月の光に輝いていた。

「帰りなよ……ヒデくんの所に」

 ボクはそっと目を閉じて、静かに首を横に振る。

「今帰らないと後悔するよ?」

 そう言って見上げるユキホを、ボクは見詰め返す。

「帰ったら、この手を放してしまったら、きっと一生後悔する」

 しばしの沈黙の後、ユキホの目に再び涙が浮かぶ。

「バカだな……。ジュンちゃんは」

 涙を流しながら、ユキホが笑う。

「知ってるよ……」

 指先でユキホの涙を拭う。

「ねぇ、ジュンちゃん……」

「なに?」

「さっきの、もう一回言って」

「さっきの?」

「……好き……ってヤツ」

「やだよ。一回しか言わないって言ったじゃん」

「いいじゃない。もう一回……」

 仕方ない。ユキホの可愛いワガママくらい、ボクは聞いてあげるべきなのだ。

「……好きだよ」

 ユキホは照れた笑みを浮かべた。

 目を伏せ小さく「嬉しい」とつぶやくと、ボクの肩へと両手を回して囁く。

「ねぇ、もう一回……」

 甘えた声で請われる。ユキホのこんな声を聞くのは、初めてかもしれない。

「やだよ。照れくさい……」

「けちんぼだな……ジュンちゃんは」

 いじけた表情が可愛いくて、ドキリとしてしまう。

「……それで、ユキホはどうなんだよ」

「どうって?」

「ボクのこと、どう思ってるのかな……って」

 わかっている。こんなことを訊くのは野暮だってことくらい。

 でも、訊いておきたい。きちんと言葉にしておきたい。

 だって二人の距離は、あまりにも近すぎるのだから。言葉にしておかないと、勘違いしてしまうことだってあるのだから。

「聞きたい?」

 ユキホが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 そしてボクの目を見詰め、今までに聞いたことのない柔らかな声で言った。

「好きだよ、ジュンちゃん」

 そしてユキホは、ボクにそっと唇を重ねる。

 突然のキスに、驚いて声も出せなかった。

 やわらかい唇の感触に、なにも考えられないかった。

 呆気にとられるボクに、ユキホはもう一度告げる。

「大好きだよ、ジュンちゃん!」

 そう言ってユキホは、もう一度ボクに唇を重ねた。


 やがて洞窟の外から、花火の音が聞こえ始める。

 突如として響き渡る破裂音に、ユキホが驚いてボクにしがみついた。カミナリが苦手なのだから、花火の音に驚くのも無理はない。

 ボクとユキホは、洞窟を出て夜空を臨む。

 何発もの花火が打ち上がり、柚子崎の夜空に大輪の花を咲かせていく。大きな光の花が広がるたび、大きな音が夜空を震わせる。

 二人してしばし、その美しさに見惚れていた。

 幾重にも重なり咲き誇る花火の向こうに、柚子崎ビーチの明かりが見える。岬の突端から見れば、打ち上げ場所の防波堤も柚子崎の街も、海の向こう側だ。

 ヒデさんも対岸から、同じ花火を見上げているのだろうか。そう思うと、切ない気持ちがこみ上げてくる。身を固くするボクに、ユキホが優しく寄り添ってくれた。

 また心配をかけてしまっただろうか。ボクは苦笑してしまう。大丈夫だから、心配しなくても大丈夫だから……心の中でつぶやき、そっとユキホの肩を抱いた。

 見上げる空に絶え間なく、次々と花火が打ち上がっていく。夜空に大きな花を咲かせたかと思うと、色とりどりの花弁を散らせながら儚く消えた。そしてまた、次の花火が大輪の花を咲かせる。

「綺麗……。でも……」

「でも?」

「雷みたいで、ちょっと怖い」

 ボクたちは、顔を見合わせて笑った。

「だからさ……」

 ユキホの手が、ボクの手を掴む。

「離さないでね」

 ユキホがつないだ手を、ボクは強く握り返した。

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