第17話 夏は秘めごと秘密基地(前編)
濡れた肌に潮風が心地よい。滴る海水を拭って、ユキホはパラソルの影に陣どった。レジャーシートの上でうつ伏せになって目を閉じると、波の音がことさら大きく耳に響いた。ひと泳ぎした疲れも手伝って、思わず微睡みに引き込まれそうになる。ビーチの喧騒もまたいい子守唄だ。
柚子崎ビーチフェスの本番を翌日に控え、空想クロワールの四人は海水浴に来ている。なぜ本番前日というタイミングで海水浴なのかと言えば、ヒデ曰く『気持ちをリフレッシュしてベストコンディションで本番に挑もう大作戦』なのだそうだ。
合宿中は練習に次ぐ練習で、ユキホは海で遊ぶ余裕なんてないのかと思っていた。だからヒデが突如として「明日は海で遊ぶぞ!」と言い出したときも、冗談なのかと思っていたほどだ。
新しい水着のデビューも半ば諦めていたのだけれど、着る機会があって良かった。新調した水着、やっぱりビスチェブラがとっても可愛い。自らの水着を見遣り、ユキホは改めてそう思う。ゴールデンウイークに、ジュンと一緒に買った水着だ。
眠りに落ちそうになり、ユキホは目を擦って体を起こした。日焼け止めを塗り直さないと、おかしな焼け方をしてしまう。パラソル越しだというのに、日差しが肌に刺さるようだし、砂浜の照り返しも相当なものだ。
「ねぇ、日焼け止め塗ってくれない?」
隣でへたり込んでいるジュンを揺り起こす。
「ユキホ……。ダメ、ムリ」
「まだくたばってるの?」
「や、休ませて……」
ヒデとノリに付き合って、五百メートル先の小島まで泳いできたらしい。泳ぎが得意ではないジュンは、二人に抱えられるようにして帰ってきた。
荷物番をしていたユキホにジュンを託すと、二人は再び泳ぎに行ってしまった。ヒデとノリを見ていると、男の子っていつまで経っても子供なんだと思う。
ジュンをシートに寝かせて荷物番を任せ……いや、くたばってるジュンに荷物番ができるかどうかは疑問ではあったが、居ないよりはマシだろうと考え、ユキホもひと泳ぎしてきところだ。
梅雨が明けてからずっと、猛暑日が続いている。最高気温が四十度を超える日もあり、あちこちで最高気温の記録を更新し続けているらしい。
ここまで暑いと、涼を求めて海水浴にやってくる人が多いのも無理からぬこと。でもこのビーチには、なぜか人が少ない。知る人ぞ知る穴場という訳でもないのだけれど、街の外から来る海水浴客の大半はここではなく、隣のビーチに押し寄せる。
隣のビーチというのは、柚子崎ビーチと呼ばれる海水浴場だ。ビーチフェスも、柚子崎ビーチで開催される。合宿しているコテージも、実は隣のビーチの方が近い。
数日前から特設ステージの設営が始まり、大枠はすっかり組み上がっている。今は音響機材の設営を行っているようだ。時折スピーカーから、大きな音が響いてくる。
向こうにはカフェのようにオシャレな外観の海の家が立ち並び、インスタ映えしそうな料理やスイーツが供されている。
対してこちらのビーチには、昔ながらのトタン葺きの海の家が一軒在るのみだ。供される料理も、焼きそばとカレーとラーメン。スイーツと言えば、かき氷一択。そして軒先の金ダライには、スイカとラムネが冷やしてある。
ユキホの好みから言えば、こっちの海の家の方が断然インスタ映えするんじゃないかと思うのだけれど、なぜか地元の家族連れくらいしか利用客が居ない。おかげで混雑に巻き込まれることなく、海水浴を楽しめるという訳だ。
「ねぇ、ジュンちゃん。日焼け止め」
改めてジュンを揺り起こす。不機嫌な声色を察して、慌ててジュンが体を起こした。
「ひゃけ……どめ?」
「寝ぼけてるの? 大丈夫?」
叩き起こしておいて大丈夫もないものだが、ユキホにとってことは急を要する。
「あー、日焼け止め塗るんだっけ?」
「そうだよ。手足は自分で塗ったから、背中よろしくね」
ジュンに日焼け止めを渡して、レジャーシートの上でうつ伏せになる。
「ボクに触られて平気なの?」
たどたどしい動きで、ジュンの右手が背中を滑る。
「幼馴じみ相手にいまさら……ねぇ」
上体を起こして振り返れば、ジュンが真っ赤な顔をしてサンオイルを塗っていた。
「えー、なになに。ジュンちゃん照れてるの!?」
「だって、女の子の背中を触るなんて……」
やめて! やめて!
ユキホが心の中で叫ぶ。そんな風に意識されたら、ワタシまで恥ずかしくなってしまう……そう思って、あわてて話題を変える。
「そ、そういえば今日は、女の子の格好じゃないんだね」
お昼にスッピンは、久しぶりじゃないだろうか。
「いや、だって、水着で女の子になるのは、さすがに無理があるでしょ」
一週間ほど前、ジュンはいきなり女の子になって帰ってきた。いや、今風に言うのならば『男の
ヒデと一緒に自転車で出かけたと思ったら、夕方帰って来たのはヒデ一人だけだった。夜になってサアヤが突然ゴスロリでキメた女の子を連れて現れたと思ったら、そのゴスロリ少女がジュンだったという訳が解らない展開に皆が唖然としていた。
あれから毎朝、サアヤはコテージに顔を出してはジュンにメイク指南をしている。あの日からずっと、ジュンは男の
今日のジュンは、サーフパンツを履いて上半身は裸、男の子の水着姿だ。黒の生地に、椰子の葉とフラミンゴがプリントされたパンツ。ゴールデンウイークに、ユキホが選んだ水着だ。でもジュンは体の線が細いから、ユキホにはなんだかサーフパンツに履かれているように見えた。
「ジュンちゃんだったら、ビキニでもいけるんじゃない? ハイウエストのボトムだったら、コンニチハしないしオススメだよ」
「コンニチハって……。ユキホ、下品だよ」
「パレオ巻けば、モッコリもかくせるよ」
「はぁ、ボクの周りの女性って、どうしてこう……」
その言葉にユキホは身を起こし、ジュンと向かい合って座る。
「周りの女性って、もしかしてサアヤさんと同列に語ってる?」
「そういうことになるかな」
「やめてよねぇ。さすがにあの人には負けるわ……」
「いやぁ、ボクから見れば同じだけどね」
「やめてー。あの人なんて、妖怪レベルだよ?」
「……怒られるよ」
サアヤがメイクしたことをキッカケに、ジュンは変わった。元から綺麗な顔をしてたけど、メイクするようになってからはユキホから見ても嫉妬するくらいに可愛らしい。いや、見た目だけの話ではない。日に日に自信を付けているようにユキホは感じていた。
そう、ジュンは吹っ切れたように魅力的になり、言動に自信を覗かせるようになった。サアヤがそうしたのだ。しかも初対面で。バンギャを卒業できない有閑マダムかと思いきや、相手の深いところまで見通している……やっぱり妖怪だ。きっと
「そんなに見詰めないでよ……」
気づけばジュンが、困惑の表情を浮かべていた。
「んー。髪が伸びたって思ってさ」
「そぉ? 元から長めだったし」
「もうちょっと伸びたら、ウイッグ要らなくなるんじゃない?」
「そうなったら楽だなぁ」
「スケベは髪の毛が伸びるの、早いらしいよ?」
「なにそれ。ボク、そんなんじゃないし……」
すねた表情。いじけた仕草。もともと所作が女の子っぽかったけど、女装するようになってからは全てが女性的で可愛らしい。
「なになに? ジュンがスケベだって?」
海から上がってきたヒデとノリが、水をしたたらせたままシートに座る。
「ちょっと、体拭いてよね」
「悪い、悪い。でも、すぐ乾くよ」
そういう問題ではない、そう思ったがユキホは口に出すのをやめた。この二人には、言っても詮ないことだ。
「いやー、泳いだ! こんなに泳いだの、ガキのころ以来じゃね?」
「オレも、一生分泳いだ気分だわ」
水をしたたらせたままの二人が、シートの上で仰向けに寝転がる。
「海水浴って普通、そんなムキになって泳がなもんじゃないの?」
シートを濡らされた腹いせに、せめてもの嫌味を放つ。
「いいんだよ。俺たちの普通はこうなの! バンドマンは体力勝負!」
ヒデが起き上がり、ボディービルダーのようにポーズを決める。ダメだ、嫌味がまるで通じていない。
「ヒデくん、午後からはどうするの?」
「ん? 飯食ったら解散だよ。オレ、事務局に呼ばれてるし」
ポーズを変えながらヒデが答える。
「遊び足りないなら、皆でどっか行けばいいじゃん」
「じゃ、ジュンちゃん借りてもいい?」
突如として指名され、ジュンが豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「借りるとか……。べつに俺の所有物じゃねぇし」
「だってさ、ジュンちゃん。お昼から付き合ってね」
「いいけど、どこ行くの?」
「内緒。ちょっとした探検だよ。行ってのお楽しみ」
ユキホの言葉を聞いて、ヒデがニヤリと笑う。
「おー、おー。何だか、不純異性交遊の匂いがしますなぁ」
「そんなんじゃないってば。ヒデくんじゃあるまいし」
「言ってくれるじゃん。明日本番なんだから程々にね」
「解ってるよ」
ユキホに向かってうなづくと、ヒデは自分のリュックを担いで言った。
「それじゃ、飯にしようぜ。泳ぎっ放しで、腹ペコだよ」
「海の家で食べるんでしょ?」
「オレはカレーとラーメンと焼きそば食うぜ!」
「それ、全メニュー制覇じゃん」
「腹減ってんだよ! 食後のデザートはかき氷だ!」
「ヒデさん、お腹こわしますよ?」
「大丈夫だよ! みんな荷物持ったか? 行くぞ!」
荷物を持ったかと訊いた割には、準備ができていない三人を置き去りにして一人で海の家へと駆け込んで行った。
やれやれと三人で顔を見合わせて後を追う。
空想クロワールのいつもの風景。ビーチに来ても、変わることはない。
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