香子と約束のカルボナーラ

山本正純

香子と約束のカルボナーラ

 いつもと同じ横浜にあるイタリアンレストランディーノ。

 店内はお昼時であるにも関わらず、数人程度の客しかおらず、閑散としている。

 そんな馴染みの店のカウンター席には、紫色のストールを肩にかけた黒髪ロングの美少女が座っていた。

 その女子大生、式部香子はウキウキとしながら、ガラスコップに注がれた水を飲み干した。そんな彼女に注目した小太りの店主が首を捻る。

「もしかして、栞を待ってるのか?」

「ふふふ、違いますよ。遂にこの時が来たんです!」

「よく分からないんだが……」と困惑する店主に対して、香子は周囲をキョロキョロと見渡す。

「うん。追加の注文があるかもだけど、私の注文を受けるまで暇そうですね。ということで、1565文字に及ぶ少し短い昔話をしましょう!」

「いや、どういうことだ!」






「誰か、助けてくれ!」

 多くの木々が密集した山の中で青年が叫んだ。だが、その声は木霊するだけで、誰の耳にも届かない。

 道なき道の土色の地面の上は、枯れ果てた葉で埋め尽くされている。

「やっぱり、誰もいないみたいだな」

 そう呟いたのは、緑色のマウンテンパーカーを羽織った青年。

 青年は溜息を吐き出しながら、スマホを取り出す。だが、画面に圏外とバッテリー0パーセントの文字が表示される。

「クソ。やっぱりダメか。このままだと、田舎町の山林でサバイバル生活だぜ」

 絶望の端まで追い詰められた青年の顔が青くなる。丁度そのとき、青年は目を見開き、前方に視線を向けた。その先で、膝上まで後ろ髪を伸ばした黒髪ストレートの美少女が通りすぎて行く。

 首元を紫のストールで巻いたその少女の姿を見た青年は声を震わせ、右手を前に伸ばした。

「おい、ちょっと、待ってくれ!」

 その叫びを耳にした少女は、足を止め、後方を振り返りながら、優しく微笑んだ。



「何でしょう?」と尋ねながら、少女は青年の元へ歩み寄る。

「ああ、ちょっと道に迷ってな。宿がある村に戻りたいんだ」

「なるほど。そういうことなら、これを使ってください」

 首を縦に動かした少女は、背負っていたリュックサックから地図を取り出し、青年に差し出す。

 それを見た青年は慌てて両手を左右に振った。

「ありがたいけど、大丈夫か? この辺の山道は……」

「年間約200名以上の遭難者が出て、頻繁に救助隊が派遣されるそうですね。去年の遭難者は380名」

 スラスラと話す少女を前にして、青年は思わず目を点にする。

「なんで、そんなことを……」

「覚えちゃいました。あまり自分の能力を過信するのもどうかと思ったので、お守り代わりに地図を持っていたんですよ。それを誰かを助けるために使えるのなら、幸運なことです」

「能力って?」

 なんのことだかサッパリ分からない青年の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

 そんな姿を見て、少女は両手を叩いた。

「あっ、ビックリさせちゃいましたか? 私、完全記憶能力者なんですよ!」



「完全記憶能力者だと!」

 青年が声を荒げると、少女が頷く。

「そうです。一度見たことや知ったことはなんでも覚えちゃう。この山林で誰かさんを助けた些細なことも、忘れることはないでしょう」

「ホントか?」と疑いの視線を向けた青年はジッと目の前にいる少女の顔を見つめた。その瞬間、彼の胸がドキっと震え、なぜか頬が赤く染まっていく。

「ええっと、これも何かの縁だな。良かったら、名前を聞かせてくれ」

「ああ、そういえば、自己紹介がまだでしたね。式部香子しきぶかおるこです」

「俺は小南宗太こなみそうただ。じゃあ、今度お礼をしたいから連絡先を……」

 宗太と名乗る青年がカバンからメモ帳とペンを取り出す。そんな彼の仕草を見て、香子はクスっと笑った。

「ごめん。14年前の12月30日午後10時24分20秒に見たコントのこと思い出したわ」

「いや、細かいな!」



「そっ、そうじゃなくて、連絡先を教えてくれ。俺のスマホはバッテリー切れてるから、こうやってアナログな方法で伝えるしかないんだ! とっ、とりあえず、ここに電話したら、俺に繋がるから」

 そう言いながら、宗太はメモに自分のスマホの電話番号を記し、香子に差し出した。それと共に紙とペンを差し出してくる青年を前にして、香子は首を捻る。

「うーん。別にお礼なんて期待してないんだけど……あっ、じゃあ、落ち着いたら奢ってもらいます。横浜のイタリアンレストラン・ディーノのカルボナーラスパゲティ! とろとろな半熟卵と厚いベーコン、ブラックペッパーがクリーミィなソースで混ざって、美味しいんですよ!」

「ああ、分かったよ」と頷く宗太の前で、香子はスラスラと紙に電話番号を記した。

「はい。それではご連絡お待ちしています」

 式部香子は優しく微笑み、青年に背を向け、山道へと戻っていった。







「……ということがあったんです。2か月前の10月16日午前10時7分のことですね」

「ああ、そういえば、山に行くって言ってたような気がするな……って、さっきの話、おかしくないかい? 全編、宗太君視点だったんだが……」

「その出来事の1週間後、本人から電話で聞いた話をしてみました。丁度、こっちに来る用事があるみたいなので、約束のカルボナーラを本日奢ってもらうんです!」

「ああ、だから、最近カルボナーラ以外の料理を注文してたのか。栞も不思議がってたぞ」

 店主が納得の表情を見せたその前で、香子は頬を緩める。

「ふふふ。約束の1週間前からこっちはカルボナーラ禁止にしていたんですよ。お礼のカルボナーラを美味しくいただくために!」


 丁度、その時、ドアのベルが鳴り響き、スポーツ刈りの青年が顔を出した。

 その青年、小南宗太が店内をキョロキョロと見渡すと、香子はカウンター席から立ち上がり、ドアの方に体を向け、手招きする。

「あっ、小南さん、お久しぶりです。では、約束通り、カルボナーラ2つお願いします!」

「2つだと!」と驚く小南宗太が香子の元へ歩み寄る。

「あっ、もしかしてお昼食べちゃったのかな?」

「いいや、まだだけど、まさか俺の分も注文するなんて思わなかったから」

「ここのカルボナーラ、すごく美味しいから食べてほしくてね。もちろん、小南さんの奢りですよ。出張で来てるんなら、こっちの美味しいモノも食べないと損ですよ。さあ、隣に座って」

「ああ、そうだな」と短く答えた小南宗太は顔を赤くしながら、香子の隣に座った。




「あの時は助かりました。健康づくりのために山林の中をウォーキングしようと思ったら、道に迷ってしまうなんて。改めてまして、助けてくださり、ありがとうございました!」

 香子の隣で宗太が頭を下げると、香子は慌てて両手を左右に振ってみせた。

「困っている人を助けるのは、当たり前のことですから。午後からも横浜でお仕事なんでしょう? ここのカルボナーラを食べて、お仕事頑張ってください!」

 その言葉を聞き、宗太の胸がドキっとする。

「はい。がっ、頑張ります!」

「その意気です」と香子が隣の青年に向けて優しく微笑む。

 丁度その時、ふたりの席に白い皿が置かれた。そこから美味しそうな匂いが漂ってくる。

「はい。カルボナーラ2つ」と店主がふたりに声をかける。そのあとでふたりは目の前に置かれた料理に視線を向けた。


「これがこの店のカルボナーラか。とろとろな半熟卵と厚いベーコン、ブラックペッパーがクリーミィなソースで混ざって、美味しいんだよな?」

「私の言葉、覚えててくれたんだ。ちょっと、嬉しいかも。特にブラックペッパーが

いいアクセントになってるんだよね。それでは、いただきます!」

 宗太の隣で笑顔になった香子が両手を合わせる。

 そんな彼女の顔をジッと見ていた宗太も手を合わせ、目の前にあるカルボナーラを恩人の少女と共に食した。

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香子と約束のカルボナーラ 山本正純 @nazuna39

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