〇五 楽しい野外活動

 トテトテトテ→「とーうっ」ピョーン。


「ぐえっへっちょ~」


 部屋に入ってくるなり、ボクに向けてダイブしてくる女、ユウ。ボクはベットに仰向けになってスマートフォンでWEB小説を見ながらゴロゴロしていたところで、油断しかなかった。自分から聞いたことのない変な音が漏れいずる。


「えっ、いま、ぐえなんて言ったの? もっかい言ってもっかい」


「なんで嬉しそうなんだよ、意識して言えるわけないでしょうが」


「なら、もういっかいダイブする?」


「お断る!」


「なんと……お断るをお断るよ!」


 それからお腹の上にぽすっと座りなおして、両手でボクの頭を挟み込むようにそっと触れてきた。ひんやりした指先に絡め取られたからなのか、咄嗟のことやらなにやらで身動きできない。ただ、ボクは小さな重みの分だけ幸せを感じたのは確かだ。


 絡んだ視線の先でユウの頬がやや赤く上気している気がした。今日もかわいい。やがて、こちらを見つめたまま倒れ込むように上半身を寄せてきて――コツン。ボクの額に自分のおでこをくっつけてきた。


 キ、キスしてくるのかと勘違いしてめっちゃ緊張――いや期待しちゃったぞ。


 ユウは、さながらマーキングのように、おでこをぐりぐりと擦りつけながら、


「ねぇねぇ、今日はすっごい調子いいからお散歩いこうよ~」


「相変わらず突拍子もないなぁ。いいけど」


 いつからかは、わからないけれどユウに振り回される日常に癒やされている自分がいた。ボクからの好感度が高すぎるというのもあるんだけれど、そこには確実に喜びがある。


「で、どこに行くのかね?」


「公園通って、スーパーマーケットまでね~。カレールゥ買い忘れちゃったみたいだから。あ、おやつ代ももらったよ?」


 それはお散歩ではなく、おつかいだよね。まぁいいけど。


「今日はカレーですか、よろしゅうおすなぁ~」


 ところで、家で作るカレーはどうして夕食というイメージなんだろうね。外でカレーを食べるとしたら昼間でも違和感なんてないのに。


「でしょ。異世界といったらカレーだしね。今度スパイスから作る方法を一緒に研究しようよ。まずは野生のスパイスを探すところからだけど」


「そこからかよ! とおいなー。カレーいつ完成するんだよ」


「異郷だからこそ食べたくなるものってあるよね。魂が求める味というのは故郷とか家族とかの味だからね。作り方を研究しとかないとっ」


 ボクたちの、いつになるかはわからない数々の約束がこうやって桜の花びらのように穏やかに降り積もっていくのだ。


 すでに街には溶け残りの雪もなく、淡く柔らかな光が街路で春待つソメイヨシノに注がれている。まだ太陽の角度が低いせいだろう暖色系の光がユウの頬も優しく染め上げている。


 冬が緩みはじめる気配に足取りもほのかに軽やかだけれども、やはりまだ空気は冷たい。


 ユウは「今日も寒いね~」なんていいながら、体温を手放しつつある指先でボクの手のひらをきゅっと握りしめ身体を寄せてくる。それから反対の手でボクの首筋にそっと触れる。


「ひょっ、ちょ、それは反則!」


「今日も温かいねぇ~」


「そこは温かくなかったらヤバいけれども。冷たい寒い、やめろアホ~」


「さ、さむいのか~。し、しかたないからコレ一緒に巻いてあげるね」


 などと言ってボクに中腰を要求してからつま先立ちでスヌードを自分とボクの首にかけてくる。ちょっとーそれリア充がマフラーでやるやつ。


「ユウさんや」


「なにかね?」


「これは動けなくなって失敗だと思うんだ。周りの視線も気になるけど」


 柔らかなほっぺが触れる距離。それに身長差もあるし身動きがとれないから。立ち上がったらユウがぷら~んってぶらさがっちゃうまである。イメージは横に並んでいたけれども、結果としては縦列だね、ウケる。


「へ、へっちゃらだけど」


 顔を真っ赤にして言われてもなぁ。とはいえ、ここに留まるわけにもいかない。名残惜しいけれどもユウを剥がして買い物の続きに行きますかね。


 べ、べつに抱っこして歩いてもいいんだけどね。


 近頃は、年度の変わり目ということもあって町中でよく公共工事を見かける。公園近くの道路の真ん中でも、簡易の柵を設置して赤の誘導棒をもった人が周辺を警備していた。


「ほら工事してるから、もうちょっと端によっていこうか」


「レーザーソードと頭装備に揃いのユニフォーム。どこの兵だろうね」


「へ、兵?」


 またおかしなことを言い始めたぞ。そんな工事現場を脇目にみながら通り過ぎようとしたら、囲いの中からさらにヘルメットを被った人がでてきた。


「お、おっさんがPOPした~。スタンピードかも、かも?」


「やだ、なにそのスタンピード、怖い。マンホールから大量のおっさんが沸いてくるとかきしょいわ」


「これは狩るしか」


「ダメ、オヤジ狩り。絶対ダメ。ノンアクだから襲ってこないしそっとしてあげて! あれでも健気に生きてるんからね」


「鑑定。あっ、あれはオヤジン。モンスターペアレンツかもよ、たおすべし」


「というかだなゴブリンっぽく言ってもダメ。モンスターのレッテルを貼るのもダメ」


 えっ鑑定つかえるの? なにその自分に都合のいい鑑定は?


 とりあえず工事現場の人たちの胡乱うろんな目が辛いのでユウの手を引いて足早に通りすぎる。


「ねねっ、工事していると見せかけてあれってダンジョンの入り口だよね」


「いやちげーし。マンホールを開けてのメンテナンスかなにかだろう」


「そうかなぁ。でも、冒険者ならあーゆーところに入っていくわけでしょ?」


「まぁたしかにな。自然にできた洞窟とかにも普通に入っていく描写とかあるものな」


「探検したくなるよね」


「いやいや。ならないよ? 怒られちゃうし、真っ暗で怖いだろう」


「白いワニとかいるかもよ? 討伐クエスト大発生だよ?」


「なにワクワクしてるんだよ。そんなのいたらヤバいわ」


「地下水路と幻覚といえば白いワニが大発生だし、ディスクなあれでディープな迷宮だし、恐竜でマーフィーズでイロイッカイズツだからね」


「なんだその呪文は」


 あいかわらずテンション高いな~。好き好んでダンジョンに入ろうなんてヤツは、狂っているかどうしようもなく莫迦だな、きっと。

 少なくともボクの、強いては現代日本人のメンタルではダンジョンには入れない気がする。


「遠慮しとくよ」


「あっ、ビビリですねー」


 くっそ、ボクのことよく分かっている、幼馴染の最大の弱点だわ。にやにやするんじゃないよ、だってヤバい予感しかしないじゃんよ。


「あんな暗くて狭いところに入っていくとか正気じゃないよ」


「残念。フラッシュライトとかが必要だったかー」


「装備の問題でも明るさルーメンの問題でもないからな。あとそこは魔法じゃないのか?」


「MPは節約だよ」


「電源どーすんだよ、まぁとにかくマンホールはやだなぁ」


 それから、ユウはなんだか不意にひらめいた的な雰囲気をだしながら


「あ、もしかしてキミはハイアリングな人だった? メリットがないと付いてこないか~、ならば金銭を介した関係ってことかな?」


「をぃ」


「1ゆきてぃ~でいいよ」


「なんでボクが払う方にみたいになっているのかな? むしろ雇用関係だったら貰うほうでしょ?」


「あっ、職業ヒモにする?」


「はい? なにいってるんだ」


 それは、脊髄反射でツッコムレベルだよ。


「反応はやい~、やっぱり興味あるの? いやむしろ興味津々だね、や~ら~し~」


 あ~んとかいいながら、くねくねするんじゃありません!


「まてまてまて」


「ぷ~くすっ。声おっきいな~」


 ちょっと天下の往来でなにをいっちゃってるのかな。人聞きが悪すぎる。近所の人に聞かれたらどーすんだよ、まったく。


 それから予定通りのルートで歩を進めてなんとか公園の近くにさしかかる。広い園内の一角から人々のさざめく音が耳に届く。穏やかな旋律のメロディーもかすかに漏れ聞こえてきた。


「ねねっ、なんかやってるよ!」


「フリーマーケットかな。この公園ってこんなこともやってるのな、知らなかったわ」


「えっ! ノミのイエティ。の?」


 なにそれ怖い。蚤の市フリーマーケットをネイティブっぽく言ってるつもりかな。


「たしかにフリーは自由(free)じゃなくて蚤(flea)だから間違ってはいないけれども。イエティは雪男だからな」


「色色でてるね。なんかいい匂いするし。するし……チラッ」


 近くにある串焼きの屋台から流れてくる香りの誘引力がすごすぎる。案の定というか、まんまとユウの後ろ髪がひかれすぎていた。

 まったく、公園を通り抜けるのがお店までのショートカットだしね、冷やかしながら行こう。


「一本ずつ食べよっか」


「うへへ、ありがと」


 なんともいえない魅惑的な匂いを放つ串を二本買って片方をユウに差しだす。再度礼をいいながら受け取ったユウは、その艶のある口元へと串を運んでガブッといった。

 緩んだ表情で美味そうにもぐもぐしている。小動物のような気取らないその姿にある種の気安さと慈しみを覚える。


「ねーねー。これって冒険者っぽくない?」


「たしかに異世界で串焼きとか定番だよな。みんなこぞって食べるし。観光気分というか一見さん感が半端ないけどね」


「オークの串焼きはでりしゃふ」


「オークって……豚じゃないか?」


「なんだかわからない肉はオーク、もしくはコカトリスと決まっているから! これは既定路線だよ」


 なにその新常識。ボクは、なんだか知らないうちに初めてのオークを食べてしまったらしい。美味。


「こうなるとアレが欲しくなるね」


 とユウが指差す先には各種飲み物が置かれたブースがあった。


「ビールじゃないよな?」


「もちろん、ビールじゃないよ。エールだよ?」


「アホ、エールはビールの一種だ。未成年でしょうに、飲んだことないよね?」


「ないけど、異世界ではセーフ説を採用しています」


「ここは近所の公園な。日本的な場所だから」


「でも、おとうさんが麦酒を美味しそうに飲んでるから、絶対おいしいやつだよ! 別に般若湯はんにゃとうでもかまわないでーす」


「そうか? 苦いとか聞くけどな。あとそれは僧侶な人達が使う酒の隠語だからな」


 そもそもよく違いがわからないのだ。


 エール(Ale)ってパンなどと一緒に飲み食いするものだったみたいだけど。苦味の元であり防腐効果のあるホップを大麦麦芽に添加したものがビールで、本来はホップの添加がなくフルーティな風味のある発酵飲料がエールらしい。とはいえこの辺の境界はだいぶ曖昧みたいだけれども。


 というかエールとはなんぞやって思って前に調べたことがあるけど、詳しくは理解できなかった。


「そんなこといってるけど、ユウはやっぱりこっちだろ」


 温かくしてあるココア缶を小銭と引き換えに手に取る。フタを開けると幸せな成分を含んでいる湯気が立ちのぼる。小振りなその缶をそっと差しだすとユウは両手で包むように受け取り、飲み口に唇を寄せてふーふーしてから、一口含んでにへらと相好を崩した。


「甘い……キミは甘いね」


「ボクは、ユウを甘やかしていくスタイルだからね」


「なにそれ最高だよ。お礼に一口どうぞ」


 幼馴染だから同じ器で飲み物をシェアするなんてこれまで何度もやってきた。けれども恋心を意識しちゃったせいなのか、何気ない行為がボクをあっという間に沸騰させるのだ。


「ちなみにここの飲み口の開けるところをなんていうか知ってるか?」


「プルタブかな」


「ふふふ、バツだ! それはすごい昔に絶滅した取れるタイプのやつな。このタブが切り離されないやつはステイオンタブっていうらしいぞ」


「へー、人生の役にたたない知識だね。で、なにをごまかしたの?」


 苦し紛れに薀蓄うんちくを披露したけれども。ちっ、お見通しか。


「べ、別に」


「えっちなのかな?」


「うっせ」


 ヘタレとでもなんとでも言ってくれ。ただこの距離感が心地良いいことだけは確かだ。あとあれだ。串焼きにココアって……。


 家を出てスーパーマーケットまでは徒歩でだいたい十五分。一時間ほど経過しているけれどカレールゥはまだ手に入っていない。

 今も昔もスパイスへの道は遥か彼方らしい。

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