しょうちゃんとゲン担ぎのきつね

@mameta713

しょうちゃんとゲン担ぎのきつね

 お正月が過ぎて、少したったある日。お母さんが入院した。

「じゃあ行ってくるわね。杏、私がいないからってカップ麺やスナック菓子ばかり食べちゃダメよってお兄ちゃんによく言っておいてね」

「うん、分かった。お母さん、がんばってね」

「ありがとう。がんばるね」

 とつぜんではなく前から決まっていた入院。去年からずっと聞かされていたから、心の準備はできているつもりだった。

 お母さんの入院中、昼間はお母さんの方のおばあちゃんが来てくれた。自転車で片道三十分。長い坂道をシュッコシュッコ登りながら。

「杏ちゃんはえらいね。お洗濯もお掃除もお手伝いができて」

 縁側で洗濯物を干しながら、おばあちゃんが言った。

「えへへ。お母さんのお手伝いを毎日してたんだもん。それにあたし、四月から小学生だから」

 おばあちゃんにほめられて、あたしはちょっと鼻高々だ。

「頼もしいわね。これならお母さんも安心だわ」

 おばあちゃんは笑ってタオルをパンパンはたいていたが、

「あら、杏ちゃん。ダメよ。靴下、裏返しのままよ」

とたしなめるように言って、あたしが干した靴下を表に返して干しなおした。

「あっ」と出かかった言葉を、あたしは飲みこんだ。

 お母さんはいつも裏返しにして干すのに。

『裏返しのまま洗って干して、たたむときに返すの。そうするとほら、表がきれいなまま長くはけるのよ』

 お母さんは、そう教えてくれた。

 靴下にプリントされたクマさんが、「いつもと違うけど大丈夫? 言わなくていいの?」とこっちを見ている。

「杏ちゃん、寒いから早くお家に入ろう」

 洗濯物を干し終えたおばあちゃんが手招きした。

 靴下のことを、あたしはとうとう言えなかった。

「あっ」と思うことは、ほかにもいろいろあった。

 お母さんの卵焼きは甘いけど、おばあちゃんの卵焼きはしょっぱい。お母さんはみそ汁をふっとうさせないけど、おばあちゃんはみそ汁をぐつぐつ煮る。お母さんはドーナツやホットケーキをおやつに作ってくれたけど、おばあちゃんのおやつは麩菓子とおせんべいだった。

 おばあちゃんのことは好きだ。でも……。

 でも、やっぱりお母さんがいい。洗濯するのも、お料理するのも、おやつを食べるのも、お母さんとがいい。お母さん、早く戻ってきて――。


 お母さんが入院して二週間が過ぎた。お父さんとしょうちゃんとお夕飯のおそばをすすっていた時のことだ。携帯が鳴ってお父さんが席を立った。

 ちなみに、しょうちゃんはあたしの中学二年生のお兄ちゃんで、本名は翔平という。

 お父さんがリビングを出た瞬間、しょうちゃんがぼやいた。

「おい、アンコ。ゆでそば、四回目だぞ。そばだけじゃなくて、唐揚げとかがっつりしたもの食いたいよな」

 しょうちゃんはあたしのことをアンコと呼ぶ。つぶあんが苦手なあたしをからかっているのだ。

「うん。でも、もうちょっとの辛抱だよ。もうすぐお母さんが帰ってくるもの」

 あたしはテーブルの上のカレンダーを眺めた。ハナマルでかこったお母さんの退院日。ハナマルの日はもうすぐだ。

 しばらくして、リビングに戻ってきたお父さんは難しい顔をしていた。

「お母さんの入院、もう少しのびることになったよ。心配を残さないように検査をしておくことになった」

「のびるっていつまで?」

 しょうちゃんが聞いた。

「最低でも一週間はかかるらしい。明日、病院に行って詳しいことを聞いてくるよ。二人には悪いな。でも、杏ももうすぐ小学生だし、大丈夫だよな」

「……うん、だいじょうぶ」

 あたしはにんまりしてうなずいた。だって、お父さんが困り顔で言うから。

 でも、なんだかな……。

 もう意味がなくなってしまったカレンダーのハナマルを何度も指でなぞった。

 その晩、みんなが寝静まったころをみはからって、あたしは押入れにこもって泣いた。

 ちっとも、だいじょうぶじゃない……。

 あたし、まだ小学生じゃない……。

 お母さん、本当に検査なのかな? 悪い病気だったら、どうしよう!

 考えだしたら止まらなくなって、次から次に涙があふれた。

 スッと押入れの戸が開いて、懐中電灯の光がさしこんだ。

「見いつけた」

 しょうちゃんがふっと笑って、懐中電灯をわざとあたしに向けた。

「まぶしいよ……。ヒック」

 あたしはしゃっくりしながら、涙でぐしょぐしょになったタオルを投げつけた。

 しょうちゃんは、たまっていた「あっ」を全部聞いてくれた。うんうんとうなずきながら、あたしのしゃっくりが止まるまでずっと背中をさすってくれた。

「そうだよな、アンコはまだ小学生じゃないもんな。大丈夫じゃないのによくやってるよ。えらいえらい。……でもさ、アンコ。なんで、おばあちゃんに言えないんだ?」

 なんでって。だって、だって……。

 言葉にするのが怖くて、あたしはうつむいてしまう。

 すると、しょうちゃんはあたしの頭に大きな手をぽんっとおいた。

「大丈夫だよ。そんなことでおばあちゃんは嫌な顔をしないから。アンコのことを嫌いになったりしないから」

 ……しょうちゃんは、なんであたしの気持ちが分かるんだろう。

「もし、アンコが『おせんべいなんか嫌い!』とか『おばあちゃん、靴下の干し方間違ってるよ!』って責めたら嫌だろうけどさ」

「……あたし、そんないじわるな言い方しないもん」

「だろ? なら大丈夫。物は言いようっていうんだ。ためしに、おばあちゃんに『おせんべいもおいしいけど、今度ホットケーキを一緒に作ろうよ』って言ってみな。いいよって言ってくれるから」

「……ほんとに?」

「ほんとだよ。あとな、お母さんのことも心配すんな。絶対に元気になって帰ってくるから」

 しょうちゃんはにんまり笑ってあたしの頭をぽんぽんっとした。

 ガゴーッ ガーッ

 お父さんの部屋から工事音みたいな音がした。

「すんげーいびき」

 あたしとしょうちゃんは顔を見合わせて笑った。


「やだ、杏ちゃん。もっと早く教えてよー。おばあちゃんもこれからは裏返しのまま干すわ。靴下って、すぐぼろぼろになっちゃうのよね」

 フンフンと鼻歌を歌うほど上機嫌なおばあちゃんに、あたしはちょっとめんくらった。

 こんなことなら、もっと早く伝えればよかった。

 裏返しになったクマさんの靴下が風にゆれている。クマさんもきっと安心してるだろう。風は冷たいけど、太陽が出ていて日なたはあったかい。

 うん、いい青空。

「じゃあ、杏ちゃん。また来週ね。月曜日は一緒にホットケーキを作りましょうね。約束」

 おばあちゃんは指きりして帰っていった。

「ほら、言ったとおりだったろ」

 部活を早く切り上げて帰ってきたしょうちゃんが、どうだという顔をした。

「うん、ありがと」

 本当にしょうちゃんの言うとおりだった。何も言わずに悪いことを想像して落ちこんでないで、ちゃんと伝えればよかったんだ。えっと、物は言いようだっけ?

「そうだ。今日、父さんは病院に寄って遅くなるから、夕飯は俺にまかせろ」

 自信満々にしょうちゃんがスーパーの袋から取り出したのは、

「『赤いきつね』? でも、お母さんがカップ麺とスナック菓子はダメよって」

  あたしが言い終わらないうちに、しょうちゃんはチッチッチと人さし指をふった。

「これは、お母さんが早く退院できるようにって食べる物だからダメじゃないの。ゲン担ぎだよ」

「ゲン担ぎ?」

 あたしは首をかしげた。

「そう。正月にも食べただろ。金運があがるように栗きんとん。健康に働けるように黒豆煮とか。それと一緒。さて、アンコ君。赤いきつねで君は何を思い浮かべるかね?」

 しょうちゃんは博士みたいなしゃべり方で、ないアゴヒゲをさするそぶりをした。

 赤い、きつね。うーん、最近見た気がするんだけどな。どこで見たんだろ。……あっ!

「お稲荷さんのきつね像。赤い前掛けをしたきつね像! 初詣で見たよ!」

 真っ赤な鳥居の左右に凛と鎮座したきつね像がふっと頭にうかんだ。

「大正解!」と、しょうちゃんは親指をたてた。

「そう、善音箭弓ぜんいんやきゅう稲荷神社のきつね像。きつねはお稲荷さんのお使いだろ。神様のお使いと同じ名前なんて、食べるだけでご利益があると思わないか?」

「うん、ありそう。すっごくありそう!」

 あたしは深く深くうなずく。

「しかも、あの神社は病気を治す神様としても有名だ。さあ、お母さんが一日も早く元気に退院するように赤いきつねを食べるぞー」

「食べるぞー」

 右手のこぶしを高々とあげるしょうちゃんにならって、あたしも両方のこぶしをあげた。

 お湯をそそいで待つ間、お稲荷さんの方角に向かって二人で手を合わせた。

 お母さんが一日も早く元気に帰ってきますように。検査で悪いものが出ませんように。

「さあできたぞ」

 しょうちゃんがカップのふたを開けると、白い湯気といっしょにお出しのいい香りが立ちのぼった。たまらずあたしは深呼吸する。

「わあ、おっきなおあげ」

 かぶりつきたい気持ちをおさえて、あたしはしょうちゃんがお椀によそってくれるのを待つ。しょうちゃんは、あたしがうっかりおうどんを喉につまらせないようにキッチンバサミで短く切ってくれた。

「いただきます!」

 初めて食べる赤いきつね。おうどんはもっちもちで、黄色い卵はふわっふわ。かまぼこはかめばかむほどいいお味。お出しをたっぷり吸ったおあげからは、甘じょっぱいおつゆがじゅわーっとあふれ出る。

「おいしいね! しょうちゃん」

 しょうちゃんは口をもごもごさせながらうなずいた。


 しょうちゃんが食器を洗っている間、あたしは曇った窓ガラスに絵を描いた。前掛けをしたきつねの絵だ。

 赤いきつねさん。あたしたちのお願い、神様にちゃんと届いたかな?

 コーン!

「えっ?」

 びっくりしてふり返ると、しょうちゃんが悪い悪いと台所から顔をのぞかせた。

「おたまをボウルに思いっきりぶつけちゃった。ごめんな、おっきい音出して」

 なあんだ。きつねさんのお返事かと思ったのに。ねっ。

 あたしは窓ガラスのきつねに笑いかけた。

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