第64話 門弟魚屋北渓―其ノ壱

 お栄が聖天横丁西隣りの遍照院長屋(狸長屋)へ戻り、戸口の煤けた油障子の前に立つと、中から話し声が聞こえる。

 ――おやっ、この声は初五郎さんだ。

 前にも述べたが、初五郎とは北斎門弟の魚屋北渓ととやほっけいのことである。

 その画号が示すように、かつて北渓は四谷鮫河橋さめがはしで魚屋の主人ていしゅをつとめていた。

 と言っても、ただの魚屋ではない。大名屋敷御用達の大店おおだななのだが、見世は家族や奉公人に任せっきりで、自分自身は若い頃から画業三昧ざんまいの日々を送っていた。

「ただいま」

 腰高の油障子をガラリと開けて、土間口に立ったお栄に対し、北渓がいかにも大店の旦那といった風情で、ゆっくりと白霜はこそうこうべを垂れる。

「おェりなさいやし。ご無沙汰しておりやした」

 木挽町こびきちょうの狩野惟信これのぶに師事したのち、北斎門下に入り、いまや古稀こき近い齢のはずだが、端正で上品な面立ちは昔から変わらない。

 北渓に接するたびに、お栄の胸はいつも軽い動悸どうきを覚える。

「おやまァ、お出でなさい。そう言えば、半年前の灌仏会かんぶつえの頃にお見えになって以来でござんすね」

 相も変わらずの丁寧な北渓の辞儀に、お栄があわてて膝に両手を揃えて礼を返す。

 土間の隅には、きちんと脱ぎ揃えられた上物の雪駄せった

 北渓は絵師としては珍しい、規矩きくの人である。

 明六ツの鐘の音とともに起き、朝餉あさげ後、五ツ(午前八時頃)から七つ(午後四時頃)まで絵の道に専心。その後、湯屋に行き、一合の酒と夕餉ゆうげり、の刻(午後十時頃)までには就寝するという。

 連れ合いに先立たれた後も、後添のちぞえを迎えることなく独り身を通し、浮いた話ひとつとしてない。唯一の趣味は月下老げっかろう、つまり仲人をすることだ。

 こうした堅蔵かたぞう(生真面目)で実直きわまる性分ゆえに、拗ね者の英泉とは反りが合わず、いつしか水と油の関係になっていた。

 北渓は師匠の北斎の前では胡坐あぐらもかかない。いましも北渓は、媚茶こびちゃあわせついの羽織という恰好で、北斎の前に折り目正しく正座していた。しかも、北斎同様に大柄で貫禄もある。

 片や北斎は薄汚れた半纏はんてん姿。しかも無精髭は生やし放題。

 ――これじゃ、パッと見、どっちが目上めうえなのか、見当もつかない判じ物だ。

 お栄が苦笑を浮かべつつ、座敷へ上がり、いつもの定位置である長火鉢の前に腰をおろすと、北渓が膝に手を当て、改めて一揖いちゆうする。

 北斎は帰ってきたお栄に一瞥いちべつをくれたのみで、胡坐をかいて鯛や平目の刺身を箸で突っついている。

 無論、刺身は北渓の手土産である。魚屋の主であるだけに、この弟子は師匠北斎のために、みずから包丁をふるった馳走をしばしば持参していた。

「つまらねえもんですが、よろしければ、お栄さんも召し上がってくだせえ。これはお口汚しのついでに……」

 北渓がそう言ってお栄に差し出したのは、五合徳利であった。

 徳利の腹には、お栄も馴染みの酒屋「門前屋」の屋号。それは浅草寺伝法院でんぽういん前にある酒屋の貸し徳利だ。

 次いで、北渓は半紙に叮嚀ていねいくるんだ猪口ちょこをふたつ、羽織のたもとから取り出した。蛇の目の利き猪口だから、これも門前屋からの借り物であろう。

 猪口を手にしたお栄の前に、北渓がいざり寄って、酒を注ぎ入れる。

「下戸のお師匠さんの前で、一人でるのはどうもはばかられましてね。丁度よいところに、お栄さんにお戻りいただきやした」

 この北渓のもっともらしい口上いいざまに、北斎が噛みついた。

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