二人のきっかけ緑のたぬき

水鳥天

とあるコンビニ

 日が既に落ちきった郊外の住宅地。そこを貫く幹線道路を一台の市営バスが走っていた。

 バスの車内には数人の乗客が座席に座っている。その中の一人、市原マサキはぼうっと窓の外を眺めていた。一定間隔に並んだ街路灯が通り過ぎていく。そして次第にその流れは緩やかになっていき、バス停で停車した。

 マサキはビジネスバッグを持って座席から立ち上がる。バスの前方へと歩みを進めパスを通して降車した。

 はぁ、と一つため息を吐いてトボトボと幹線道路沿いを歩き始める。マサキは自身の現状を思い出していた。大学を卒業してどうにか就職し、二年が経つ。日々、忙殺されながら職場と寝床を往復する日々に飽きてきていると、自覚し始めていた。

 ただ強い不満がるわけでもない。そんな煮え切らない気持ちのまま歩き続けるその先にコンビニから漏れる光と看板が輝いていた。

 マサキは広い駐車場を横切り、慣れた足取りでコンビニの自走ドアをくぐる。いつもの気だるい定員のいらっしゃいませの声を聞きながら広めに造られた店内のいつもの売り場を回り、いつもの夕食のメニューを揃えた。

 マサキはふと足を止める。カップ麺コーナーに並べられた緑のたぬきが目に止まった。引き寄せられるように手に取り、そのままレジへと向かう。

「懐かしい。学生の頃はよく食べてたな」

 支払いを済ませ、レジのそばに備え付けらた給湯ポットの前に移り緑のたぬきの封を切った。

 お湯を注ぎ、窓際に造られたカウンター席へと向かう。マサキはこのコンビニのイートインスペースで夕食をとるとこが多かった。

 自宅である賃貸の狭いワンルームでの食事にどこか侘しさがある。夜遅くの住宅街のコンビニを出入りする人の流れがちょうどいいと感じていた。

 一列に並んだカウンターの座席には一人、先客がいる。これもマサキにとって見慣れた光景ではあった。女性の先客からいくつか開けて席に着く。マサキは一息ついて腕時計を確認し、刻まれる秒針を待ち遠しく眺めた。

 ようやく時間が経過してマサキは蓋を開ける。立ち上る湯気と共に出汁の香りが広がった。割り箸を開け、出汁にふやけた天ぷらを軽くほぐすと、箸で掴んだ蕎麦を口元まで持ち上げる。息を2回、長めに吹きかけて口へと運んだ。

 勢いよく啜る。カップに口をつけ、出汁を口に含んで呑み込んだ。

 そんなマサキの様子を眺める人物がいる。カウンター席、先客の女性だった。

「あのー」

 席から立ち上った女性は目の前の緑のたぬきにがっつくマサキに声をかける。マサキは驚き軽くむせて咳き込んだ。

「ごめんなさい!いきなり声をかけてしまって・・・。大丈夫ですか?」

 わたわたとする女性にマサキは手をかかげて見せ。カップをテーブルの上に置いて呼吸を整える。

「だ、大丈夫ですっ。どうかしましたか?あっ、うるさかったりしました?すみませんっ」

 マサキは顔を上げて答え、緊張と焦りで息を整え終える前に懸命に声を出した。

「あっ、いえいえ!そんなことはないです。ちょっとお尋ねしたくて・・・えっと、すごくいい匂いがして美味しそうに食べてるから、私も食べてみたくなってしまって・・・あの、迷惑でなかったら何を食べているのか教えてもらってもいいですか?」

 おろおろとしながら話す女性にマサキはきょとんとして話を聞いている。その内容が自身に対する苦情でないと理解するとホッとして胸を撫で下ろした。

「ええ、いいですよ!」

 緊張で跳ね上がった鼓動とその反動の安堵からマサキは高揚感で背筋がピンと伸びる。

 食べかけの緑のたぬきをそのままに声を掛けてきた女性を売り場まで案内した。

 その女性はこの場で食べるということで、マサキはお湯のポットの場所、作り方も合わせて説明する。そしてお互い元いた席に戻った。

 軽く一礼しながら女性はマサキお礼を言って席に着く。マサキも軽く会釈してもとの席に戻り、置いていた緑のたぬきにまた手をつけ始めた。

 出汁は少し冷めてしまっていたものの、マサキは少し晴れやかな気持ちのまま緑のたぬきと合わせて買っていたおにぎりと一緒に手早く食べ終える。そして先にコンビニを後にし、普段より軽い足取りで帰宅して行った。

 次の日もまたマサキは同じコンビニへと立ち寄る。入口に向かう途中、窓越しに前日と同じイートインスペースの席に座る女性がいた。ふと目が合うと、お互い笑顔で会釈を交わす。いつもと変わらない夕食が少し楽しくなったようにマサキは感じた。

 そんな生活がしばらく続く。その間にマサキと女性の間はほんの少しづつ縮まって行った。

 軽く会釈を交わす仲から、声で挨拶を交わすようになると、徐々に二人の間に空いていた席は減っていく。そして一つ、二つ席を開けながら簡単な会話をするようになっていた。

「こんばんは、高坂さん。今日もお疲れ様です」

「あっ、こんばんは。おつかれさま」

 日々、少しづつ会話の量は増えてく。暑さ、寒さから天気の話から始まり、コンビニの新商品の感想、時事ネタを簡単に話していた。

 それでもお互いに連絡先を交換することはない。マサキはあえて臆病に微妙な距離をとっていた。

 マサキはそれで全然構わないと思っている。職場の人以外で誰かと簡単に談笑できるこの時間がかけがえの無いものになっていた。

 その時間を自身の不用意な踏み込みによって壊してしまうかもしれないという恐れがそうさせている。それだけ微妙なこの関係性をいつ終わってもいいような心の準備を進めているようでもあった。

 そんな生活が続くなか、その日もマサキはお馴染みのコンビニに立ち寄る。しかしいつもなら座ってぼうっとスマホを覗いている高坂の姿がなかった。

 それまででも一日、二日顔を合わせなかったことはある。マサキはまたすぐ会えるだろうと考えながら、その日は一人で夕食を終えた。

 しかし次の日も、また次の日も高坂の姿はない。そして顔を合わせることのない日々が続いていった。

 マサキは内心、ついに来たかと冷静に現状を受け止めている。それまで積み上げてきた覚悟が落ち込みそうになる気分を下支えした。ただ、それでも寂しさは感じている。ふぅと一息を吐き、会計を済ませた夕飯を持って自宅へと帰っていった。

 私営バスが走る。その日は雨が降り、窓に滴が筋を引いて流れていくのをマサキはぼんやりと眺めていた。バスは止まり、マサキは出口から下車する。傘を差し、雨音を聞きながら下を向いて自身の足先を眺めながら歩いた。

 そして気づくといつものコンビニの前にやってきている。立ち止まって伏せた目で一瞬悩んだ。息を吸い込むと傘を畳んで自動ドアをくぐる。いつもの店員の気だるいいらっしゃいませの声を聞きながらいつもの売り場を見て回ろうとして足が止まった。

 いつものイートインスペースのカウンター席に一人突っ伏して座る高坂を見つける。顔は見えなかった。それでもその身なりと、何よりいつもの席に座っている様子から高坂だとマサキにはわかる。マサキは胸がキュッと締め上げられるような気がした。

 呼吸が速くなり、視線が泳ぐ。どうしようかと考えながら歩き出し、その日の夕食をカゴに入れた。そうしている間に体に染み付いた足運びでレジの前にまできてしまう。カゴをレジカウンターの上に置きながらいまだに頭の中では思考が渦を巻いていた。

「ほっとくんすか?」

「えっ」

 思いもしない問いかけにマサキは目線をあげる。質問をしたのはレジを打つ店員だった。気だるそうな若い女性のコンビニ店員が商品のコードを読み取る。それはいつもと変わらない気だるげないらっしゃいませの声の主だった。

「もう結構長い間あーしてつっぷしてますけど、市原さん待ってたんじゃないっすか?」

 それを聞いてマサキは振り向く、立ち並んだ商品棚が遮られて見えない。

「お会計をお願いしまぁす」

「あ、ああ。すみません。ありがとう」

 慌てて財布からお札を渡してお釣りを受け取った。

 マサキは確かな足取りでイートインスペースに向かう。商品棚の角を曲がると座席に座った高坂が目に入った。ゆっくりと高坂の元に向かう。マサキは自身の心臓の高鳴る鼓動を意識した。

 高坂の背中はすすけて見える。テーブルには飲み掛けのコーヒーだけがあった。

 マサキは思い切って高坂の隣の席に座って、高坂の方を向く。

「高坂さん・・・高坂さん?」

 声をかけられた高坂は体をピクリとさせた。

 むくりと体を起こし、マサキの方をゆっくり向く。

「あっ・・・おつかれさまです。お久しぶりですね市原さん。よかった、まだここに来てたんですね」

 マサキは少しホッとして緊張が弛んだ。

「高坂さんこそ、本当にお疲れみたいですね。大丈夫ですか?」

 マサキの問いに高坂は寝ぼけた瞳が段々とはっきりとしてくる。

「えっと、はい。しばらく仕事が大変で・・・出張とかいろあって」

 そう言いながら高坂は慌てて自身の髪を撫で付けた。

「それは、ほんと大変だったみたいですね。僕もまた会いたかったです」

「へっ・・・?」

 気の緩みからかマサキは自信が口走った内容を思い起こして一瞬で顔がカッと熱くなる。

「あっ、いや、そうだ!お腹空いてませんか?」

「はい、確かに朝から食べるの忘れてました」

「なら奢りますよ。もうこんな時間なんでこのコンビニにあるもの限定になっちゃいますけど」

「あっ、緑のたぬき、また一緒に食べたいですね。まずは」

 高坂はふっとほほえんだ。

 マサキは自身の表情変化を気取られるのが恥ずかしくてにやけ顔を堪える。

「わかりました。お湯、入れてきますね」

 そう言ってマサキは席を立った。

 雨はまだ降り続いている。しばらくしてコンビニのガラス窓が二つの緑のたぬきの湯気で曇った。

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