064 英雄と工人

 僕はやるべきことをやったんだ。そう思うのは都合の良い考え方だ。

 そう思えたが、ギリスは悩まないのか。敵を撃つ時、何も思わなかったのだろうか。本当に?

 魔法戦士にそれを聞くのは、愚問に思えた。彼らに命じ、戦わせているのは王族だ。

「お前はそうだろうな。戦う時以外には、ちゃんと何か考えてから行動してるのか?」

 侍女に髪を結われながら、スィグルは恨んで言った。ギリスが何か考えているように見えなかったせいだ。

 今も、泰然たいぜんとしており無心に見える。

 円座にくつろいで、のんびり座っているようでいて、全く勝てる気がしない。

 例えばこいつを今、襲うとして、何をどうしたら勝てるのか、スィグルには頭の中ですらわからなかった。

 勝てそうもない。今はまだ。

 そう思うのも自分の負けん気だと思うが、英雄譚ダージに単独で名が上がるほどの魔法戦士に、そこらの少年こどもかなうわけはなかった。

「俺は何も考えてない。やるべき事が分かってるから」

「やるべきことって?」

 スィグルは悩んで聞いた。そんなものが分かってるならさっさと教えてもらいたい。

 しかしギリスはしれっと即答してきた。

「お前を守るのが俺の仕事だ。即位するまで生かして、必ずこの手で戴冠させる。殿下。お前が俺の新しい星なんだ」

 ギリスが冷たい目でこっちを見てきて、今日はまだ殺さない家畜でも見るようだったので、スィグルは絶句した。

 しかしなぜか、自分の髪を結う二人の侍女がかんざしを挿しながら無言で嘆息し、感激したようだったので、ちょっと待てと思った。

 なぜそんな忠節の空気か。いつの間にそうなったのか。

 昨夜の晩餐に続々と魔法戦士が来て、殿下に忠誠を忠誠をと言い、付き従うと誓っていったが、まるで魔法だ。なぜそうなったのか、スィグルはまだ訳を知らなかった。

 このエル・ギリスにしても、一体何を根拠に自分を守ろうとしているのか。

「なんで守ってくれるの?」

 聞くしかないと思い、スィグルは諦めて尋ねた。

 それに本格的にだらっとし始めていたエル・ギリスが、面倒そうに見上げてきて、いかにも億劫げに答えた。

「お前が次の玉座の君だから」

「なんでそうなる」

 そこを詳しく言えと思い、スィグルはもう一度聞いてみた。

 それにギリスは顔をしかめた。どこか悲しげな、なぜ何度も言わされるのかという嫌そうな顔で。

「とにかくそうなんだよ。運命に従え、スィグル。天使もトルレッキオでお前にそう言ったんだろ。イェズラムも言ってた。俺もそう思う。エレンディラも。アイアランも未来視したんだ。お前が即位した後の玉座の間ダロワージを。そうじゃないっていう奴がいたら連れてこい。俺が凍死させる」

 ギリスは剣呑な顔でそう請け合った。たぶんちょっと怒っている。目が怒っていた。

 それならギリスに凍死させられるのは自分ではないかとスィグルには思えた。

 異論がある。自分の即位についてはいろいろ。それを自分で論破できない限り、戴冠は無理だろう。

 誰もがそれを認めないのは別にしても、今はまだ自分自身が納得できない。

 まだ何も自分は玉座に相応ふさわしいような業績は示していない。

 そうだ。業績。それだ。

 自分には一体、この部族のために何ができるのか。民を幸せにするにはどうしたらいいか、分からない。

 民に聞けと天使は言っていた。本当だ。明解な答えだ。

 どうして欲しいか民に聞けば間違いなかろう。王族と貴人しかいない玉座の間ダロワージで一人悶々と悩むよりは、さっさと聞けば良い。

 さすが猊下げいかは頭がいいよなと、スィグルは半ば呆れて思い出していた。

 まさに天空からこの世を見ている者の観点だった。

 そんなこと、地を這うしかない自分には、逆立ちしても思いつかないかもしれない。

 まさか、聞けばいいとはな。

「工房に行きたいんだ。昨日来た、ほら、トードリーズ。覚えてるだろ?」

 ギリスが付いてくるかなと思い、スィグルは尋ねた。

 朝議に列席する義務を果たした後は、王子たちは自由に過ごしても良い。

 さっさと礼装を解いて、スィグルは工房に行くつもりだった。

 ギリスも行きたいなら、付いてきてもいいと思った。

 しかしエル・ギリスはきっぱりと答えた。

「だめだ。あの男は知らない奴だ。会わせられない」

「は? 僕には知り合いだよ。一緒にトルレッキオまで旅したんだ。信用できる男だよ」

 お前以上にな、とは言わなかったが、でもそうだ。

 トルレッキオへの山道をともに踏破とうはした間柄だ。

 エル・イェズラムもそうだが、自分たちの旅の寝床を作ったり、食事を整えたりしてくれたのは、最後まで随行ずいこうしてきた彼らの方だ。

 大英雄はスィグルを守ってくれたが、宮廷人で、自分でやることといえば、火炎術で焚き火に火をつけてくれることぐらいだった。

 水を組み湯を沸かすのは下々の者たちなのだ。

 父上もそれをよくご存知だったから、陣中では一兵と鍋を囲み、故郷に母を残して戦う兵の気持ちをねぎらったのではないか。

 玉座のお優しい御心みこころに胸が熱くなる。皆、そう言っていた。侍女たちも。

 父が優しく見えて、幼い日のスィグルにも大好きなお話だった。

 だから、そのお話をスィグルが旅中のひととき、火の側で共に休む大英雄に強請ねだったら、イェズラムは言った。その後、父が腹を壊したと。

 慣れないものを食うものではない。陣中では。

 上に立つ者の健康が、全軍に影響することもある。

 腹の調子が悪い奴が何万もの兵の命運を握ってみろ。たまったものではないだろうと、イェズラムはひどく不敬な調子で言い、スィグルは黙って旅の携帯食を食べた。

 それは美味いものではなかったが、文句も言わず食っている殿下を、トードリーズ達は頼もしいと言って褒めていた。

 王族など、豪華な宮殿でご馳走ちそうを食い、絹の絨毯の上しか歩かぬような連中と、彼らは内心ではさげすんでいたのだろう。

 トードリーズはそうは言わなかったが、そう思っているのは分かった。

 トードが父上を恨んでいるのも、言わなくても分かる。

 あの将棋の話が本当ならば、父上は優しいトードリーズをだましていたのだ。

 そして即位し、それから会っていないとトードは言っていた。

 王族に会える身分ではないのだし、尊い玉座の父に会わせるのも難しい。

 イェズラムは、諦めろと言っていた。

 玉体を拝めるのは貴人以上の者だけだと。

工人には、玉座の間ダロワージに入ることさえできない。工事や修繕の時なら別だが。

 謁見はおろか、族長や王族の姿を見ることも、本当はできないのだ。

 それでもトルレッキオへの道中では、他の目がないのを良いことに、うるさい宮廷儀礼はなりを潜め、スィグルはトードリーズと普通に話していた。

 そこらにあるもので簡単にかまどこしらえたり、木片から船や馬の人形をこしらえたりする工人たちの手技てわざに感心したものだった。

 そのお陰で人質に送られる最後の道中も随分ずいぶん気がまぎれた。

 敵に引き渡される間際まぎわまで、少ない人数となった同族の者に囲まれていると心強く、王族だの英雄だのという人の区別が何なのか分からなくなった。

 エル・イェズラムも気さくであったし、いつもどことなく気難しい大英雄ではあったが、側に寄って話しかけることもはばかられるような、宮廷での威風堂々いふうどうどうの姿とは違い、もっと身近に思えた。

 工人達にも自分は、ただの部族の子供に見えたのだろう。

 王宮の殿下や、尊いアンフィバロウの末裔というよりも、靴が濡れたら干してやらねばならぬ世話の焼ける餓鬼がきだったのだ。

 それを一人で敵地に置いて去るのが正しいことかと、工人達は最後にエル・イェズラムに尋ねた。

 それに困った顔で大英雄は、自分が残るので良ければ残るのだが、あいにくこれは王族の仕事だと答えた。

 トードリーズは納得できない顔だった。族長閣下がお気の毒だと言った。

 お好きなことは何一つ自由におできにはならず、命懸けで戦い、その上、大切な我が子まで奪われるとは。

 きっと生きてお戻りくださいませと、トードリーズはスィグルに別れを告げ、工人たちも頷いていた。

 兵士ではない従者ということで随行を許された戦わない者達だ。

 工人というのは黒エルフにしかいないのか、山の者どもには意味が分からないようだった。

 大工だとイェズラムは敵に説明していた。家や家具を作る者どもだ。王子の寝床を整えるために随行する。剣士や騎士ではない。武装もしていないだろうと。

 イェズラムもよろいを着ておらず、武器も手放していた。

 最も危険な武器は彼自身だったが、イェズラムは自分は殿下の教師だと嘘をついた。

 頭布を巻き、石に潰された片目を眼帯で覆えば、生まれつき目が不自由ゆえ戦士になれなかったという話も、敵にはもっともらしく見えたのか。

 よくそんな嘘を平気でつくなとスィグルは驚いたが、イェズラムは平気なようだった。

 そこに誇りはない。そして体術と火炎術があれば、お前を守れるとスィグルに請け合った。

 炎の蛇と英雄譚ダージが詠う部族随一の魔法戦士がいれば、山の者どもの軍団などは、すぐ焼き払えるのだとイェズラムは言っていた。

 幸い、そんな必要はなく、イェズラムは学寮の壁を壊しただけで帰っていった。工人達と共に。

 その話をしてやればギリスも信用するのだろうか?

 トードリーズはお前の養父デンの知り合いで、旅の途上では同じうさぎの肉を分け合った仲だ。

 身分は違うが、ひとときの仲間だった。

 だが全然、そんなことは、ギリスの知るものではないようだった。

「俺に駄々だだこねても無駄だからな。飯食って玉座の間ダロワージで叩頭して、それから学房へ行く。話は以上だ」

 ギリスはきっぱりと言った。

 口を挟む余地がない。

まるで聞き分けのない子供をあしらうようだった。

どこからそんな口の利き方が出て来るのかと、スィグルは呆れた。

「悪いんだけど俺も朝飯まだだから、俺の分も持ってきてくれない?」

 ギリスは気心の知れた口調で、スィグルの部屋付きの侍女たちに餌を強請ねだった。

 女達はかしこまりましたと平気で言った。

 ここで食う気か。

 スィグルはびっくりしてギリスと女達を見た。

 そこまで親しいのか?

 この女官達とギリスは。そしてギリスと自分は?

 一緒に飯を食うほどか。晩餐はまだしも、朝食もか。

「僕はスフィルと食べる。お前とじゃない」

 スィグルはびっくりして言った。

「えぇ、じゃあ三人でか? あの弟は俺が嫌なんだろ? ここに来るかな?」

 スフィルを呼びつける気か、ギリスは当たり前のように言った。

「馬鹿か。遠慮しろ。僕が隣に行くんだ。新しい部屋でスフィルは怖がっているかもしれない。僕も心配で眠れなかった」

 スィグルが言うと、ギリスはきょとんとしていた。

「元服した兄弟は双子でも一緒に飯は食わない」

 そういう習慣だとギリスが教えてきた。

 言われなくても知っている。双子は成人するまで引き離さない方が良いという迷信があり、王族では昔から一腹ひとはらの子は同じ寝床で寝起きする風習だ。

 それでも元服と同時に引き離される。特に王族では、双子であっても政敵だから余計にそうなる。

 仲の悪い双子だっている。王族の兄弟にも元服を待たずに部屋分かれして、それなのに二人まとめて発疹が出る流行病はやりやまいになって寝込み、やはり双子を分けるのは不吉なのだと王宮で囁かれていた。

 顔に痘痕あばたがある。そのご面相めんそうでは玉座の器にはあらずと皆に陰で言われている。

 顔は関係なかろうとスィグルは思うが、でも確かに父は身内でも少し空恐そらおそろしいほどの美貌だ。

 生きてはいない彫像が、何かの奇跡で歩き出したように見える。

 そういうものを皆は玉座に求めているのかもしれなかった。

 くだらない風習ばかりだ。

「関係ないよ。スフィルは一人だと食事を嫌がるんだ。僕の手からだとよく食べる。他の誰かじゃだめなんだ」

「本当にそうなら、お前の弟はとっくに餓死してるはずだけどな」

 スィグルの話にギリスはあっさり答えた。

 ムッとしたが、その通りだった。トルレッキオにいる間に誰かがスフィルを食わせていたはずだ。

「一緒に行く」

 ギリスは着替え終わったスィグルを見て、円座から立った。

「来るな。来ていいとは言ってない。弟がまたおかしくなったらどうする」

「大丈夫だ。俺に任せろ。気絶させる方法ならジェレフと同じ師父アザンに習ってる」

 ギリスは自信ありげに請け合った。

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