050 念動術師
茶を飲み終えた新星レイラスは完全に
薬入りの
一番
もったいないので食ってやろうと思い、新星の
殿下の席に
役得を得た
何をしに来たのかも忘れ、
その
他のは知らないが、サリスは一応、エレンディラのところで兵糧を食っている。その後でもここまで腹が減る奴というのは、信用できるとギリスには思えた。
たくさん食う奴は長生きするのだ。
それに比べて新星の食の細さは問題と言えた。
なにしろ朝から晩まで政務があり、そのあと
いつ寝ているのかと不思議でならない。
それでも族長リューズが朝議に遅参したことはないらしい。
もし遅れたら
ヤンファールでは族長はそう言っていた。
ギリスが必勝の
負ければ恐ろしくて王都に戻れぬ。ここで戦って死ぬと、族長リューズは言っていた。
冗談なのかもしれないが、ギリスには冗談には見えなかった。
お前もそうだな、と、ギリスのことをよく知っているふうに、族長リューズは言い当てていた。
そうではないとギリスは思ったが、その時は言わなかった。
俺はイェズラムに
イェズラムはギリスに怒ることは無かった。
しかし族長はイェズラムを恐れているようだった。
よほど悪い
射手の苦労というのは、おそらく並大抵でないものだ。
「もっと食えよ、スィグル。これ食えるだろ。好き嫌いするな」
食膳に小さく並ぶ美しい盛り付けの料理を
でももう呆然としており
「早く帰って寝たい。疲れたよギリス」
もう傾きそうな座り方で、スィグルが弱音を吐いていた。
「何言ってるんだよ。子供部屋で
「さっきので疲れた。エル・エレンディラに」
「エレンディラなんて全然疲れるような相手じゃないじゃん」
ギリスは呆れて聞いた。
「そんなことないですよ、
黙って聞いていたはずのサリスファーが、後ろのほうから囁いてきた。
食ってる割に聞き耳は立てていたらしい。油断ならない
「帰る?」
よれよれになっている新星が可哀想になり、ギリスは尋ねた。
「無理だ。王族は刻限まで退出できない」
スィグルは青い顔で首を振っている。
なんて不自由な連中かと、ギリスは新星がさらに気の毒になった。
「時間の無駄としか思えないな」
食いもせずご馳走を眺め、青い顔でふらふらしながら我慢して座っているだけとは、新星の第一夜はとんだことだった。
「待つのが王族の仕事だ」
さっきも言っていたようなことを、スィグル・レイラスはまた口にした。
「お前が族長になったら変えればいいよ。飽きたら帰れるようにさ」
ギリスがスィグルの膳の肉をつまみ食いしながら言うと、新星はやっと淡く笑った。
「そうだな……」
「やる気が出るだろ」
「戴冠できたらそう命じるよ。飽きたら晩餐から帰ってよいと」
新星がもっともらしく笑って言うので、ギリスも面白くて笑顔になった。
こいつが即位したら
父親のほうも、まあまあ無茶だが、それでも
今後はそれと同じことを自分がやるのかと思うと、ギリスは気が重かった。
自分も食ったらさっさと帰りたかったからだ。
いつまでも家臣と長話をする族長リューズは気が長い。今もまだ高段で、懐かしげに長老会の者たちと語り合っている。
「
新星の横にいるギリスの
礼装をしても、結いあげた髪に黄水晶の花芯のある
ギリスも一瞬身構えて、それを見た。
まさかまた吹っ飛ばしに来たのかと思ったのだ。
「エル・フューメンティーナですよ、
背後から低い声で、気の利く
俺が忘れてると思ってんのかと、ギリスは
「フューメ……」
膳の前に膝をついて
そこで叩頭しかけていた女英雄が、じろっと怖い目でギリスを
「呼び捨てにしないでくれる?」
「エル・フューメ……」
黄色い目で
ふん、と怖い声でフューメはため息をつき、深々とスィグル・レイラスに叩頭した。
「殿下、
非の打ちどころのない礼儀作法で、フューメは新星に挨拶をした。
廊下ではスィグルの悪口を言っていたくせに、そんなところは少しも見せない。
フューメが淡い笑みで可愛い顔をしていたせいか、スィグルは安心したらしく、にこりとして答礼した。
いつ吹っ飛ばしてくるかもわからない女なのに、用心しろとギリスは言いたかった。
「わざわざ挨拶に来てくれて、ありがとう。エル・フューメンティーナ」
「フューメとお呼びください、殿下。エル・エレンディラより殿下のお側に仕え、御身をお守りするよう仰せつかっております。どうぞ私と
「こんな人数どうやって置くんだよ……後宮か……」
ギリスは
すると白い
「無礼ですよ、エル・ギリス。
女英雄は冷たい声で言ってきた。
氷結術師であるギリスでも、骨まで凍りそうだった。別に寒さに耐性があるわけではない。
「いやいや。俺は殿下の射手なんだ。帰るわけない」
ギリスは参って答えた。女たちが本気に見えたからだ。
「そうは聞いておりません。そうなのですか、殿下?」
フューメは新星に聞いた。スィグルは困った顔で、しばし目を
「ギリス。お前、実は偽物か?」
「そんなことありません!
びっくりしたようにサリスファーが背後から叫ぶように言っていた。
「
フューメは馬鹿にしたような目でギリスを見ていた。何を言うんだこの女は。
「その長老会から言われて来てるんだよ!」
ギリスは困ってフューメに詰め寄った。
「そうかしら。エル・エレンディラは私に殿下をお守りしろと」
「俺が頼んだんだよ、お前を借りられるように。知ってるんだろ。卑怯だぞお前」
叫ぶわけにいかず、ギリスが声を潜めてフューメと顔を付き合わせて言うと、女英雄は嫌そうな目で顔を背けた。
「近いわよ、エル・ギリス。気持ち悪いからやめて」
「非礼だぞ、ギリス……
スィグル・レイラスが気をつかったように気まずそうにギリスに言った。
その事実を口にはできないとスィグルは思ったらしい。だが、そういう意味だ。
何が違うんだ、
「お優しい殿下」
廊下で悪口を言っていたくせに、フューメは平気で新星レイラスに甘い声で取り入っていた。
廊下で悪口を言っていたくせに!
ギリスは思わず歯噛みしたが、黙っているしかなかった。そのほうが都合が良いからだ。
その予想に違わず、フューメは
「実は私たちも殿下のご帰還式の隊列にお加えいただきたいのです」
フューメは長い
「正直に申しまして、私たちは戦闘経験もない弱輩でございます。殿下の行列にふさわしい英雄ではございませんが、どうぞ末席にお加えください。派閥の
「こんなチビばっかり送ってきたのかよ」
ギリスは心底驚いてフューメに聞いた。お前の
そう言うギリスをスィグル・レイラスまでが、非難するような横目で見て来た。
「ギリス。非礼だぞ。言葉を
ぴしゃりと偉そうに言って来て、スィグルはさっきまで震えていたくせに、急に主人みたいな態度だった。
「エル・フューメンティーナ。あなたの
「抜かりなく護衛を勤めますゆえご安心ください」
「
まだ餓鬼みたいな声の小娘がフューメを
まだ新星に挨拶もしてないのに喋るなとギリスは驚いたが、娘たちは個々に名乗る気はないようだった。
確かに十人ぐらいいる娘っ子にいちいち名乗られても憶えられない。
エル・フューメとその一味でギリスには十分だったが、誰が新星に
そういう目でギリスは
「そうなんだね。ありがとう」
優しげに言うスィグルに、餓鬼みたいな
まるで星を見るような娘たちの態度に、こいつすぐ殴ってくるし人を食う殿下なんだぞと、ギリスは呆れた。
それでも確かにスィグル・レイラスの容貌は良い。いかにもチビの女英雄が好みそうな綺麗な殿下だ。
それに心が動いたのかどうか、フューメンティーナは冷静そうな真顔でスィグルに申し出た。
「
「エレンディラにそこまで話してないぞ」
ギリスはフューメの申し出に驚いて言った。なぜエレンディラにその用件が分かったのか。
だが、フューメは尋ねたギリスをうるさそうに見て来た。
「ごちゃごちゃうるさいのよ、あなた。どうでもいいでしょ!」
これが本性としか思えない顔で、フューメが凄んできて、ギリスは黙った。
抵抗してはならない何かがフューメの目の奥にあった。
「念動術」
スィグルが不思議そうに聞き返している。
「殿下は念動術をお使いになるとか」
「英雄に習うほどの
確かめてきたフューメに気後れしたように、スィグルはぶつぶつと答えた。
それにフューメはにっこりとした。
「大丈夫です。魔力は使うほど伸びますし、特に念動術は使いようでございます、殿下。ただ馬鹿みたいに力が大きければ良いという、氷結術や火炎術とは違います」
氷結術のところをフューメは明らかに強調して言った。たぶん火炎術のところも。
ギリスの背後でサリスファーと包帯巻いてる奴が
「賢き者が正しく使えば、念動術は千倍にも万倍にも役立つ魔法です。聡明なる殿下に
「そうか。わかったよ、ありがとう、エル・フューメンティーナ。あなたの指導を受けよう。でも……」
暗い顔をして、スィグル・レイラスは言い淀んだ。フューメが何事かと首を傾げている。
「でも、あなたが魔法を使うのは止して欲しい。使うと石が痛むんだろう? 僕は魔法を使っても疲れるだけで済むけど、あなたは命が縮むのだから、もっと大事な時のために取っておくべきだ」
ジェレフには魔法で
ギリスにはそう見えた。それで隣であんぐりとしていた。
「そんなに驚くな、ギリス……何だよ」
気味が悪そうにスィグルがこっちを見ていた。
だが仰天していたのはギリスだけではなかった。
フューメンティーナも両手で口を覆って驚いていた。
「お優しい殿下……!」
今度は本気で驚いているらしく、フューメは微かに涙目だった。
「私の身のことはお気になさらないでください。英雄は日々魔法を使うものです。訓練いたしますので。それに殿下のために振るう魔法をフューメは惜しんだりいたしません」
いつの間にそんな忠臣になったのか、エル・フューメンティーナは熱く約束した。
廊下で悪口言ってたくせに……!
ギリスもそう言いそうになり、思わず片手で自分の口を押さえた。
「感動してるのか、ギリス……お前も?」
不可解そうに新星レイラスが尋ねてきて、ギリスは首を横に振るので精一杯だった。
「この男は放っておきましょう殿下。フューメがおります」
膳ににじり寄ってスィグルの気を引いて、フューメンティーナは美しい顔で微笑んで言った。
「ありがとう、エル・フューメンティーナ。千軍を得た気分だよ」
スィグルも相当な玉なのか、にっこりとしてフューメに感謝している。
いかにもお育ちの良い殿下という風情だった。
すぐ殴ってくる癖に……?
ギリスは押さえたままの口の中で、その言葉を噛み締めて飲み込んだ。
飲み込んだ言葉で腹が
射手にこんな苦労があるとは予想外だった。
思ったことを自由に口に出すこともできないなんて。
ギリスは膳の銀杯を取って、果実水で言葉を流し込もうとしたが、その杯すら空っぽだった。さっきスィグルに飲ませたせいだ。
くそ……。
ギリスは空の杯を見つめ、震えてそう思ったが、その背をサリスファーがバンバン叩いて来た。
「
小声でうるさく言う
苛立って目を上げると、そこに見たことがあるような礼服の
フューメが恐れるように
「エル・ギリス」
ギリスは怒ったような声で呼ばれて、趣味のよい
「
長身から見下ろして来て、その男は言った。黒塗りの盆を持っている。
「ジェレフ……」
なぜ
「呼び捨てにしないでよ、不敬でしょう!!」
噛み付くようにエル・フューメンティーナがギリスに言った。
なぜお前が怒る。
そう思ってギリスが
いつ吹っ飛ばされても不思議ではない状況だった。
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