039 花簪《はなかんざし》

「大丈夫ですか、兄者デン。エル・エレンディラと会ったりして」

 サリスファーはさも恐ろしそうに言っていたが、ギリスはそのビビりきったジョットの顔がおかしく、ふふんと笑った。

 エレンディラのことを、怖いと思ったことはない。

 恐れなければならない相手ではあるが、ギリスにとっては、恐ろしかったことはない相手だ。

 長老会の美しい女長デンだ。以前はイェズラムの好敵手であったらしいが、今はもう争う理由がない。

 イェズラムが死に、エレンディラもギリスと同じ、養父デンに遺された者だ。

血飛沫ちしぶきの従者のほうがヤバくない?」

「雷撃の地獄に咲く花のほうがヤバいです」

 そうこう言い合ううちに、ギリスは良い匂いのする界隈まで来た。

 この広い王宮の中でも、ギリスが滅多に足を踏み入れぬ区域だ。

 女英雄たちの縄張りで、そこの絨毯には可愛げのある小花の模様やら、星々の模様が織り込まれていた。

 可憐な室内香が香る空気が、ふわりと優しく撫でるように漂っている。

 歩くとかんざしがしゃらしゃら鳴るような連中が、目尻に化粧して歩き回っていた。

 誰も彼も英雄エルではあるのだが、同じ石を持つ身とはいえ、すれ違う誰もがあまりにも違う気がした。

 これと比べれば、銀狐エドロワばつの連中のほうが、よほど兄弟みたいだ。

 明らかに警戒した、敵意のような目で、女どもはギリスとサリスファーを見てきた。

 その中でも、一体どこにエレンディラがいるのか、廊下にいる娘たちに聞かなくてはならない。どこへ行けばよいのかも分からないせいだ。

 こっちをじろじろと見てくる、薄絹を長衣ジュラバの袖口から垂らしている娘たちに、ギリスは目を向けた。

 美しく結い上げた髪に、皆同じ花簪はなかんざしを挿している。白い花弁に黄色い花芯があるもので、本物の花かと思ったが、見れば花芯は黄水晶だった。手の込んだ装飾品だ。

「エル・エレンディラのところに行きたい」

「どうぞお行きになって」

 一番年上に見える背の高い女英雄エルに、これが長姉デンと目算をつけて尋ねたら、冷たくあしらわれた。

「どこにいるか教えてくれないか」

「何のために」

 重い石でも投げ渡すように、女英雄はギリスに尋ねてきた。

 それに何と答えたらよいのか。ギリスのやや後ろに立つサリスファーは、既に無言で小さくなり、青ざめて黙っていた。何か相談できそうには見えない。

「俺は新星の遣いだ。エル・エレンディラに呼ばれた。次の戴冠の話をしに行く。長老会の女長デンがどこにいるか教えてれ」

 ギリスは用件を述べた。単刀直入に。

 それを真顔で聞いて、花簪はなかんざしの娘たちは、黙ってじっとギリスを見た。

「おやまあ」

 驚いているのか怪しい口調で、長姉デンらしき女英雄が答えた。

「可愛いジョットよ、私のために走ってくれる?」

 長姉デンは隣にいた娘に話しかけたらしいが、そちらを見もしなかった。

「はい。我が姉上よエ・ナ・デン。喜んで。風のように駆けますわ」

 そう言ったくせに、花簪はなかんざしジョットは、裾から真珠色の薄絹が揺らめく長衣ジュラバの乱れない歩調で、しずしずと廊下を歩いていった。

 そして消えた。

 消えたように見えた。

 ギリスは驚きすぎて、ぎゃっとか、ぐわっというような声を自分が発した気がした。

 それもサリスファーの声だったのか。とにかく二人揃ってビビっていたのは間違いなかった。

「すごいでしょ。転移術よ。現れるのは英雄八千人に一人というわ」

 自慢げに長姉デンが言ってきた。

「それで? あなた達は? どんな魔法なの」

「氷結術です……」

 サリスファーが小声で答えていた。声が出るとは、なかなか根性のあるジョットだ。

 花簪はなかんざしの女英雄たちは、そろってくすくす可笑しそうに笑った。

「いやだ。普通ね。よくある技よ」

 馬鹿にしたふうに娘たちが言うので、ギリスはむっとした。

兄者デンはヤンファールの氷の蛇ですよ!」

 怒った口調でジョットわめいていた。

「死に損ないね、エル・ギリス」

 くすくす笑ってあざけるように、花簪はなかんざしの娘たちの長姉デンが言った。

「そういうお前はどうなんだ」

 ギリスは喧嘩を売られている気がして、赤い唇で笑っている女たちをにらんだ。

「私たちもそうよ。皆、死に損ない。お互い、生まれる時を間違えた。死ぬ時は間違えたくないものね」

「どういう意味?」

 ギリスは本当にわからず聞いた。

 女英雄たちの長姉デンは、ギリスとそう変わらない年頃に見えたが、ギリスを嫌っているような、憎しみのある暗い笑みでこちらを見返してきた。

「生きてても、もう無駄よ。そう思わない? いつ死ぬか皆で相談しなくちゃ。そうでしょ?」

「なんでだよ」

「あんたの新星が、皆を地獄に堕とすから」

 白い歯を見せて、花簪はなかんざしの女英雄はギリスに言った。

「そんなことしないよ」

「そうかしら。英雄譚ダージなく死す者は地獄の門をくぐるのよ」

 暗い目で言う娘は本気のように見えた。その死を覚悟しているような。

「そんなことさせない」

 ギリスはこちらをじっと見てくる女英雄の目を見て答えた。

 黄色の蛇眼じゃがんだった。花簪はなかんざしの黄水晶のような。

 その目がじっとギリスを見て、にこりともしなかった。

「新星レイラス? あなた馬鹿よね」

 娘は殴りつけるようにギリスに言ってきた。

 それをギリスは避けなかった。黙って殴られるのがもう習い性だ。

「よく言われる。俺は馬鹿かもしれないけど、でも、なんであいつじゃ駄目なんだ。誰ならいいんだ」

 ギリスは本当に教えてほしくて、黄水晶の娘に聞いた。

 娘は嫌な顔をして答えた。

「星が誰でも、もう同じよ。天使が相手では、どうしようもないでしょ。守護生物トゥラシェは魔法で殺せても、天使は無理よ。そんなことしたら、皆、地獄に落ちてしまう。私の可愛いジョットたちも……」

 無表情に長姉デンを見ているジョットの白いあごを指先でくすぐって、黄水晶の長姉デンは少し微笑んで見せていた。

「せめて皆で死ぬわ。地獄でもずっと一緒にいられるように」

「そんなの駄目だろ」

「何がよ」

 うるさそうに女英雄たちはギリスを睨んだ。

「エレンディラがそう言ったのか」

「私たちの女長デンを呼び捨てにしないで。失礼よ、あなた」

 黄水晶の娘は怒った顔をした。洞窟の闇に潜んでる、黒豹みたいな目だ。

 この娘たちの袖から漂う匂いは、エル・エレンディラの派閥の娘たちの香りとは違うが、それでも皆、エレンディラに仕えているようだった。少なくとも、女長デンが侮辱されたら怒る程度には。

「エル・エレンディラがそう言ったのか」

 ギリスは訂正した。

「いいえ。女長デンがそんなことおっしゃるわけがないわ。そうでなければ皆もう死んでる」

「悲惨すぎるだろ」

 ギリスは嫌な気がして、顔を背け、イェズラムの絵を抱えなおした。

 養父デンは死にたかっただろうか。そんなはずはないのに、この女どもは死に急ぐ話をしてる。

「そっちだってそうでしょ」

「そうって、何が?」

銀狐エドロワばつよ。また玉座の間ダロワージで葬式よ。やめてもらえない?」

 ギリスは黄水晶の娘が何を言っているのか、本当に分からなかった。

 玉座の間ダロワージで葬儀が行われるのは珍しいことではない。日々、誰かが死んでいる。

 それに、銀狐エドロワのことで、なぜ自分たちが文句を言われねばならないのか。

「俺たちは髑髏馬ノルディラーンだ。銀狐エドロワじゃない」

「関係ないわ。男でしょ」

「お前もそうだろ」

 英雄たちに女はいない。部族ではそう言われているが、もちろんそれは建前だ。黄水晶の娘はどう見ても女だった。

 しかもちょっと可愛い。

 その顔で蔑むように見られて、ギリスはがっかりした。

 花簪はなかんざしを挿しているのに、花のようには笑わないのか。

 それも女派閥じゃ仕方がないが。

 そう思って睨み合うギリスと黄水晶の娘の間に、またさっきの風よりも早く駆ける娘が現れた。微かな残像とともに。

姉上デン

 何もない空中から現れ出た娘が、まるで死霊のようにギリスには思えた。サリスファーも驚いた様子でのけぞっている。

「お連れするようにとのことです」

「ありがとう。お疲れ様。皆で歩いて行きましょう」

 そう答えて、長姉デンらしい娘は転移術師をまた自分のジョットの群れに戻らせた。

「付いてきて」

 ギリスに言って、黄水晶の娘が先に立ち歩き始めた。案内するつもりらしい。

 案外親切だなと、ギリスは思った。可愛げのない連中だが、この際は助かる。

「あ、ちょっと待って。エル・ギリス。それは割れるもの?」

 ギリスが脇に抱えて持っている荷物を指さして、黄水晶の娘が聞いてきた。

「いいや。絵だよ」

「そっちの子の荷物はなに?」

 サリスファーの方も指さし、娘は荷の中身を聞いてくる。

 偉大なるエル・エレンディラに拝謁する前に、危険な荷ではないか、中身を改めたいのだろうか。

 忠実なジョットたちとしては、もっともな話だった。

「お菓子です。アットワースの。砂漠の薔薇ばらっていう」

 こちらのジョットも素直に箱の中身を教えてやっていた。

 その名を聞いて、娘たちは皆、もっともな荷物だというふうに頷いている。

「手土産? 美味しいわよね。壊れたら台無し」

 深刻そうに言ってから、黄水晶の娘はギリスに向き直った。

「あなただけでいいわ」

 娘が確信をもって言い、ギリスを見つめた。

 何がいいのか、ギリスは首を傾げようとしたが、その瞬間、黄水晶のような娘の目が変わった気がした。人ならぬものの目に。

 そう気づいた時にはもう、ギリスは見えない大きな手に払い除けられたように吹っ飛び、軽く宙を舞って通路の壁に背中から打ち当てられていた。

 頭がごつんと壁を打つのが感じられた。

 相当ヤバい。くらっと来るような熱い衝撃が、頭の中を通り抜けていった。

兄者デン⁉︎」

 青ざめてサリスファーが叫び、壁に向かって吹っ飛ばされたギリスを振り返っていた。

 生来、鈍い体のことで、別に痛くはないが、頭がくらくらする。

 壁で強打したせいか、それとも何か急な力を浴びせられたせいなのか。

「卑怯じゃないですか‼︎」

 サリスファーが果敢にも、自分より年上の長姉デンに噛みつきにいっている。

 それでも女どもにサリスファーを恐れる気配はなかった。

「何が?」

「許可のない魔法使用は厳罰に処されます」

 サリスファーは険しい顔でそう教えた。王宮に住む竜の涙ならば、誰もが知っていることだ。

「あら。使ってないわ、魔法なんて。あの人が勝手に吹っ飛んだの」

 くすくす笑い、黄水晶の娘はまだ背中を王宮の壁に預けて立っているギリスをじっとりと見てきた。

「ごめんなさいね。何かぶつかったかしら?」

「念導術か……」

 この女は最初からそのつもりで集中していたのかもしれないが、早撃ちの女英雄エルだった。

 せめてスィグルもこのくらい装填そうてんの早い念動術師であれば良かったのに。

「大したことないのね。ヤンファールの氷の蛇よ」

 残念そうに女英雄はギリスを見て言った。

 何を期待されていたのか知らないが、こいつもまた、歌う宮廷詩人のような口調でギリスの異名を呼んでいる。

 英雄譚ダージは嘘だ。本当のギリスのことが詠まれているわけじゃないのに、なぜか皆、あのヤンファールのいさおしのほうが、本物のギリスだと信じているのだ。

 必勝を信じ、我が身をかえりみず突撃する少年兵。死を恐れない、ヤンファールの氷の蛇。無痛のエル・ギリスだ。

 それが哀れで無力な双子の王子を救出するためだったと、詩人はうたっている。

 ギリスはもちろん、そんなつもりではなかった。

 あいつは双子だが哀れでも無力でもないし、自分も死を恐れないわけでもない。

 勝つか負けるかなど、もちろん知らなかった。今も、あの時も。

 そして守護生物トゥラシェどころか、花簪はなかんざしの娘にも吹っ飛ばされるていたらくだ。

 まったく、どこが英雄なのかと思うが、気の良いジョットにはまだそうであるらしく、サリスファーは女英雄たちと戦う構えだった。

「無礼だぞ! 兄者デンが魔法を使ったら、お前ら皆、すぐ死んじゃうんだからな」

 サリスファーが控えめに凄んで見せている。それも吠える子犬のようで、まるで凄みがない。

 花簪はなかんざしジョットたちが、それを見てころころと鈴を振るような声で笑った。

「あら、こっちの台詞せりふよ。私たちの姉様デンの方が速いわ。本当ならもう骨まで粉々よ」

 口々に言う娘たちを引き連れて、長姉デンは満足げだ。笑いながらギリスをじっと見ている。

 その目がこちらを見逃さないのに、ギリスは感心した。

 もしもギリスが迎撃してきたら、次は骨まで砕くつもりと見えた。

ジョットたち。あんまり脅すと可哀想よ。か弱い連中なんだから。この小さい子が泣いたらどうするの?」

 長姉デンが言うのは明らかにサリスファーのことだったが、こっちのジョットはムッとして心外そうだった。

 さっき泣いてたじゃないかと、ギリスは内心思った。

 だが言うべきじゃない。こちらにも、ジョットにも、英雄エルとしての面子めんつがあるのだ。

「お前、教えられる? スィグル・レイラス殿下に念導術を」

 まだ胃の辺りがぐったり重く、ギリスは吐き気がしながら相手に尋ねた。

「どうして?」

 歩き出そうとしていた花簪はなかんざし長姉デンが、ギリスを見て怪訝けげんな顔になった。

「護身用にだよ」

 絵に害がなかったらしいのを包みの布越しに確かめて、ギリスは娘についていくことにした。

 案内はするつもりだったのか、ギリスが後を追ってきても、女英雄は嫌がりはしなかった。

 サリスファーは今にも泣きそうな悔しげな顔で、菓子の箱を捧げ持ってついてきた。

「そんなこと聞いてないわよ。なぜ殿下が念導術を?」

 念動術師のその娘は、興味深げに聞いてきた。

「生まれつき持ってるんだ。魔法を。強さは竜の涙みたいにはいかなくても、発動の速さは同じだろ。とりあえず襲ってくる目の前の敵一人を吹っ飛ばせればいい。殿下に教えてくれ」

「誰が殿下を襲ってるの?」

 ギリスと並んで歩きながら、花簪はなかんざしの娘は不思議そうにしていた。

 並ぶと少しだけ、彼女のほうが背が低い。切りそろえた前髪の合間から、瞳と同じ色の黄色い石が見えた。

 揺れるごとに良い匂いがする髪だ。とにかく女英雄たちは常に、驚くほどいい匂いがする。

「誰って……分からないけど、みんなだよ。あいつが最も玉座にふさわしいから、何度も命が危うくなるんだ。他の殿下が誰か死んだか?」

 ギリスが伝えると、黄水晶のような目で、娘はじいっとギリスを見てきた。

女長デンの派閥の部屋サロンに案内するわ。その頼み事はエル・エレンディラにしてくれる? 私には決められないわ。魔法使用の許可がいる」

 さっきは無断で使ったくせに、娘はお堅く言った。

 それにギリスは思わず笑った。食えない奴だなと思って。

「わかった。エル・エレンディラに頼んでみるよ。お前の名前は?」

「エル・フューメンティーナ」

 もったいぶった口調で、娘は名乗った。それが芝居がかって見え、ギリスはまた笑った。

「舌噛みそうな名前だな」

「噛めばいいわ」

 にやりとして黄水晶の娘は言った。

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