036 弟《ジョット》の役割

 派閥の部屋サロンを出るなり、翡翠の子サリスファーが泣き始めた。

 それを引き連れて歩きながら、しゃくりあげて泣くジョットにギリスはぎょっとしたが、当人はよほどつらいのか、誰が見ていても構わずに涙を流していた。

「どうしたんだよ。お前の望み通りだろ?」

 ついさっき、俺のジョットにしてくれって言ったよな。

 功労を見てからという約束だったが、英名なデンにガミガミ言われるサリスファーが可哀想になり、思わず救ったつもりだったのだ。

 なのに何でサリスは喜んでいないのか。嬉しいから泣いているのか?

 ギリスは思い出しても自分が泣いた記憶がなく、人がどういう時に泣くものなのか、今ひとつ分かりかねていた。

 嬉しい時にも泣くのだ。人は。それならジョットは泣くほど嬉しいのかもしれなかった。

「喜んでるの? お前?」

 ギリスは小声で聞いてみた。

「悲しんでるんです!!」

 怒った声でサリスファーがギリスに怒鳴ってきた。

「だから何が悲しいんだよ。デンはもう永くないから、お前を引き取れって、ついさっきお前が自分で俺に頼んだんだぞ」

 そうだったよなと、学房から派閥に戻る道での会話を反芻して、ギリスは確認した。

 それでもサリスファーが怒っているのは間違いない。少なくとも今は、幸せそうに笑ってはいなかった。

「今日じゃないですよ! 誰が今日なんて言いました!? デンは……エル・ユーレランは、ご病気なんです!」

 噛み付くように言いながら、ジョットは遠慮なくおいおい泣いて、長衣ジュラバそでで頬を何度もぬぐっていた。

「俺たち、皆、病気じゃない? 生まれつき……」

「そういうことじゃないんです。隠しておられますけど、デンはずっと具合が悪いんです。僕は……デンのただ一人のジョットなんだから、デンの最期のお世話をするのが義務でした」

「そうなの?」

 ギリスは困って顔をしかめた。

 たった一人しかいないジョットを引き抜いてきたわけか。

 一人だけとは思わないじゃないか。

 ジェレフには何人か、施療院で世話を焼いているジョットがいるし、派閥でも何かと面倒見てやってるのがいるらしい。

 かく言う自分も、ジェレフのジョットと言えなくもない。ジェレフがイェズラムのジョットだったようなので、そのさらに年下のジョットである自分は……。

 とにかく複雑だった。

 ジェレフがもし今すぐくたばるというなら、もしや自分が面倒見てやるのかと、ギリスは思案した。

 そんな話は聞いてない。

 ジェレフはまだ全然、死にそうではないから、そんなことを言ってこないだけなのだろうか。

 それとも、もっとマシなジョットたちがいて、それに任せるつもりなのか。

 英雄の、最期の世話とはつまり、葬式の手配のことだ。死んだ者を墓所に片付ける手配だ。

 英雄達の肉体の、死後の行き場は決まっている。王宮の、さらに地下に墓所があり、英雄達の墓がある。そこに名の入った落ち着き場所がもう決まっている者も多い。

 大体は派閥ごとのまとまりで、仕えた玉座の治世ごとの時代でまとめられ、たくさんの石と骨が闇の中の回廊で眠っている。

 死後の英雄達は施療院で頭の中の石を取り出され、それとは二つの身に分かれて眠るのだ。

 死後までも石に苦しめられぬようにという事らしい。

 ギリスにはそれは妙な気がしたが、石が痛む者たちは、そうしたいのだろう。魔法とともに生きた生涯から解放されて眠りたいのだ。

 それでも石を一緒に葬るあたり、英雄たちの未練と言えた。

 痛みと短命を別にすれば、石は悪いものではない。

 ギリスの頭の中の石も、いくつかの不足と引き換えに、只人にはない大魔法をふるう力を与えてくれた。

 それと死後に別れたいか、難しいところだ。ジェレフはそうしたいだろうか?

 あの、英明なるデンも、死んだらサリスファーに頭の中にある紺碧の石を取り出してもらいたかったのか。

 それをやるには、このジョットはヤワな気がして、ギリスには良い考えと思えなかった。

 一体誰が、死んだデンの頭をかち割って、石を取りたいと思うだろうか。辛い任務だ。

 必ずしもジョットがやる訳ではない。誰もいなければ長老会の重鎮デンがやったり、親しかった友がその任を引き受けたりする。

 誰でも良いのだ。サリスファーでなくとも。気にすることはない。

 魔法戦士の兄弟関係は、特に何かの契約を交わすわけではない。庇護を与えるデンと、それに付き従うジョットたちの関係性を周りが知っており、自分たちもそうだと思っていれば、それだけで成立するものだ。

 だからデンとは別れてもいいのだ。実際、気に食わないジョット放逐ほうちくするデンもいるし、デンを見限って、あるいは別の者や派閥に引き抜かれて、デン鞍替くらがえをする者もいる。頻繁にいるのだ。

 サリスファーは義理堅いのかもしれないが、皆がそうとは言えない。

 デンジョットの間柄もいろいろだ。

 常に付き従って、毎度一緒に飯を食うほど親しい間柄の者もいれば、デンに呼ばれた時だけ働く程度の者もいる。

 ジェレフなんかは、もう年嵩としかさであるし、常にイェズラムに張り付いて影を追うように付きまとったりはしていなかった。

 それでも必要な時、デンが呼べばいつでも来るのがジョットというものだ。

 生涯仕えてもよいと思う相手でなければ、気楽に叩頭などできない。

 サリスファーにとって、エル・ユーレランがそうであったか、ギリスは知らなかった。

 もしもそうなら、勝手に引き離してまずかったのではないか。

 そうは思うが、あいにくもう、やってしまった後だ。

 エル・ユーレランはこの泣き虫のジョットをギリスに託すと、もう皆の前で言ってしまった。

兄上デンが旅立たれた後にと思ってたんですよ! でないと卑怯でしょう。最後までお仕えしたかったです! これまで何かと目をかけていただいて、派閥にもデンのお陰で入れたんですよ。髑髏馬ノルディラーンですよ!? そんな御恩があるのに僕は……」

 急に言い淀んで、今まで威勢よく喚いていたサリスファーは、糸が切れた操り人形のように、がくりと項垂うなだれた。

 それでもギリスが歩くのに付いて来てはいた。

 魂がないのに歩いてるみたいな、よろめく足取りだ。

「最低だ……」

 穴の底から響いてくるような陰鬱な声で、サリスファーが呟いた。

「えっ、俺が!?」

 非難されているのかと思い、ギリスは驚いた。そこまで言われねばならない事なのか。

「違いますよ!! 僕がです!!」

 ぎゃんぎゃん吠える子犬のように泣いて、サリスファーは自分を責めていた。

「そんなことないよ」

 ギリスは適当に返事をしておいた。

 もしや最低なのかもしれなかったが、そう言ってもしょうがない。

 サリスファーもギリスの安易な返事に納得はしていないようだ。

「いいえ絶対、皆もそう思っています。だってさっき、後を付いてこなかったじゃないですか!? ジェルダインだって、子供部屋の頃からずっと僕と一緒だったのに、追って来なかったでしょう。僕を見捨てたんだ」

 うわあ、とジョットはまたせきを切ったように泣いた。

 ギリスは呆気にとられて、ジョットを眺めた。

 ジェルダインて誰だ、と、ギリスは内心首をひねったが、たぶんこいつの友達だ。

 学房からついてきた六人いた連中の内の一人で、確か、透視術を使う。

 慧眼けいがんなる灰色のエル・ダージフのジョットだという奴だ。

 あいつも、そのデン、エル・ダージフも、さっきは一言もしゃべらなかった。

 透視術師とは、ずいぶん物静かな連中らしい。

 友が怒り、あるいは叱られていても、すぐ横にいて一言も発さないとは。

 そんな薄情な奴らと縁が切れるなら、それはそれで良かったよとギリスは思ったが、サリスファーはまだめそめそ泣いていた。よっぽど子供部屋の友が大事らしい。

 そのしおれた様子を見ていると、ギリスはサリスファーが可哀想になってきた。

 だいたい自分は昔から、めそめそ泣いている貧弱なチビに弱い。放っといてはいけないような気分になるのだ。

「いや……あのさ。サリス。嫌だったら戻っていいよ。戻って、デンにごめんねって言えよ。別にいいよって言うかもしれないだろ」

「言う訳ないでしょう。そんな馬鹿みたいなこと本気で言ってるんですか」

 怒っているのか、サリスファーは噛み付くような早口でギリスに言った。

 それから、急にくしゃくしゃっと嘆く顔になり、低く呻いて顔を覆っていた。

「すみません、失礼な口をきいて。僕のこと見捨てないでください。この上、ギリスの兄者デンにも捨てられたら、僕は行くところがありません」

 嗚咽おえつをもらして、サリスファーはギリスの後を追ってきながら、自分の袖に顔を擦り付けていた。

髑髏馬ノルディラーンばつからも追い出されるでしょうか……」

 今それに思い至ったという表情で、ジョットはハッと顔を上げ、自分を踏み潰す守護生物トゥラシェを見上げる時の兵士のような顔つきをした。

 ギリスはそれも、ただ唖然としてぼんやり見るしかなかった。

 なんと言ってよいかも分からない。

「サリス。とりあえず俺は個人房へやに戻って着替えるか何かするしさ、お前はどうする。さっきはああ言ったけど、別に女部屋には俺一人で行くつもりだったし、お前はどこでも自分の好きなとこに行け」

「嫌です。追い出さないでくださいよ」

 しがみつくようにジョットが言い募った。そして実際に袖にしがみつかれた。

 傍目はためにかなり、じろじろと奇異の目で見られているのを、ギリスはさっきからずっと感じていた。

 王宮の廊下には自分たちだけが歩いている訳ではないせいだ。

「仕事をください」

 断固としてサリスファーは要求してきた。

「無いよ、お前に頼める仕事なんて」

「僕、何でもします。あっ……お菓子を買ってきます。持って行くのに要るでしょう」

 簡単な仕事だった。確かに必要だったかもしれない。

 だがギリスはそれを侍女のキーラに頼むつもりだった。

 最初に新星の部屋を訪ねる時にも、ギリスがそのための着替えの手伝いを命じたら、手土産は何になさいますかとキーラが聞いて来た。

 それで、どうしようかと相談したら、スィグル・レイラスの居室の侍女たちが好む菓子にせよとキーラが言い、買って来てくれたのだ。

 頼れる。気の利く女だ。ギリスは侍女キーラのことをそう思っていた。

 泣きじゃくっているチビの英雄よりは、侍女キーラの方がよほどの英傑えいけつに見えた。

「別にいいんだけど……他に頼める奴がいるし」

 ギリスが控え目に断ると、サリスファーは怪訝な顔をした。

デンには誰か他にもジョットがいるのですか?」

「いないけど?」

 いるとしたら新星スィグル・レイラスだけだ。ギリスが射手で、あれが新星なのだとしたら、この部族では族長は竜の涙の弟だとされている。

 伝説上の魔法戦士、エル・ディノトリスが族長アンフィバロウの兄だったせいだ。

 名目上のことだが、それにのっとるなら、スィグル・レイラスはギリスのジョットだった。

 全く可愛げのない、言うことを聞くわけでも、デンのために雑用をこなすわけでもないジョットだが、年下なのだけは間違いない。

 それでもサリスファーとは立場が違う。あれは王族なのだから、兄弟関係は名目だけのことだ。

「じゃあ! 僕にお命じください。それが当たり前でしょう。買って持っていきますね、お菓子。何がいいですか」

「女英雄にうけるやつにして。何でもいいから」

「無理難題じゃないですか。行って来ます」

 文句も言わずとは行かないが、サリスファーは袖で最後の涙を拭い、たった今泣いたような顔で、ギリスとは別のほうへ四辻を曲がっていった。

 間に合うように戻ってくるのかどうか。

 やはりキーラにも頼んだほうがいいだろう。ギリスにはジョットは宛にならぬように見えた。

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