029 同盟の子供たち

「お前はどんな世にしたい。ギリス。僕を玉座に座らせて、お前は一体どうしようと思っているんだ」

 スィグル・レイラスは王家に伝わる黄金の目で、じっとギリスを見つめて言った。

 その目が玉座から皆を見下ろす日のことが、ギリスには想像がつくような気がした。

 今も同じ目が、玉座の間ダロワージから皆を見ている。壁画に描かれた太祖たいそアンフィバロウと同じ、たかごとくと英雄譚ダージうたわれる黄金の目。族長リューズ・スィノニムも同じ目をしている。

 別にアンフィバロウの血族ではなくても、部族には同じような明るい鳶色とびいろの目をした者はいくらでもいた。王家の者だけが黄金の目をしているわけではない。

 イェズラムも族長とよく似た黄金の目だった。

 それを養父デンに問うたことがある。別に王族だけが格別の血を持っているわけではないのではないかと。

 それに養父デンは笑って、それでは射手は務まらぬと答えた。

 そして、玉座の間ダロワージに行って、族長の目を見ろと、ギリスに勧めた。

 ギリスは養父デンに言われた通りにしてみたが、よく分からぬままだった。

 族長リューズは確かに美貌の男で、美しい目をしているが、ただそれだけだとギリスには思えた。

 それが星のように燃えていると思えたのは、確か、いつか見た、遠いヤンファールの平原でのことだ。

 勝利か死だと、族長は皆に言った。勝利か死。その声を聞く時、ギリスには族長の目の中に、遠い火矢のような光が見え、その火が全軍に燃え移るようだった。

 自分にも。そうだったのかどうか、あの頃の自分は今以上に鈍かったのだと思う。

 皆が戦意に燃える中、ギリスは一人ぽかんと戦陣に立っていた。

 戦うとは何か、勝利とは、死とは何かも、あの頃のまだ十四歳だったギリスには何も分からなかったのだ。

 それでも、死ぬまで戦えという族長に、誰も逆らわなかった。

 まるで戦場に降臨する死の天使のように、リューズ・スィノニムが皆に死闘を命じると、全軍が熱狂し、勇んで死闘した。

 それが何だったのか。ギリスには今も分からない。

 だが、族長とはああいうものだと、ギリスは無意識に思っていた。皆に死を与える。まるで天使のように。

 だから、そのようであれと、無意識に求めていたかもしれない。新星、スィグル・レイラスにも、あの父である族長と同じものを持っていてほしいと、そう求めていたのかも。

 しかし、これは新しい星なのではないかと、ギリスは思った。

 今、あの玉座の間ダロワージで燃えている当代の星は、やがて燃え尽きてち、自分はその後の闇夜を照らすための、全く別の新しい星を天に撃ち上げねばならぬのではないか。

 かつて部族の決死の脱出行を導いたという、千里眼のディノトリスのように。それが射手の役目だ。

 新しい星とは何なのか、ギリスには分からなかったが、自分を見ているスィグル・レイラスの目の奥に、何かの答えがあるような気がして、ギリスはしばし新星と見つめあった。

「分からない。俺はどうしたらいいか、考えたことがなかった」

 ギリスは素直にそう白状した。新星は怒るか、あるいは、がっかりするのかと思ったが、スィグル・レイラスはただうなずいただけだった。

「僕もだよ、ギリス。考えたことがない」

「それでどうやって族長になれるんだ」

 驚いて、ギリスは思わずそう聞いた。

 するとスィグルはまた吹き出すように笑って、握ったままだったギリスの手を面白そうに揺さぶった。

「そうだろ? 博士を手配してくれ。部族領の先行きの相談をしたい」

「な、な……なんて? お前、今から? 今から考えるってことなのか……」

 驚きのあまり、ギリスは自分の舌がよじれるような気がした。うまく言葉が出ない。

 まさか新星が何も考えていないとは、想像もしなかったのだ。

 イェズラムが選び、天使が即位を求めたという新星が、まさか無策だなどと誰が思うだろうか。

 アンフィバロウの末裔なのだ。部族を隷属の身から救い出し、この壮大な都を打ち立てた男の子孫だ。

 それが無策の只人ただびとであるわけがない。自分はそう思っていたのだ。

 何か物凄い、魔法のような奇跡を秘めた、星のような王子なのだと。

 そうでなければ、一体何をもってこれを新星と称するのか。

 腰が抜けそうな気がして、ギリスは自分の身が傾くのを感じたが、座っていたおかげで、なんとか持ちこたえた。

「うん。今から考える。お前も良案があれば、いつでも言ってくれ。僕は話は聞くつもりだ。他にも、何かいい案がある者がいたら、いつでも聞くって言っといて」

「誰に!?」

 ギリスは心底驚き、もう自分の腹の中から驚きの種が払底ふっていするのではないかと思えた。

「誰にって、お前の友達とかだよ」

「友達……」

 震える声で自分が言うのを、ギリスは遠くの出来事のように聞いた。

「あ、そうだ。友達で思い出したけど、お前にも僕の友人たちを紹介しておく」

 忘れるところだったという調子で、スィグルはギリスの手を放し、文机の周りにあった紙の中から別の絵を取り上げて、ギリスに示した。

「イルス・フォルデスだ。僕の盟友。海エルフの族長ヘンリック・ウェルン・マルドゥークの息子で、次の族長になる」

 すらすらと言ってから、スィグルはそれがいかにも面白い冗談だというように、けらけらと笑った。

「予定だけどね。僕と同じで。猊下げいかにそう約束させられただけで、イルスは嫌だと言ってる」

 ギリスは紙の上にいる、海エルフらしい少年の絵をまだ内心、震えて見た。

 新星のきつい冗談に呆れたように、絵の中の少年は苦笑して見えた。

 額冠ティアラをしている。王族である証だ。それは海辺の部族でも同じだったはずだ。

 しかし、絵の中の少年は気さくな友のようで、王族のようには見えなかった。

「それから、これがシェル・マイオスだ」

 別の絵をギリスの手にあった絵に重ね、スィグルは事もなげに言った。

 新しい紙の上には、墨色で描かれた巻毛の少年がいた。天使に似ている。聖堂にある立像の天使と。

 輝くような長い巻き毛が頬を取り巻き、その絵の人物は満面の笑みだった。

 頭に花冠をかぶっていて、ギリスにはそれが森エルフに見えた。

 部族の敵は、髪に花を挿していると、教えられたことがある。

 守護生物トゥラシェの乗り手たちは、その怪物の体のどこかにあるのうに隠れていて、姿は見せないが、倒した守護生物トゥラシェのうを破ると、その中でまだ生きており、夜会から迷い出てきたような美しい出立いでたちをしている。

 武装はしておらず、髪に花をしていると、ギリスはそう教えられた。

 ギリスがヤンファールで倒した十四体の守護生物トゥラシェにも、こうした乗り手がいたのかもしれない。

 そののうを破り、自分の手で敵を取り出したことはなかったが、おそらくは凍りついた死体がその中にはあったはずだ。

 戦場には花冠を被った敵の首がさらされていた。族長リューズが、生け捕った敵の首を打たせるせいだ。

 ギリスも幾つもの、しおれた花で飾られたさらし首を見た。

 その首の顔が、この絵のように、微笑んでいたことはない。

「森エルフだ」

 憎しみの声でギリスは言った。

「そうだ」

 スィグルは押し返すように答えた。

「シェル・マイオス・エントゥリオだ。シャンタル・メイヨウの息子で、お前の敵だった」

「今もそうだ」

「今は違う」

 きっぱりと言う新星の言葉に、ギリスは言葉がなく、唇を開いても、もう息しか漏れ出てこなかった。

「僕の盟友だ。お前に、分かってくれと言うつもりはない。でも知っておいてくれ。シェル・マイオスは僕の友人だ。もう戦わない。ヤンファールで倒した守護生物トゥラシェが、お前の最後の英雄譚ダージだった」

「嘘だ……」

 嘘とは思えない新星の言葉に、ギリスはそう言うしかなかった。

 与えられた絵の重さに、支えきれない何かを感じ、ギリスは紙のように軽いそれを持つ手を、座る自分の膝に落とした。

「これが四部族フォルト・フィア同盟だ。ゆっくりでいい。理解してくれ、ギリス。これが天使のご意思だ」

 そう言って、新星は心配そうにギリスの顔を見た。

「聞いてるのか、お前?」

 唖然としすぎて、ギリスには声もなかった。

 ぼんやりとしてきた頭で、新星の目を見たが、そこには今も、渦巻くような星が見えた。

 ちょうと昨夜ゆうべ見た、夜空の銀河か星雲のように、スィグル・レイラスの目がきらめいて見え、ずっと揺るぎないように見えた。

 これが玉座の目か。

 もしそうなら、この世はどうなってしまうのか、ギリスには少しも見当がつかなかった。

 確かに、これはただの鳶色とびいろの目ではない。王家の黄金の目だ。

 皆が苦しみ悶えて死ぬようなことを、平気で命じる悪魔の目なのだ。

 そんな王子が当代に他にいたか、ギリスには分からなかった。

 いつも並足で馬を走らせるような優雅な奴らだ。スィグル・レイラスのように、暴れる馬に鞭打って、平気で笑っていたりはしない。

「聞いてる。でも、悪いんだけど、俺には本当にわからない。時間をくれ」

「いいよ」

 スィグルはあっさりとギリスを許した。

 また、馬鹿と怒鳴って殴ってくるのかと思えたが、新星はただ、にっこりとしただけだった。

「分からなくてもいいよ、ギリス。考えるのは僕の仕事だ。お前はただ、僕に忠誠を誓えるか、それだけ決めればいい」

 そう言って、スィグルはさっきギリスが見せてやったのと同じ、両掌りょうてのひらを広げて見せる降参のポーズを見せた。

「どうする? 僕と行く?」

「わかんないよ、本当に」

 ギリスは首を横に振って、答えを拒んだ。

 そんなことは養父デンも教えてくれなかった。王宮にいるどんな師も、博士も、派閥のデン達も、そんな話は一言も言ったことがない。

 敵を殺すために、ギリスは生きてきたのだ。この先もそうだった。額の石が自分を押しひしぐまで、それは続く。そのはずだったのに。

「わかんない……俺には何も。どうしたらいいのか」

 ギリスは途方に暮れて、スィグルに言ったが、それはひどく滑稽こっけいに思えた。

 自分より二つも年下の相手に、そんな泣き言を言うとは、デンにあるまじきことだ。

 それをギリスは恥じたが、新星は気にしないようだった。

「そうだよね。僕もそう。それじゃとりあえず、お前が何か決めるまでの間だけでいいから、博士の手配はしてくれない? 毎日、暇でさ……何もしないなら、せめて勉強でもしようかと思うんだ」

「博士の手配……」

 その考えに自分が縋り付くのをギリスは感じた。

 それはとても簡単なことに思えたのだ。

 天使の思惑を理解しろというよりは、王宮にいる博士のどれかに、新星に教授するよう求めるのは、ギリスにはひどく簡単だった。

 それをやっているうちは、考えなくても良い。天使がどうとか、森エルフとか。

「わかった。やる」

「済まないね、ギリス」

 にっこりとして、スィグルは満足したように答えた。

「その絵、いらないから、よかったらお前にやるよ。猊下げいかのは他所よそかないでくれ。神殿に怒られたら、僕は火炙ひあぶりかもしれないから」

 笑いながら言う新星の言葉に、ギリスは顔をしかめ、自分に与えられた絵を持って立ち上がった。

 居室へやにある暖炉だんろのほうへ。

 そんな危ない絵を持っておくわけにはいかない。もしも新星が即位できずに火炙ひあぶりにされたら困るではないか。

 天使の絵を焼いて、罰を与えられたら困るが、自分が死ぬほうがましだとギリスは思った。

 星のない夜を皆が生きるよりは、そのほうがいいのだ。養父デンはそう言っていた。派閥のデンたちも皆。

 この世を生きていくために、自分たちには新星が必要なのだ。玉座に輝くアンフィバロウが。

 煙管を吸うための火口ほくちから、火の絶えた暖炉で絵を燃やし、ギリスは燃え上がる同盟の子供達を見つめた。

 しかしイェズラムの絵だけは焼き捨てる気になれず、ギリスはそれを折り畳んでふところに仕舞った。

「エル・ギリス。また来るつもりか」

 まだ文机の前で見ていたスィグル・レイラスがギリスに尋ねた。

晩餐ばんさんの前に来る。正装して待ってろ」

「お前って変わってるよね」

 ギリスが言い置くと、スィグル・レイラスはめるように言い、輝く星のように笑っていた。

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