016 英雄の形見

 玉座の間ダロワージを退出すると深夜になっていた。

 うたげが終わる時刻は決められているが、その通りに事が進むとは限らない。

 族長リューズが定刻通りにさっさと退出する日もあれば、話が長引き、いつまでも宴が続く時もあった。

 それでも時が来れば王子たちは退出していくものだ。族長の子らが皆、まだ若年ということもあったが、宴の後の玉座の間ダロワージは、叩頭こうとうすべき尊き血筋は抜きの無礼講ぶれいこうとなる習わしであり、殿下と呼ばれる者はさっさと出ていくのが作法だった。

 重たい正装を解く寝支度もあれば、明日の朝にはまた同じ玉座の間ダロワージ朝議ちょうぎがある。そこで一族の家長である族長に朝の挨拶をするのが王族の習慣だ。寝坊などできない。

 子供時代にはそう言われてきたが、ギリスは一向に帰る気配がなく、帰れという話も一切出なかった。

 晩餐への呼び出しが無いのと同様に、第十六王子スィグル・レイラスを居室に連れ帰るための行列も手配されていなかったのだろう。

 それを急遽、用意して居室に引き戻すのか、誰も何も命じなかったということだ。それを判断することは、この一夜ではまだ誰にもできなかったのだろう。

 そのお陰でスィグルは相変わらず族長の隣の席にいるまま、父のところに入れ替わり立ち替わり話しにやってくる者たちの歓談や、剣呑けんのんな話を横で聞いていた。

 スィグルにはそこで初めて聞く話も多く、父の受け答えも軽快で面白かった。今までにはこんな機会は無かったが、それはここが王子のための席ではないせいだ。

 それでも、悪くなかったなとスィグルは思っていた。ここから見下ろされる席の隅っこで小さくなっているよりは、今夜は随分ずいぶん気が晴れたし、族長の夜とはこういうものかと思えた。

 それを面白いと言うと不敬かもしれないが、ていに言って、スィグルには面白かったのだ。

 それで帰りもせずギリスと高段に居座っているうちに、エル・ジェレフとエル・エレンディラはとっくに退席し、女英雄に至ってはもう玉座の間ダロワージにもいない。

 何か一言、彼女に礼を述べるべきかとスィグルは思ったが、個人的に話す機会はないままだった。

 やがて父も族長の居室に戻る時が来た。

 玉座の間ダロワージに居残っていた者たちは、族長の退出を知らせる声を聞くと、皆一斉に居住いずまいを正し叩頭した。

 高段にいたスィグルとエル・ギリスも、広間に降りて跪拝叩頭きはいこうとうし、族長の列を見送ろうとした。

「スィグル、お前ももう居室へやに退がれ」

 高段を降りてきた父が、付いてくるようスィグルを呼んだ。

 そうなるとは思わず、スィグルは慌てて立ち上がった。

 なぜかギリスも後を付いてくるが、父はそれを横目に一瞥いちべつしただけで、付いてくるなとは言わなかった。

「長居だったな。面白い話は聞けたか」

 歩きながら、父リューズは後に付き従うスィグルに気さくに話しかけてきた。

 スィグルは慌てて頷き、父リューズに同席を許されたことへの感謝を述べた。

 帰り際にも通りすがりの者と話す父は、全く疲労を感じさせない声だった。

 自分はひどく疲れていたので、スィグルはその父の快活さにはおそれ入った。

「スィグル。しばらく身辺には注意せよ」

 玉座の間ダロワージが遠くなると、父リューズはそう言った。

「二度目のヤンファールは困るからな」

 父の忠告を混ぜ返すように、ギリスが軽口をきいた。

 それに父リューズはムッとしたようだったが、でも声もなく笑っていた。

「うるさい餓鬼がきめ。お前が張り付いて息子を守れ」

おおせの通りに」

 歩きながらギリスは一礼したようだった。

「あの絹布けんぷだが」

 父は小声でギリスに話していた。無言で付き従う侍従たちや、族長付きの侍女たちの群れに混ざり、スィグルも黙ってそれを聞いた。

「イェズラムがお前にそれをたくしたのか。その耳飾りもか」

 父は自分の耳を飾っている赤い石がついた耳飾りをつついて聞いた。

 族長が身につける装飾品は、アンフィバロウ家に代々伝わる由緒のあるものだが、その中でも父は特に涙型の雫石しずくいしの下がったものを身につけているようだった。

 それは悲しみの意匠で、特に喪に服する意味で身につけるものだ。

 とかく嘆きの多い部族のことで、特に葬送用でなくとも日頃から身につけている者もいる。

 長らく戦時であったし、亡き者たちをしのぶ心が日常茶飯事となっているのだ。

 父の乳兄弟であったエル・イェズラムも、生前は常に服喪中のような暗い色調の長衣ジュラバをまとい、雫石の耳飾りをしていた。

 子供の頃に見たイェズラムのことを、死の天使みたいだとスィグルは思ったものだ。

「イェズラムが王都を出ていく時、居室へやにあるものは全部、俺にくれるって言ったんだ。だから俺のもんだろ」

 ギリスは言い訳のように答えていた。

「なぜ片方しか着けない。失くしたのか」

「片方は墓所にある」

 とがめる口調の族長リューズに、ギリスは珍しくしんみりと答えた。

「イェズラムが持ってる」

 そう言うギリスに、父は深くため息をついたようだった。

「死者はもう眠らせてやれ。今後は生きている者だけでやっていくのだ。あいつはお前にはそう言わなかったか」

「イェズは王都を出て行く時、族長には何と言ったんだ」

「俺はもう死ぬ、あとは知らぬと」

 王宮の曲がりくねる通路に岐路きろが現れ、族長リューズは立ち止まって振り返った。

「共はここまででいい。戻って休め、スィグル・レイラス」

 淡い笑みで、父はスィグルの足を止めさせ、王家の血族が住まう辺りに行く道を示した。

「エル・ギリス。生きている者だけが道を決めることができる。お前も、自分の生き様を死者のせいにはするな。何事も自分で考え、自分で決めよ」

 厳しい声でギリスに言う父を、スィグルは見上げた。

「そんなことしてない」

 ギリスはムッとしたように答えた。

 それを振り返って、父は珍しく、ふふんと意地悪そうに笑った。

「そうか。墓所のデンによろしくな。俺は長生きすると伝えておいてくれ」

 父はひらひらと手を振って、大勢の侍従と侍女にかしずかれて去っていった。

 その赤く絢爛けんらんな衣装と、金銀をきらめかせた族長の行列は、生きて王宮を行き来する美しい絵のようだった。

 一歩離れて見ると、自分がその中の一人になれるとは、スィグルには到底思えなかった。

 自分がそこへ至る道はとても遠い。その道半ばでくびられて死ぬほうが、まだ現実的で、まざまざと想像できた。

 それでも、今夜は一歩近づけた気がする。玉座にではないが、いつも遠かった父リューズ・スィノニムに。

 そのことが、じわりと温かいように嬉しく、スィグルは久々に良い気分だった。

「俺さ……昔から、お前の親父が嫌いなんだよ」

 行列を見送って立っていたら、ギリスが急にそんなことを言うので、スィグルは驚いた。

「どうしてだよ? 竜の涙は皆、父上が好きなんだと思ってた」

「まあ俺以外はな」

 ギリスは不本意そうに頷きながら言った。

「お前は? 好きか、あの偉そうな親父が」

 険しい顔で、ギリスは尋ねてきた。

 それにどう答えるのが正解か、スィグルは分からなかった。

「父上は偉そうなんじゃなく、偉いんだよ。部族を存亡の危機から救った名君なんだよ? 英雄譚ダージを聴いたことないの?」

 もしや本当に馬鹿なのかと危ぶんで、スィグルは遠慮がちに言った。

 族長リューズ・スィノニムの英雄譚ダージは子供でも知ってる。もし知らないなら相当の馬鹿だ。

 そうは思いたくなかったが、ギリスがどこまで馬鹿なのか知らなかった。

 思わずあわれむ目で見上げると、ギリスは困った顔だった。

「お前、俺のこと馬鹿にしてるだろ」

 いや全然、そんなことはないという顔をして、スィグルは肩をすくめた。

「ありがとうぐらい言えよ、スィグル・レイラス」

 無礼にもひじで小突いてきて、ギリスが感謝を強請ねだった。

 ギリスのおかげなんだっけ、とスィグルは首をひねったが、そうなのかもしれなかった。

「ありがとう、ギリス」

 スィグルは作り笑いで感謝しておいた。

「玉座をくれてやろうっていうのに、お前の感謝はその程度なのかよ。せめてあと百回ぐらい言われたいね」

 ギリスはそう言うと、不納得な顔のまま歩き出した。スィグルの居室へやのある方へ。

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