「王宮の孤児たち」(カルテット)

椎堂かおる

001 目覚め

 頭の中で血が脈打つ音がしたような気がして、エル・ギリスは目を覚ました。

 したたかに汗をかいており、見上げると知らない天井だった。

 急に胸の奥から込み上げる何かを感じて、ギリスは枕元にあった水差しを冷やすための氷入りのおけを取り、水も氷も床にぶちまけて、空になったそれに吐いた。

 何も食っていなかったようで、嘔吐すべきものは大してなかった。

 吐いたものにはまだ酒の匂いがした。

 だったら、そう長くは眠らなかったのだろう。

 そう思い、ギリスは水差しに直に口をつけて冷たい水を飲んだ。その刺激に、また何かが込み上げそうな感覚があったが、荒い息で待つうちに、それはどこかに引いていった。

 ただの飲み過ぎだ。とびきり強い火酒を浴びるほど飲んでみたので、はらわたが煮え繰り返ったのだろう。

 それでも特に苦痛は感じなかった。

 そもそも、苦しいとか痛いといった感覚がどんなものか、ギリスには分からないのだ。

 小さな子供の頃から、竜の涙の魔法戦士となるべく厳しく鍛えられ、血の滲むようなことも何度となくあったが、ギリスは泣かない子だった。骨が折れても、施療院に運ばれて医師が縫わねばならぬような傷を負っても、熱さは感じたが、それだけだった。

 無痛のエル・ギリス。

 それは天使のお恵みだろうと施療院の医師は言っていた。

 竜の涙たちは生まれつき、額に宝石のような石を持って生まれてくるが、魔法を使うとその石が成長して、ひどく痛む。成長とともに石も育ち、最期には、いっそ死にたいと思うほどの痛みに襲われ、皆、耐えかねて自決するのだ。

 その痛みから解放されているのだから、素晴らしいことじゃないか。

 医師はそう言うが、ギリスは不満だった。

 歴戦の勇者が泣きながら悶えるという、その苦痛なるもの。それに耐えたことがないせいで、自分はいつまでも半人前だ。

 皆はそう思っている。

 竜の涙を持つ、王宮の同じ一角に住まう兄弟たちのはずが、皆、ギリスには思うところがあるようだった。

 なぜ、お前はそうなんだという、暗く問う目で皆、ギリスを見る。子供の頃には意味のわからなかったその視線の意味を、ギリスは最近悟った。

 敵意だ。

 もはや齢十六ともなると、そうと悟らぬわけにもいかなかった。

 リリリ……と小さく鈴を振るような空耳が聞こえた気がした。

 王宮の時報だ。念話を使う者たちが、一刻ごとに時を知らせる。

 玉座の間ダロワージにある時計が、毎日時を刻んでおり、その時刻が王宮のどこにいても知れるよう、念話者たちが時をつぶやく。

 何時なんだ、今は。ここはどこだ。

 眠気と酔いに朦朧としてギリスは起き上がり、乱れた部屋を見回してから、ようやく気づいた。

 そこは自分の部屋だった。

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