第20話

 草木も眠る丑三つ時、とは言うものの、風に揺られる林や草道はわりと饒舌だと思った。

 しかし、メリーの家に向かう途中、高台から見下ろした街は光を潜め、俺の住んでいる町よりも闇が深いように思える。

 人通りは皆無で、街灯の類すらない道をひた歩く。

 あまり幽霊の類とかは信じていない、と言うとこれから何しに行くのかと言う話しになってしまうが、逆に信じている人間からすればこの雰囲気は恐怖の対象かも知れない。

 如何にも何かが出そう、そういった空気だ。

 帰りの電車もバスもとっくに過ぎてしまった午前二時過ぎ。

 いよいよ引くに引けない状況となっている。



「それでは、三時に屋敷の前まで来て下さい」


 そうあの墓地で家政婦の女性は時間を指定してきた。


「三時!? 深夜のか? それまでどうしてればいいんだよ!?」

「これを」


 手渡されたのは、用務員さんがくれたものと同じカイロだった。


「耐えて下さい」


 簡潔に短くそう言い残すと、彼女は困惑する俺には見向きもせず墓地を後にした。

 途方に暮れるとはまさにあのことだ。

 知らない土地で、しかも冬場に数時間も外で時間を潰せというのは、流石に酷過ぎるように思えた。


「カイロはそんなに万能じゃねぇよ……」


 渡されたそれはあまりにも頼りなく思え、ため息と共に呟いてしまった。

 結局俺は、どこに行くでもなく寺の本殿でガタガタと震えながら待つことにした。

 風が凌げるとはいえ、小一時間もしないうちに体温は見る間に奪われ、携帯の電源が切れたときの心細さは絶望の一言に尽きた。

 体育座りで石のように静かに丸まり、中心に二つのカイロを包んでひたすらに待つ。

 俺は何をやっているんだろうという惨めな気持ちになった。


 あまりの寒さと侘しさからかなり早めに寺を後にしたため、メリーの家へは家政婦の女性が言っていた時間よりずいぶん早く着くことになった。

 馬鹿でかい屋敷の敷地は昼間見たときと印象が違い、塀の向こうや壁沿いに何か現れるのではないかと言うような不気味な雰囲気がある。

 確か、昔の怪談か何かであったはずだ。

 塀の上から乗りかかるようにして声をかけてくる妖怪、屋敷の近くで佇む女の幽霊。


「まぁ、信じちゃいないから平気なんだけど」

「――何がですか?」

「うおぁっ!?」


 誰もいないはずの背後から、不意に声を掛けられた。

 振り向くと、俺をこんな時間に呼び付けた女が立っていた。


「何を信じてないんですか?」

「何って……」


 思わずその姿をマジマジと見つめる。

 夕方と違い、白装束のような寝巻に、下ろした黒い髪。

 風に髪がなびかれ、暗闇の中で無表情に立つ姿は、やっぱりそういう類いの存在がいるかもな、と考え直させるほどのものだった。

 正直、メリーなんかより余程幽霊っぽい。

 この人みたいなのが深夜に徘徊して人に声を掛ければ、あっという間に都市伝説の仲間入りすること請け合いだ。


「な、何でもない。というかあんた、気配消すのやめろよ!」

「そういったつもりはないのですが」

「じゃあ、何でたびたび背後から突然声をかけるんだ?」

「接客の基本に措いては、警戒心を持たれないよう前方に回り込んで話しかけることが重要だそうです」

「……なおさら納得がいかないんだが。あんたは俺に警戒心を持たせたいのか?」

「そうですね。あなたは何かと信じやすいようなので」

「安心してくれ、あんたのことは欠片も信じてないから」

「左様でございますか」

「ハハハ、左様でございますよ」


 慣れてきたからこそ分かるが、俺はどうやら信じる信じない以前にこの女とはあまり反りが合わないらしい。

 出来るだけ波風立てずに人と接したいと思っているが、この手の手合いは強制的に苛々させられる。

 会話のテンポが崩されるという点ではメリーに通じるところもあるが。


 そもそも、こんな深夜に呼び出して一体どういうつもりなのか。

 売り言葉に買い言葉などではなく、実際に俺はこの女をいまいち信用していなかった。

 言われるままに来たのは、あくまで他にあてがないだけであり、メリーと会える保証などないのだ。

 墓地で言われたときは盲目的に信じかけたが、外で数時間も頭を強制的に冷やされたので、冷静に考え直すことが出来た。


「それにしても随分と早くいらっしゃったのですね」

「さ む か っ た ん だ よ !」

「そうですか。この季節、外は冷えますからね」

「あんた、喧嘩でも売ってるのか」

「心外ですね」

「寒いの分かってるんなら、もう少し早くするとか出来なかったのかよ」

「難しいです」

「ほう、じゃあこのまま三時まで待たなきゃならないのか?」

「いえ、おそらくもう大丈夫かと」

「あんたと話してると頭が痛くなる」


 何が難しくて、何がもう大丈夫なのかの基準がさっぱり分からない。

 最初は儀式的なもので時間が限定されているのかと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。


「だいたい随分早いと言いながら、タイミングばっちりであんたがいるのはどういうわけだ?」

「少し周囲を確認しておりました。見られたらまずいものですから」

「いったい何する気なんだよ」

「お嬢様に会いに来たのではないのですか?」

「いや、そうだけど、そんな仰々しい準備が必要なのかよ」

「準備は必要ありませんが、人に見られるのは困るのです」

「何でだ?」

「最悪の場合、死にます」

「……誰が?」

「あなたの他にはいませんね」

「いや、もうそういうのはいいから早くしてくれ。寒くて仕方がない」


 サラッと脅されたが、もはやまともに取り合うのが面倒でならない。

「そうですか」と前を歩く女が、胡散臭いを越えて少し頭が残念な人なのかと思ってしまう。

 正直なところ、バスの時間がまだあればこの場で引き返したいくらいだ。


 それ以上は俺も彼女も会話を交わさず、無言のまま塀沿いを歩いていく。

 門の前まで行くと、昼間見た警備員が立っていた。

 相変わらずの強面で、石のようにピクリともしない。仁王像か何かなのだろうか。

 そんな同僚に彼女は軽く会釈すると、門の前を通り過ぎた。俺も釣られて会釈するが、当然仁王様は微動だにしない。


「おい、あの人昼間もあそこに立ってたよな?」


 声を潜めて問いかけると、こちらを振り向かずに答えが返ってきた。


「ええ、彼は一日十六時間は門番をしていますから」

「じゅ、十六時間!?」

「はい。一部の食事や入浴などの時間以外は、あそこが彼の持ち場です」

「それ、色々大丈夫なのか?」

「身体は丈夫だそうです」


 いや、丈夫って言っても、健康とか睡眠時間以前に、労働基準法とか人権の問題が発生しそうなレベルだが。


「ただ、以前に、『暇だ』と呟いてるのを聞いたことがあります」

「そ、そりゃそうだろうな」

「あと、口には出しませんが、動物が好きみたいですね。猫や犬などが通りかかると、動きはしませんが目で追っているように見受けられます」

「い、意外だな」


 その話から、どうやら思ったよりも人間味があるらしい。目の前の女より、よっぽど親近感が沸く。

 しかし、どうやら世の中には、俺が知らない苛酷な仕事があるらしい。

 一日の半分以上をただ立っているだなんて、とてもじゃないが俺には無理だ。

 というかただの拷問だろ。


「ところでこれどこに向かってるんだ? 屋敷に入るんじゃないのか?」

「正門では目立ちますので、我々使用人が利用する裏口から入ります」


 そう言い終わるか否か、その裏口に辿りついたらしく立ち止まった。

 裏口と言っても、普通の家の正面口よりは大きく、木製の扉にはディンプルキーまで付いている。

 白い寝巻の袖から鍵を取り出すと、彼女は音を立てずに解錠した。


「なるべく音を立てないで下さい。極力私語も控えて頂くようお願いします」


 そう振り向きざまに釘を刺された。それには素直に従い、出来るだけ物音を立てないように注意しながら後へと続く。

 敷地内に入ると、家の人間は寝静まっているのか、建物のどれもが暗く佇んでいる。

 前を歩く女は勝手知ったるといった感じで迷いなく無言で歩を進め、俺は夜中に他人の家の敷地内を歩く後ろめたさを感じながらそれについていくしかなかった。

 そして、そのまま昼間に見たひと際大きい建物をぐるりと周ると、広い裏庭へと出た。


 空いてる敷地に何も建てないのは勿体ないと思ったが、これ以上は流石に持て余すのだろう。

 今のままでも、学校の一クラス分ぐらいの人数はゆうに住めそうだった。

 しかし、裏手に回っても明りが付いている窓はいっさい見受けられなかった。

 もしかしたら、見た目以上に人は住んでいないのかも知れない。


 昼間来訪したときは、前を歩く家政婦とおばさんと、門の前の警備員の三人しか会っていないし、人の気配自体をあまり感じさせない。

 その様子から、幽霊屋敷だなんてイメージがつきかねないな、と漠然と思った。

 そんなことを考えていると、突然家政婦が立ち止り、俺もそれに合わせて歩を止める。


「ここです」


 潜め声で家政婦が呟く。

 どうやらここが目的の場所らしい。

 見ると、大きな建物の端に一つの扉が設置されていた。


 鉄製の扉は見るからに重厚で、窓や覗き穴も付いておらず、明らかに裏口の類ではないように思えた。

 作りこそ新しいが、それこそ、昔から何かを封印でもしているかのような空気があり、俺はその物々しい雰囲気に少しだけ気押されそうになる。


「ここに何があるんだ?」

「入れば、分かります」


 そう言うと、家政婦は扉に付いた二つの鍵穴をそれぞれ解錠し、ドアノブに手をかけた。

 扉が開かれると中は真っ暗で、月明かりを頼りにしている外の方が明るいぐらいだった。

 彼女が電気を付けると、そこは室内と呼べるような場所ではなく、地下へと降りる階段が続いていた。

 電光はどことなく脆弱で、明かりが点いてなお薄暗い雰囲気があり、カビ臭さが鼻を抜ける。


「降りて下さい」

「え、俺が先に?」


 地下へと続く階段に俺達の会話が響く。

 先に進むよう促されるまま、その階段を一段一段降りていく。

 途中、後ろから突き落とされでもしないかと何度か振り向いたが、家政婦はそんな俺を無表情で見下ろすだけで、その目には何の色も映っていない気がした。

 素直に不気味だった。


 階段の最後の段から足を下ろすと、少し開けた空間に出たのが分かった。

 しかしそこの電気は別回路なのか、闇が広がっているだけで全体像が分からない。

 カビ臭さが入口よりも増したように思え、それと比例するように不安感も上昇する。


「な、何なんだ、ここ?」

「あなたが来たがっていた場所です」

「俺が来たがってたって、どういうことだ?」


 そう訊ねると、彼女は壁にスイッチに手を当て、地下の空間に電気を灯した。

 広がっていた闇が晴れ、地下室内が光に照らされ露わになる。

 そこで目に入ってきた光景に俺は愕然とした。

 その陰鬱とした空間は、コンクリートの打ちっぱなしで作られており、その左手には、時代劇で見るような仰々しい座敷牢がある。


 ――そして、その中には、一人の少女が横たわっていた。


 こちらの通路側から背を向けるようにして横たわるその後ろ姿は、紛れもなく見覚えのあるものだった。

 俺は、思わず言葉を失った。

 座敷牢へ近づいて手をかけ、額を木製の太い檻へと擦りつけながら、それを凝視する。

 今さら間違えるはずがない。


 傷んだ金髪。

 小さな身体。

 ボロ布から覗けた白い肌。


 間違いなく、メリーだった。

 何がなんだか分からない。

 でも、そこにいるのはメリーだ。それだけは間違いない。

 俺は勢いよく振り返り家政婦に叫んだ。


「ここを開けてくれ!」

「……かしこまりました」


 俺の混乱した内心とは裏腹に、家政婦は至って落ち着いた様子で足を運び、座敷牢の端に付いている錠前を開けた。

 俺は彼女を押しのけるようにして檻の一部を開けると、牢の中央で倒れているメリーへと近付いた。


 一歩、また一歩と、ずっと探していたその女の子に近付く。

 そう、探していたはずだった。

 会いたかったはずだった。

 見つけ出すと誓ったはずだった。

 でも、いざメリーを目の前にした俺は、戸惑っていた。


 会いたいと、そう思ったことに偽りなんてない。

 でも、本当にこんな風に会えるだなんて思ってもみなかった。

 目の前にいる存在が、本当に俺の知っているメリーなのか、確認するのが怖かった。

 でも、けれど、これが夢でも幻でもないのなら、俺はこいつに言いたいことがある。


 息を呑み、メリーの傍でしゃがみ込んだ。

 その肩へと手をかけ、――そして気付いた。

 メリーは俺が触れても反応はなく、そして、服から除く肌には、俺が家で見たものとは別に、新しい生傷が増えていた。


「お、おい! しっかりしろ!」


 メリーの身体を起こし、そのまま抱きかかえて呼びかける。

 細い腕は冷え切っており、その顔には精気がなかった。

 それは幽霊などではなく、どちらかと言えば死体のような――。


「おい……、じょ、冗談だろ? 頼むよ、起きてくれよ……!!」


 必死に呼びかけても応えはなくて、独り言のように牢の中に自分の声だけが響く。


「なぁ、俺、お前に会いに来たんだよ……。ずっと探してたんだよ。……お前のことが心配で、何で俺なんかのところに来たのか分からなくて、もう一度話したくて……」


 息が詰まりそうな不安感が全身を覆う。

 腕の中のメリーはそれでも動かなくて、話している声が震え、視界が滲む。

 喉が締め付けられるように苦しくて、一言一言、詰まりながら話すことが精一杯だった。


「だから、起きてくれよ。頼むから……。こんなのって、ないだろ……」


 目を閉じたメリーの顔は、俺の家で何度か見た、幼い寝顔と同じものだった。

 別人なんかじゃない。

 間違いなく、俺の知っているメリーだった。

 それでも、こいつは、この幼い少女は、俺が知らない苦労をいっぱい味わっていて、それを俺は今日知って……。


「もう一度会って、一言だけでも、伝えたかったんだよ……」


 抱きかかえる腕に力を込め、願うように声を絞り出す。



「――お前はいらない人間なんかじゃないんだって」



 どれぐらいぶりか分からない。

 眼の奥が熱くて、息をすることさえ苦しくて、何も考えられないぐらい感情は胸を圧迫して、涙がゆっくりと頬を伝っていくのを感じた。


 そして、その雫がメリーの頬へと落ちると、小さく、けれど確かに、声が聞こえた。



「……ん」



 それは、吐息のような、蚊の鳴くような、そんな声だけれど、確かにメリーの口から漏れたものだった。

 俺は、身動き一つ出来ずに、息さえ止めてその顔を見詰める。

 やがて、瞼が微かに動き、メリーが薄く眼を開いた。


「あれ? お兄ちゃん……?」


 俺の家で見た寝ぼけ眼などではなく、憔悴した様子だったが、それでもはっきりとメリーは俺を呼んでくれた。

 思わず、抱えていた腕を引き寄せて抱きしめる。


「えっと、何で、お兄ちゃんが、ここにいるの?」

「……お前に、会いに来たんだよ」


 情けないぐらい、自分の声は涙に濡れていた。

 メリーは意識が朦朧としているのか、言葉がゆっくりとしている。

 そして、そのまま、まるでうわ言のように甘ったるいしゃべり方で言葉を続けた。


「ふへへ……、私メリーさん、今ね、お兄ちゃんの、胸の中にいるの……」


 聞き慣れただらしない笑い方だった。

 嬉しいときにする、俺に甘えるときにする、あの笑い方。


 それだけ呟くと、俺の返答待たずに瞳を閉じ、メリーは寝息のようなものをたて始めた。

 先ほどもしていたのだろうが、あまりに動揺していて気付かなかった。

 今は、スースーと確かにその息が聞こえる。


 生きている音が、聞こえる。


 手足は冷え切っていて、服も俺の家に来たときと同じようにボロボロで、だけど、抱きしめたその小さな身体は、心臓は、それでも脈打っていた。

 俺は、冷えたその身体を温めるように、眠ったメリーを強く抱きしめた。

 いや、俺がそうしたかったのかも知れない。

 この安堵を、手放したくなかったのかも知れない。

 もう、あんな風な、この世が終わるかのような不安を感じたくなかったから。


 そのまましばらくして、俺は上着を脱ぎ、メリーのボロボロの服の上から着せてやった。

 よく見ると座敷牢の隅には布団があり、そちらへとその小さな体を運ぶ。

 抱えたメリーの身体は、気のせいなのかも知れないが、数日前よりも軽く感じた。

 毛布をかけ、乱れた髪を撫でるようにして整えると、俺は立ち上がり振り返った。


 先ほどまでの穏やかな気持ちのどこにそんなものが潜んでいたのかと思うほど、真逆の感情が膨れあがっていく。

 俺の視線の先には、一部始終を見ていたであろう、無表情な顔があった。


「おい、家政婦、聞きたいことがある。……それも山ほどだ」

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