第16話
「私ちょうど今あがりなんだけど戻ってたんだ? 忘れ物? なんかチーフが君のこと心配してたよ?」
座ったままその顔を見上げる。
自分でも分かるぐらい、頭の中がグチャグチャとしていて情けない顔をしてしまった。
「どうしたのよ、そんな顔して? なにかあったの?」
そう言いながら彼女が隣に腰を下ろす。
俺は絞り出すように呟いた。
「……親戚の子が、いなくなったんです」
「親戚って、この前風邪ひいたときに言ってた子? いなくなったって迷子になっちゃったの!? まずいじゃん!」
「……」
「ちゃんと警察行った!? そりゃそんな顔するのも分かるけど、君がしっかりしないと」
「違うんです」
「え?」
「迷子なのかも分からなくて、色々意味が、分からなくて……」
俺は俯いたまま、吐き零すように呟いた。
自分の声とは思えないぐらい、暗くて、憔悴したような響きだった。
誰に何を言ったって伝わらない。
俺自身すらが何もかも分からなくなっているんだから。
けれど、そんな俺の顔を、横から覗き込むようにして彼女は言った。
「ちゃんと話してごらん? お姉さんが聞いたげるから」
俺はすべて彼女に話した。
メリーが突然家にやってきたこと。身体には無数の傷跡や痣があったこと。
自分のことを話したがらないこと。
そして、一昨年死んでいるはずだということ。
「……うーん」
「こんなこと言われても、意味分からないですよね……」
「君はどう思うの? その子と本当に一緒にいたんでしょ?」
「いましたよ、間違いなく。けど、今はあいつ自身どころか、あいつの物まで何もかもなくなってるんです」
「……」
沈黙が痛い。
やっぱり頭がおかしいやつと思われているのかも知れない。
困らせてるかも知れない。
けれど、俺は狂ってなんかない、はずだ。
「その子さ、本当に君が知ってる子なの?」
「え?」
「だから、君が小さい頃に近所に住んでたって子と同一人物なの? 君がそう思い込んでるだけで、別の誰かってことはない?」
そんなこと、考えたこともなかった。
ただ、確かにそれならメリーが一昨年亡くなっていたとしても辻褄は合う。
けど……
「それは、ないと思います」
「どうしてそう思うの?」
「久しぶりに会ったとはいえ、一目で俺はあいつのことを思い出しました。あんなに昔の面影を残した他人なんているはずないです。それに、小さい頃の思い出も、無邪気なところも、笑い顔も、全部俺の知ってる子です」
「そっかぁ……」
メリーは一人っ子だ。
よく似た姉妹だなんて存在しないし、俺の思い出の中にいるメリーと、今朝まで一緒に過ごしていたメリーは間違いなく同一人物だ。
そう断言出来る。
「それじゃあさ、私あんまりそういうのよく分からないけど、なんていうか幽霊、ってやつなのかな?」
「……馬鹿げてます」
「そうかな? だって、君以外に誰もその子と話してないんでしょ?」
「本気で霊なんていると思えるんですか?」
「君はいるとは思えないの? 幽霊も、その子も」
直球で問われた。
その瞳には、普段のからかうような雰囲気はなくて、真剣に聞いているのだと分かった。
「霊なんて、信じてませんし、いないと思ってます。……けど、あいつがいなかったなんて思ってません」
「私もね、さっき言った通りそういうのはよく分からないし、今まで信じても疑ってもなかったけどね」
「じゃあなんでそんなこと言うんですか? 俺の頭がおかしいとか、変なものが見える病気とか、そっちの方がよっぽど説明がつくし現実的じゃないですか」
霊は非科学的で証拠なんてないけれど、精神病は科学的に説明が付いてしまう。
自分自身でそう思いたくはないけれど、自分が言ってることがあまりに矛盾していて、まるで非現実的で、だから、そう思われても仕方ないと思った。
混乱して、本当に自分の頭がおかしいのではないのかと疑いかけてもいた。
「そんな風には思わないよ」
「なんでですか? 普通、こんな話、信じませんよ」
「だって君、すっごく真剣で必死じゃん。風邪をひいてたときだってさ、あんなに辛そうにしてたのに頑張ってたじゃない。今だってそう。その子のこと、本当に大切に思ってるんだって分かるよ」
「……」
「だから私は、君を疑うぐらいなら、幽霊を信じるよ」
彼女はそう言って、屈託なく笑った。
その言葉は、励ますために嘘を付いてるわけでも、調子よく取り繕ってるわけでもなく、本気で言ってくれているのだと分かった。
思わず唇を噛み締める。
「まぁ、そんなことよりもだよ。なんでその子はいなくなっちゃったんだろ? しかも自分の物とまで一緒に」
「そんなことって……」
「その子が幽霊だろうと、幽霊じゃなかろうと、そっちの方が大事じゃない? なんでいなくなったのか? どこに行ったのかの方がさ」
確かに、そうだ。
もはや俺にとって、メリーがどういう存在であるかはどうでもいい。
消えてしまったことと、今後会えるのかどうかの方が、はるかに大事だった。
なんで俺の前から姿を消したのか。
だって、俺が風邪をひいたとき、あいつは確かに俺と一緒にいたいって……。
「……そういえば」
「どうしたの? なにか気付いた?」
あのときのメリーの言葉を思い出す。
確かあいつはあのとき、
「〝もう少しだけ〟俺と一緒にいたいって……」
「そう言ってたの?」
「はい」
まるで最初から、期限があることが分かっていたみたいに。
近いうちに、俺と一緒にいられなくなることを知っていたみたいに。
「好かれてたんだね」
「……」
「でも、わざわざもう少しだけなんて言うってことは、本当は、出来ることなら、ずっと一緒にいたかったってことなんじゃない?」
「……」
「君は? いなくなっちゃったからって諦めるの? もう一緒にいれなくていいの? 自分が病気かも知れないって病院にでも行く?」
そう言われて、自分が何を望んでいるのかがはっきりと分かった。
病院? 馬鹿言うな。
俺がどこに行くべきなのかは決まってる。
「――あいつを、探しに行きます」
「うん、よく言った」
その一言と共に、背中をバンッと叩かれる。
そのまま立ち上がると、彼女は裏口の扉に手をかけた。
「チーフにはしばらく君が休むって言っておいてあげるよ。私は明日から遅番だから、昼の君のシフトは私が代わりに出てあげる。それぐらいしか協力してあげられないけど、やれるだけやってみなよ」
「はい。ありがとうございます」
「よかった。少しは元気出たみたいだね」
「でも、いいんですか? 担当って厨房で、フロアじゃないですよね?」
「前にも手伝ったことあるし大丈夫大丈夫。お姉さんに任せなさい。それに知ってる?」
ここで彼女は、先ほどと違い、いつもの悪戯っぽい表情を見せた。
「私のウエイトレス姿って、すっごく可愛いんだよ?」
俺も先ほどまでの死にそうな顔を拭って、笑って答えた。
「それは、見れないのが残念ですね」
※ ※ ※
バイト先を出た俺は、急いで家へと戻った。
どこを探してもメリーの姿が見付からない以上、やはり家にしか手がかりはないのだと思う。
しかし、メリーがいた証拠が何一つもないのは純然たる事実だった。
あいつは普段どうしていた?
俺の言いつけを守って、この部屋から一歩も出なかったはずだ。
あいつ自身も、あいつの物もなくなる要素がない。
俺がバイトから帰ってくると、いつも玄関先まで迎えに来て、いないときはテレビやパソコンを見ていて……。
――パソコン?
ハッと気付いたように俺はテーブルに置いてあったノートパソコンの電源ボタンを押した。
起動までの時間がもどかしく、破壊したい衝動さえ覚える。
インターネットを開き、閲覧の履歴を確認した。
そこには、メリーが見ていたサイトやページの履歴が幾つも残っていた。
それは、唯一残っているメリーがここにいたことの痕跡だった。
俺がバイトで家を空けてる時間帯にも、確かに履歴が残ってる。
間違いない。メリーは確かにここにいたんだ。
仮に、俺にしか見えていなかったのだとしても、確かにいたんだ。
その事実が、少しだけ冷静さを取り戻してくれた。
一度数日前からの情報を思い返してみる。
まず、ここに訪ねてきたメリー。
そして、メリーが死んだという事実。
メリー自身と共になくなった痕跡。
……ダメだ。さっぱり分からない。
メリーがここ数日俺とともに過ごしたことは間違いないようだが、状況は何一つ掴めない。
常識的に考えれば、いや、死んでないだろ、と突っ込みの一つでも入れたいところだが、母親が嘘を付いているようには思えなかった。
「そもそも、いなくなった理由は一体なんだ?」
額に手を当て溜息を吐きながら、誰もいない室内で呟く。
暖房器具を一切付けていない部屋はひんやりとしていて、室内なのに息が白くなる。
自分からいなくなったのか、それとも離れざるを得ない理由があったのか。
はたまた、単純に消えてしまったのか。
あいつ自身は、俺と一緒にいたいと言ってくれた。
なのにどうして……。
ふと顔を上げパソコンの画面へと目を移す。
履歴に何かしらのヒントが残されていることを願い、膨大な量の履歴を一つ一つクリックする。
しかし、手掛かりになるようなものは一つも残されていなかった。
ただ一つだけ、幾つもの履歴を確認する中、目に止まったものがあった。
それは〝メリー〟という検索ワードだった。
普通の人間が自分の名前を検索することはたまにあるけれど、つい先日までパソコンをいまいち知らなかったメリーが検索することはまったく違う意味合いに思えた。
〝世界中のことが分かるんだったら、きっと何でも分かるよね〟
そう言っていたメリーの言葉を思い出す。
公園では、自分のことを〝どこにもいない〟と言っていた。
だからなのかメリーの名前の検索履歴を見たとき、その行為はまるで自分を探しているかのように映った。
そして、もう一つ思い出す。
あいつは自分のことを〝いらない存在〟だと言っていた。
俺は何であの時、何も言ってやれなかったんだろう。
例えメリーが自分のことを語らなくても、掛けてやれる言葉はあったはずなのに。
そして今この瞬間も、無駄に考えるばかりで何も出来ていない自分に憤りを感じた。
もうこれ以上、ここで足を止めているわけにはいかなかった。
決めたんだ、あいつを探しに行くって。
俺はポケットから携帯を取り出すと、発信履歴の一番上にある番号へと再び電話をかけた。
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