第11話

「風邪で熱あったんだって? 早く言えばよかったのに」

「いえ、大したことないんで」

「まぁ、明日は休みだしゆっくり寝てなよ」

「あざっす」

「それじゃトイレの清掃したらあがっちゃって」

「うっす」


 なんとか最後まで凌いだ俺は、バックルームに入った瞬間に倒れ込みそうになった。

 椅子に座り込んだ瞬間に、一気に身体が重くなる。

 帰ることすらしんどい。

 そのまま着替えもせずに死んでいると、後頭部を撫でられる感触を覚えた。

 首をそちらに向けると、昼とは違う朗らかな表情で笑いかけられる。言わずもがな厨房の姉御だ。


「えらいえらい。よく頑張ったね」

「あの、恥ずかしいんでやめて下さい」

「まぁまぁ。若者が健気に頑張ってるところを見るとね、お姉さん褒めたくなっちゃうんだよ」

「若者って、二つしか変わらないじゃないっすか」

「細かいことは気にしないの! その様子じゃ一人で帰れないでしょ? 私が送っていってあげるよ」

「え? 車通いでしたっけ?」


 もし送ってくれるならありがたいけど、確かこの人ペーパードライバーだったはずじゃ……。


「なに言ってんの、この健康美溢れる太股が見えないの?」


 厨房エプロンの上から自分の外ももをパンッと叩く。

 なんとなく言いたいことは分かった。


「……俺の自転車でってことっすか」

「そりゃそうよ」

「いや、遠慮しときます」

「なんでよ」

「悪いですし、女の人の後ろとか格好悪いっす」

「そんなこと気にしてんの? 体調悪いときぐらい素直に甘えるもんよ?」

「でも」

「いいからいいから。ちょっと待っててね、すぐ着替えるから」


 そう言うと、反論も待たずに更衣室へと引っ込む。

 ドアを閉めると、微かに衣擦れ音が聞こえてきた。

 なんだかこういうの、生々しくて気まずい気分になる。

 さばけた性格してるけど、メリーと違って立派な同年代の女の人だし、なにげにスタイルいいし。


「おまたせー。それじゃ待ってるから早く着替えちゃってね」

「いや、本当一人で帰れるんで……」


 渋々俺が着替え終えると、彼女の気は変わっていなかったらしく、本当に帰らずに待っていた。

 店の外に出ると、半ば強引に自転車の荷台に乗せられる。

 恥ずかしいやら情けないやら複雑な気持ちだったが、気分の悪さも相まって押し切られてしまった。

 ただ、平衡感覚がおぼつかず、吐き気と身体のだるさが悪化していたので、自分でこいで帰るとなったら確かに大分苦労したと思う。


「危ないからちゃんと腰掴んで。君、ただでさえ今はフラフラしてるんだから」

「えー……」

「いまさら遠慮しないの。毎日ご飯作ってあげてる仲じゃない」

「それ、誤解されるんで、絶対に人には言わないでください」

「あはは、なんか弱み握ってるみたいで気分いいね。代わりにユーは私の腰握っちゃいなよ!」


 なにが面白いのか、テンション高く言われる。

 なんかもう、この人には敵わないなと思った。

 俺はもうどうでも良くなって言われるままに腰を掴むことにした。

 確かにフラフラしていたし、何より彼女の運転が下手で本当に落ちかねないからだ。


「あはははははっ」

「どうしたんすか?」

「ちょっと、遠慮しないでもっとちゃんと掴んでよ! 掴むっていうよりそれ触るって感じじゃない。くすぐったいし逆になんかやらしいわよ」

「そ、それじゃあ」


 少し躊躇いながらも、腰をしっかりと掴む。

 ……って、ほそっ!! そのくせ柔らかっ!


「どーよ若者、お姉さんの細腰の感触は」

「なんというか、おみそれしました」

「ははは、なにそれ」

「いや、マジで自慢できるぐらいスタイルいいと思うっす」

「ふふん、君もようやく私の魅力に気付いたか」


 スタイルいいとは思ってたけど、胸はでかいのに細いとかグラビアモデルみたいだな。

 気さくで面倒見もいいし、さぞモテるんだろうと思う。


「まぁ君も、早く私のようなないすばでーな彼女をつくりたまえよ」

「いつか出来るといいっすねー」

「あらら、また投げやりな感じに戻っちゃった。家にいるっていう親戚の子とかどうなの? それだけ気にかけてるってことは悪くは思ってないんでしょ?」

「言っときますけど、そいつまだ小学生ですよ」

「そ、それは確かにまずいね」

「それに、そういうんじゃないっていうか、それどころじゃないっていうか……」


 メリーは俺にとって昔から妹のような存在だ。

 それこそ、この人が俺を男として見てないのと同じように、そういうものの対象外だ。

 でも、それとは別に、昔よりもはるかに俺はメリーを大事に思っている。

 なにかしてやりたい、守ってやりたい、救ってやりたい。

 再会してたった数日なのに、俺の中での最優先事項がメリーになっているぐらい、いつの間にか大きな存在になっていた。


「急に黙っちゃったけど大丈夫? ごめんね、体調悪いのについしゃべりすぎちゃって」

「あ、いや、ちょっと考えごとしてただけです」

「それならいいけど。まぁ、君の家までまだあるし、私の背中に寄っかかっちゃいなよ。そっちの方が楽でしょ?」

「それはさすがに」

「だから、遠慮しないの!」


 そう言いながら彼女は急ブレーキをかけて、わざと前にある背中に俺の顔を突っ込ませた。


「そのまま寄りかかってなよ。というか、実は二人乗りって初めてだから、そうやってくっついてもらってる方が運転も安定するし」

「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて」


 改めて頬を彼女の背中に押し付け、体重を預ける。

 服越しに体温が伝わってきて、なんだかよく分からないけど、落ち着く感じがした。

 そういえば、一昨日はメリーをこうして後ろの乗せたっけ。

 あいつは何も気にせず俺に抱き付いてたな。


 俺はあいつのことを妹のようだと、大切に思っていると考えているけど、あいつにとって俺はどうなんだろうか。

 懐かれているとは思うけれど、不甲斐なくはないだろうか。

 ろくなもの食わせてやれてないし、服だって安物だし、バイトのときは一人にしちまうし。

 なにより、メリーが俺に何も話してくれないのは、もしかしたら俺が頼りないからなんじゃないだろうか。


 踏み込もうとすると、誤魔化すみたいに、あいつは困ったような顔で笑う。

 それが俺には、どうしようもなくもどかしくて、苛ついて、情けなかった。

 全部話してくれれば、俺が守ってやるのに。

 どんなことだってしてやるのに。

 風邪で頭が朦朧としているせいか、俺はそのまま夢見心地のような感覚で自転車に揺られ続けた。

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