第9話

 メリーがパソコンを知らないことに若干のカルチャーショックみたいなものを覚える。

 確かに俺も小学校低学年ぐらいの頃は何か仕事に使うやつぐらいの認識だったが、一家に一台は当たり前、小学生ですら携帯端末を使いこなすこのご時世に、まさかパソコンを知らない奴がいるとは。

 呆れを通り越して、ショックさえ受けている俺の表情を見て流石にマズイと思ったのか、メリーは取り繕うように弁解した。


「う、嘘だよ、知ってるよ! あれでしょ、外国行くときに必要なやつ!」

「は? ……っ、パスポートだろそれ!! 全然違ぇじゃねーか! あまりに見当違いで一瞬分からなかっただろ!」


 頭文字が同じとかそういう問題ではなく、情状酌量の余地は一切ない完全なる別物であった。

 どうやら本気で知らないらしい。こいつ、戦後の人間か何かなのか。


「パソコンっていうのは、簡単に言えばコンピューターだよ」

「そ、それぐらい知ってるよ! お兄ちゃん私のことバカにしてるの!?」

「バカにしてるっていうか、世間知らずっていうか」

「で、コンピューターってなんなの?」

「ごめん、やっぱりただのバカだったわ」


 薄々気付いてはいたが、会話のテンポというか、コミュニケーションが基本的にずれてる気がする。

 しかし、パソコンが何かと言われれば、用途が多すぎるため一概に説明し難いものがあった。


「えーとな、単純に言っちゃえば、人間の脳みそを機械化したようなもんだ」

「……? どゆこと?」

「例えば、お前何かを思い出そうとするとき、それまでの経験とか記憶を思い出そうとするだろ? それと同じで、このパソコンってのは、データがたくさんあって、そこから必要な内容を探して調べることが出来るんだ。あと、調べ物や、計算するときは頭の中で考えたり、紙に書いたり本を見たりするけど、それをこの機械の中で代わりにやってくれるんだ」

「よく分かんない」

「実際にやってみた方が早いか」


 大学に入るときに購入した比較的新しい型のノートパソコンをメリーの膝に置き、代わりに食べ終わったおじやの器を下げる。

 相変わらず小さいくせに食べるのが早いなと感心した。

 いや、消化に悪いし、今後はもっと良く噛んで食べるように教えないとダメか。

 そうしないと大きくなれないと言えば、おそらく素直に言うことを聞くだろう。


「なんか見たことはあるよ?」

「そりゃそうだろうな」


 目の前に置かれたパソコンを見ながらメリーが小首をかしげる。

 多分メリーの親父さんが生きてるときに家にあったろうから、そりゃ見たことはあるだろう。

 でかい家だったし仕事も忙しそうにしていたから、複数台あってもおかしくなかったと思う。


「お前、何か調べたいものとかないか? 何でもいいぞ」

「え? えーとね、うさぎ」

「うさぎね。了解っと」


 検索サイトを呼び出し、キーボードに手早く打ち込む。

 するとすぐに複数の情報や画像が出てきた。検索にかかった時間は0.22秒、該当データは46,200,000件。

 改めて科学の凄まじさを実感する。


「な、なにこれ?」

「全部うさぎに関してのことだよ。例えばほら、これなんかうさぎの飼い方とか生態とか色々書いてあるぞ。あとは、実際にうさぎの写真とか動画とか」

「か、可愛い! ちっちゃい!!」


 カーソルを動かし、いくつかのサイトへとアクセスする。

 一番メリーの目を引きそうな、うさぎの画像一覧を出すと、子ウサギの写真やら何やらがたくさん画面に表示された。見るからにモフモフしている。


「ようはこういう風に、自分が調べたいものとか、興味があるものの情報を世界中から集めることも出来るんだよ。あとはさっき言った通り、代わりに計算してくれたり、ノートの代わりになったり、この機械上で図を書いたり、ま、色んなことが出来る」

「……世界中」


 わりと衝撃的だったのか、メリーが呆けるように呟く。

 確かに俺も最初パソコンに触れたときは、その情報量に驚いたもんだが。


「これ、何でも調べられるの?」

「まぁ大体のことはな。石を金に変えるとか、人の蘇生方法とか、そういう無茶なこと以外だったらおおよそは載ってるよ」

「すごいね」

「そうだな。人間ってのはすげーよな」


 掛け値なしにそう思う。

 先代の知識や技術の積み重ねとはいえ、もし人類の始祖が全員俺ならば、おそらく世の中は未だに弥生時代ぐらいで止まっていると思う。


「これって私でも使えるの?」

「もちろん。教えてやろうか?」


 メリーは珍しくはしゃぐわけでもふざけるわけでもなく、純粋に興味を示しているようだった。

 その無垢な好奇心がどことなく可愛らしく思え、俺は素直に教えてやることにした。


 意外なことにメリーは驚くほど飲み込みが早く、ローマ字は元から分かっていたようで、パソコンの立ち上げから動画サイトの見方やインターネットの検索方法はすぐに覚えてしまった。

 俺が説明するとその度に何度も頷き、画面を食い入るように見つめている。

 二人で画面を覗きこみながら、メリーの興味のあることを聞き、色んなことを調べた。といっても主に、食べ物や動物のことだったが。

 地図上で実際の現地を見て回れるサービスを教えてやると、素直に感動しているようだった。

 本人は行ったことがないかも知れないので、メリーの母親の国の様子も見せてやる。

 メリーは感慨深そうに、綺麗なところだねと、ママはここから来たんだねと微笑んだ。

 俺はメリーの母親がどの街に住んでいたかは知らないが、その様子を見て無言で頷いた。


 気付くと机の上の時計の針は九時を指していて、窓の外はすっかりと暗くなっていた。

 メリーの反応が良いので、ついつい色んなものを調べ過ぎてしまった。今日だけで自分の中の雑学が十は増えた気がする。

 メリーは慣れないことで少し疲れたのか、或いは熱で体が弱っているせいか、若干ポーっとしているように見えた。

 そろそろ横になるように言うが、寝ることは頑なに拒否し、まだ二人でパソコンを見たいとねだってくる。


「ダメだ。あんまり長く見てると、目も頭も悪くなるぞ」

「あ、頭も!?」

「そうだ。ついでに身長も低くなる」

「えぇっ!?」

「だから寝なくてもいいから、取り合えず横になれ」

「う、うん。怖いんだね、パソコン」

「そうだ、恐ろしいものなんだ。あんまり長いこと使ってるとな、毎日パソコンしなきゃならない呪いがかかるんだ」

「呪い!?」

「そう、呪い。だから、俺がいないときも適当に使っていいけど、定期的に休憩しなきゃダメだ。あと、変な警告が出たりしたときはそのサイトは見たりするなよ。呪われるからな」

「わ、分かりました!」


 そう言うと、メリーは大人しく布団をかぶり横になった。

 俺は家に帰ってから何も食べていなかったため腹が減っており、買ってきたうどんを調理するため台所へ移動した。

 消化にいいし、メリーにも少し食べさせてから寝かせようと思った。


 メリーは実際にまだ寝るのには少し早いのだろう。

 虚ろながら目を開け、テレビをボーっと眺めている。

 地上波のアンテナを設置した古いブラウン管には幾度となくみた国民的アニメの映画ロードショーが流れており、部屋からはその音が聞こえてきた。

 さっきパソコンで調べていたとき、たまたま今日放映されると知ったので、そのままチャンネルを合わせたのだった。


 うどんはあっという間に出来たため、メリーと二人で食べながら映画を漫然と眺める。

 この手の映画ってのは、不思議なもので内容はすべて分かっているはずなのに最後まで見れてしまう。

 やはりその辺りが名作と呼ばれる所以なのかも知れない。

 映画も終わりに近付き、ふとメリーを見ると、眠気に誘われてるのかウトウトとしていた。


「眠いか?」


 メリーが目をシパシパさせながら首を横に振る。


「嘘付け」


 何で子供ってのは眠いのに寝たがらないだろうな。

 まぁ大人も同じようなもんだけど。


「……お兄ちゃん、あの二人は死んじゃったの?」


 メリーが少しだけ声をガラつかせながら、マスク越しにか細い声で呟く。

 おそらくさっきパソコンで見た噂のことだろう。

 この手の古いアニメなどには、後付け的に都市伝説のような尾ひれが付くことが多い。

 虚ろな目で俺を見つめながら、メリーはなおも訊ねてくる。


「死んじゃったってことは、もうどこにもいないの?」


 確かに、その噂が事実なのならば、非常に悲しい話になってしまう。

 誰とも会えないし、誰にも気付いてもらえない。

 それは確かに生きてる者からすればどこにもいないということになるのかも知れない。

 メリーの顔を覗きこむと、もう半分寝ているような状態だった。


「そんなことないよ。死んでないし、ちゃんとお母さんにも会えたんだと思うよ」


 俺はメリーの頭を撫でながら語りかけた。

 額にかかった細い髪がそれに合わせて揺れる。

 ほんの僅かに開いた瞳が、朧げに俺を見つめていた。

 どうしてだか、胸が締め付けられる。

 ……初めてかも知れない。

 ここまで誰かに優しくありたいと思ったのは。


「そう。良かったね……」


 メリーの声はもはや寝言に近かったが、そこには安堵の色があった。

 そのままスースーと寝息を立て始めたのを確認して、俺は頭から手を離した。

 テレビを消して、照明を一段階暗くする。

 加湿するためにハンガーへと掛けたタオルがエアコンの風に煽られ、落とした影もユラユラと揺れていた。

 それを目で追いながらベッドに寄りかかると、メリーの体調を気にかけながら、俺は今後どうするべきかをボンヤリと考えた。

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