「ニコル、告発される」

 バイトン・クラシェル正騎士きし駐屯地ちゅうとんちの外れで殺されたという事件の余波は、半日を過ぎても収まる気配はなかった。


 騎士見習いたちによって持ち回りで運営されている食堂は午前中の営業を中止させられ、みながいい加減空腹を覚えだしてころ、最低限の献立こんだてだけで営業を再開することになる。


 支給されるのは二個のパンと、大鍋おおなべで適当に作ったスープのみ。

 に服すという意味ではこんな粗末そまつな食事でも仕方がないと騎士たちは割り切り、文句をいうのも放棄ほうきして順繰じゅんぐりに食堂に集まり、空腹を満たすべく料理を口に入れる。


 そんな状況じょうきょうの中、食堂でひとつのちょっとした異変が起こっていた。


「…………なんだ?」


 午後のおやつにありついてもおかしくない時間、ようやく今日きょう、最初の食事にありつくべく食堂をおとずれたニコルは、だだっ広い平屋の建物にテーブルと椅子いすを密集させた食堂に集まっている騎士たちの面々たちの異変に気づいた。


 入口に現れたニコルに気づいた騎士たちが一瞬いっしゅん、ぎょっとした顔をニコルに向けると、そこから意図的にニコルから顔をそむけ、声を落としてとなり同僚どうりょうと声をわし始めたのだ。


「……おい。あいつ……」

「あれがニコル…………」

「マジかよ、あの話…………」

目敏めざとやつは、あいつがあやしいって…………」


 ざわめきが白い歯を立てる白波のように波紋はもんとなって広がっていくのが、ニコルの耳に届く。ざっと数百人は居並んでいるはずの騎士たちの口から発せられているのにもかかわらず、その一言一言が明瞭めいりょうに聞き分けられる。


 ニコルの心臓が冷たく、こおるように縮んだ。

 この頃合ころあいで自分のことが、皆の口に上がるような話題にされている――自分が死んだバイトンの直属の部下だったという以上に、悪意を感じる空気を感じてニコルは戦慄せんりつした。


 と、すれば想像できることのはばせまい。


『――まさか、昨夜のことを、だれかに見られていた…………?』


 サフィーナが誰かにらしたというのは考えにくい。が、もう一人ひとり目撃者もくげきしゃになるような人間が近くにいて、それに自分が気づかなかった可能性は否定できないだろう。


 苛立いらだつようにニコルが不意に顔を横にると、テーブルについているふたりの准騎士じゅんきしとの視線が合う。顔をかくすようにあわてて顔を背けた准騎士の青年たちに、ニコルは靴裏くつうらゆかたたくような歩調で歩み寄った。


「――お食事中、失礼します」

「な、なんだよ」


 明らかに目が据わっている厳しい表情のニコルに、青年ふたりは捕食者に狙いを定められた獲物のように怯えた。


「今、ぼくのことを話していましたよね、あなたたち」

「いや、おれたちはお前のことなんて」

「耳に届きました。あなたたちの声で僕のことを話していたのが。誤魔化ごまかさないでください」

「う」


 年齢ねんれいも階級も下の少年の詰問きつもんに、青年はあからさまにひるんだ。


「僕がなんだっていうんですか」


 年頃としごろの少女たちからは『可愛かわいい』と評される少年の目が、おくに収まるひとみするどい光によって獰猛ねいもうな気配すら発している。声にしていない余白が、声にしていないからこその迫力はくりょくかもして、青年の心を圧迫あっぱくしていた。


「お、俺たちはあの『告発文』について話してただけだ」

「……『告発文』!?」


 ニコルの思考の歯車の大きな動輪が、がたり、と音を立てて外れそうになった。


「食堂の掲示板けいじばんに張り出されているあれだ。気づいてなかったのか。みんなその『告発文』のことを話してるんだよ」


 青年の視線が横に向けられる――その先、今し方ニコルが入って来た入口のとびらわきかべの掲示板に、瞳の焦点しょうてんが当てられていた。


 周囲の注目を浴びながらニコルはかたひるがえし、掲示板にる。葉書ハガキなら百枚は軽くけられそうな広い掲示板の真ん中に、それは目立つように堂々と貼られていた。


 その『告発状』の最初の文面、見出しを読んだニコルが目一杯めいっぱいにまぶたを見開かせ――そして、食堂の喧噪けんそうばすような声量で、さけんでいた。


「――なんだこれは!?」



   ◇   ◇   ◇



 駐屯地からゴーダム公爵こうしゃく家の館へとつながる道を、片手に『告発状』をにぎりしめるニコルは砂煙すなけむりを上げながら走っていた。


 館の玄関げんかんの脇についていた衛兵たちをほとんど蹴散けちらすようにし、奥歯おくばみしめ目を血走らせたニコルは取り次ぎの願いもなしに重い扉を風が巻く勢いで片手で開く。もう馴染なじみとなった少年の強引ごういん過ぎる来訪に衛兵は度肝どぎもかれ、制止することもできなかった。


「わ、ニコルにいさま――――あれ?」


 あかく厚い絨毯じゅうたんかれた廊下ろうかを、地響じひびきがする勢いで足早に進むニコルの姿を、メイド服姿のコノメが遠くから見つける。気づかなくてもおかしくない距離きょりではあったが、まるで獲物えものねら肉食獣にくしょくじゅうのように正面しか向いていないニコルの姿にコノメは首をかしげた。


「…………ニコルにいさま、なにかおこってるの?」


 館の廊下を猛進もうしんするニコルとすれちがう何人もの官僚かんりょうやメイドたちも、口の中からほのおを漏らしながら進むニコルにおののき、道を開ける。だれひとりその行く手をはばもうとできる者はいなかった。


 廊下の奥の奥――ゴーダム公爵の執務しつむ室に行き当たっても、ニコルの足は勢いを減じなかった。この領内で最も威厳いげんのあるはずの扉を、便所の扉でも開けるような勢いでニコルは開け放っていた。


「閣下!!」

「うわ」


 執務室の机にすわっていたゴーダム公がノックもなしに扉が勢いよく開けられたことに、書類の上に走らせているペンをすべらせた。


「なんだ。サフィーナのような勢いで扉を開けるな。蝶番ちょうつがいが飛んだら給料から引くぞ」

「蝶番やら僕の給料なんてどうでもいいんです! これを!」

「『告発状』のことか?」


 まさにその『告発状』をゴーダム公の前に叩きつけようとしたニコルのうで空振からぶりした。


「ご存じなんですか!?」

「まあ、わたしがいちばんよく知っている立場だからな」

「はい!?」


 ニコルの顔に巨大きょだい疑問符ぎもんふが張り付いた。


「こ、こ、この『告発状』にはとんでもない内容が書かれ、それが駐屯地中のうわさになりかねなくなって――いいえ、もうきっとなっています!! ほ、本当に、どうしてこんな内容が――読んで聞かせて差し上げましょうか!!」

「落ち着け。だから知っていると……」

「この『告発状』には、ほ、ぼぼ、僕と、お、おおお、お――けほ、けほけほ、けほっ」

「ニコル、息を吸わないと死ぬぞ」

「僕と奥様おくさまが、男女の仲であるなんていう、とんでもないデタラメが書かれています!!」


 バン! と全力をめてその『告発状』をニコルはゴーダム公の前に叩きつけた。


「誰がこのような破廉恥はれんちなことを!! ぼ……僕は、僕は、僕は、僕は!!」

「ニコル、息をかないと死ぬぞ」

「僕は今からこんなデタラメを書いた者を探し出し、騎士の名誉めいよけてらねばなりません!! よ、りに選って、僕のいちばんきらう話題をこんな形で張り出すなどと!!」

「探し出す必要もないし、斬る必要もない」

「閣下!! ご自身の奥方おくがたがこのように取り上げられて、どうとも思わないのですか!!」

「思わないな」


 ゴーダム公はまるで動じていなかった。むしろイタズラげな微笑ほほえみさえかべていた。


何故なぜ!!」

「当然だ。それを書いて貼り出したのは、このゴーダム家公爵たる、私自身なのだから」


 無形の大槌ハンマーを側頭部に食らい、ニコルの体は大きくらいだ。

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