「抜刀、そして」

 こめかみに重い衝撃しょうげきまれ。螺旋らせんのように体をねじられて回転するダクローは、一秒の間に天地が何度もわるのをうすれる視覚で感じ取っていた。


「ぐぅっ!」


 激しい回転により三半規管が死にかけているところを、地面で体がねる痛みがおそう。脳の真ん中が液体のようにれ、波を打っているのがいに似た感覚として味わえた。


 その場――『騎士きしひつぎ』の周辺にいた騎士見習いたち、二十人ほどがいきなりの変事に息を飲み、目をいていた。


 彼等かれらは見ていた。


 駐屯ちゅうとん地で今、すべての騎士たちの話題になっているニコルと、鼻つまみ者のダクロー。

 この二人ふたり接触せっしょくすることで口論が始まるのではないかと予想――いや、期待し、ひそかな注目を騎士見習いたちは向けていたのだが、現実は想像を大きく上回っていた。


 あのニコルが、ダクローをなぐばした。しかも後ろから。

 理解が追いつかないものを見せつけられ、騎士見習いたちは呼吸さえ忘れていた。


「あ……い、て、て、てて、て…………」


 ふらつき、頭に手を当てながらダクローが立ち上がる。服の半分が自分で巻き上げた土でよごれ、ひざがガクガクと笑うようにふるえていた。


「……チビのくせに、なかなかいい一撃いちげきをくれるじゃねぇかよ……まだ脳の真ん中が揺れてるぜ…………」


 よろめき、長椅子ベンチの背もたれにれることでダクローは自分の体をようやく支えていた。脳から四肢ししの筋肉に送られる信号が麻痺まひしているのか、下手へた人形遣にんぎょうつかいがあやつる操り人形にんぎょうよりぎこちない動きにしかなっていなかった。


「どうして…………」

「――あ?」


 震えているのはニコルも同じだった。

 今し方ダクローの後頭部にたたき込んだ自分の右のこぶしかかえ込み、うつむいた姿勢でかたを小さく、しかし確かに震わせている。それはダクローとは全くちがう種類の震えだった。


「どうして……どうしてそんなひどいことが言えるんだ……マルダムはもう死んだんだ……死んだ人間はどんな悪口あっこうを向けられても、言い返せない……どんなはずかしめを受けても、自分でぬぐうことはできないんだぞ…………!」

「……ニコル?」


 ダクローの心が半歩、おびえた。今までのニコルにはないニコルの気配を覚え、その不可解さに心がきしむような音をらす。


ぼくへの悪口なら、いくらでも聞き流せる……でも、死んだ友への悪口は許せない!!」


 さけんだニコルが前を向く。金色のかみ獅子ししのたてがみのように燃え上がり、水色のひとみが青白いほのおの色に燃えていた。口元できばが剥かれていないのがおかしく思えるいかりの表情と共に、ニコルがこしのレイピアをはなった。


「おいおいおい、お前、騎士団に入る時に規約を聞かなかったのか」


 みをかべダクローは応じたが、その笑みの裏側ではびっしりとあせを掻いていた。

 ――こいつ、キレたら本当に何をしでかすかわからねぇな。熱くなるタチだとは思っていたが、ここまでバカだとは思わなかった。


「騎士団内でのケンカ沙汰さた厳罰げんばつだぜ。しかも真剣とくれば相当なもんだ。おれの時でも訓練にかこつけたろうが。少しは頭を使えよ。そんなに俺をりたいのか」

「ケンカじゃない! これは決闘けっとうだ!! ――ダクロー・コンストン! ニコル・アーダディスの名において、貴君に決闘をもうし込む!!」

「今時決闘かよ。俺より若いのに古くせえやつだ。――ま、きらいじゃないがな……」


 ダクローは首を大きく回して肩のこりをほぐすと、腰のレイピアのに手をかけた。


「――おい! 周りの有象無象うぞうむぞうども! ちゃんと聞いたよな、今のニコルの|台詞せりふ《セリフ》をよ!」


 そのダクローの叫びに、固唾かたずを飲んで見守っていた騎士見習いたちがようやく呼吸を思いだし、むさぼるように息を吸った。


「今、このバカの方から俺に決闘をいどんでやがったんだ。俺は仕方なしに受けるしかねぇ。だからな、これから起きることは全部このバカに責任があるんだぜ。……だから言ったろうが、熱くなるなって。人の言うことを聞かないのがお前の命取りだ」

「――まだ、僕が死ぬと決まったわけじゃない」

「二十四人を斬りころしたっていうので度胸をつけてるのか? ――人を殺してから、肉を食えてないんだろ?」

「…………!」


 怒りにえているニコルの顔の半分が、目にわかるほどに震えた。


「そんな程度の精神で、悪口を言っただけの俺を殺せるのかよ。今ならけんっ込めるのを許してやる。その後で土下座してもらうがな。さあ、どうする。まあ、俺としてはこのままお前をぶった斬ってもいいんだが、後始末が面倒めんどうでな」

「く…………!」


 激情に任せて剣を抜いたニコルは、柄に手をかけてはいるが抜こうとはしないダクローを前に膠着こうちゃくした。剣を抜かない相手を斬るわけにはいかない。時がてば経つほど感情の高まりは引いていって冷静さがもどり、激高のままに斬りかかるということができなくなる。


 だが、マルダムに対する侮辱ぶじょくを許すこともできなかった。

 友のはじをすすいでやれるのはもう、自分だけなのだ。

 命をして自分を守ってくれたマルダムに今しかできないことをしてやりたい。


 もちろん、駐屯地の真ん中、しかも衆人環視かんしの中で剣での殺し合いをするということがどのような結果につながるのかは、承知している。

 最低でも、騎士団の追放。悪くすれば、それ以上に重いばつが――。


「つ……追放…………」


 ニコルの心の表面にリルルの面影おもかげ一瞬いっしゅん投影とうえいされて、消えていった。

 騎士団を追放などになれば、ここに来た意義が全てき飛ぶ。

 自分はなんのためにここに来たのか。リルルとの結婚けっこんの夢をつなぐためだ。


 今、この剣をげて打ちかかれば、夢のかけらも残るまい。

 他家の騎士団を追放された騎士など、どこの貴族がし抱えてくれようか。

 そもそも今の自分は、騎士ですらないのだから――。


「か……」


 ニコルの指の中で剣の柄が浮き、にぎなおされた。


「かまう、ものか…………」


 揺れていたニコルの瞳が、すわった。

 剣を構える少年が足の裏の全部で地面をみ、大地に根を張る。

 少年を小さく震えさせていた怯えがしずまり、眼差まなざしがただ一点だけを見つめた。


 そんな少年の姿にダクローは苦笑くしょうする。右手で柄を握り締め、刀身の半ばまでを抜いた。


「――やる気になったのか」

「……どうせ、任務先で二回も死にそうになったんだ。死んだつもりになればどんな罰も受け入れられる」

「とことんバカな野郎やろうだ」


 するど鞘走さやばしりの音を立てながらダクローのレイピアが抜かれる。ニコルとダクローの対峙たいじに視線を釘付くぎづけにされていた騎士見習いたちがざわ、と音が立ったのではないかと思えるくらいに激しくざわめいた。


 今、目の前で決闘が行われようとしているのだ。そんなことはこのゴーダム騎士団の歴史の中で何個事例があるだろうか。

 少なくとも、前例を挙げられる者は今、この場にはいなかった。


「――ま、嫌いじゃねぇがな……そういうことは……」


 相手を斬るつもりになった二人がじり、と足裏をすべらせて間合いをめる。

 双方そうほう距離きょりはおよそ二十歩。たがいに相手に向かってければ、相手の体を剣で斬りくのに一秒ほどの時間しかかからない間合いだった。


 互いの戦意が火花を発した時、体は前に動いて勝負が決まる。

 戦いは一撃で決着が着く――なんの根拠こんきょもなかったが、この場の全員にそんな認識にんしきがあった。この勝負が二合三合と打ち合うものになるはずはないと。


「――行くぞ」

「来いよ、ニコル」


 二人の間で生と死の境界線が浮かぶ。相手に向かって踏みした時、どちらかが死ぬ。

 そんな、世界で最も危険な線を二人が踏み出そうとしていた、その時だ。

 ある人物がニコルの肩に手をかけたのは。


 だれもがニコルとダクローに全ての神経を集中して注目していたために、気づけなかった。

 向かいにいてニコルを見ていたはずのダクローも気づけなかった。その人物がニコルの背後から近づいてくるのが見えなければおかしい角度だったのに。


「――え…………?」


 肩に触れられて初めて、ニコルはその人物の接近に気づいた。戦意が雲散霧消うんさんむしょうし、一瞬けたように見えた少年の顔に――その大きな平手が飛んで、少年の体を一撃ではらい飛ばしていた。


「ゴ…………!」


 騎士見習いたちの顔に、今度こそ本当の激震げきしんが走る。

 静かな怒りをたたえてそこに立っている壮年そうねんの男の名前を言えない者は、この場に一人ひとりもいなかったのだ。


「ゴーダム公爵こうしゃく閣下……!」

「うぐっ!」


 風に吹かれた葉のように吹き飛んだニコルが地面に体を打ち付ける。同時におどろきをかくせないダクローの手からレイピアの柄が滑って落ち、いつ現れたのだ、とその目が疑っていた。


「ニコル」


 仰向あおむけにたおれて背中を打ち付けた痛みに戦慄おののいているニコルに、右手の人差し指を向けてゴーダム公は言い放つ。

 それは、なんの躊躇ためらいも感じさせない、ひたすらに冷たく固い声だった。


「動くな。今からその身柄みがら拘束こうそくする――お前を、この騎士団から追放する!!」

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