「初陣・――視認」

 三日目の行軍も歩き、歩き、歩きだった。

 哨戒しょうかい行動はとにかく移動しないと始まらない。停止していることで完結する哨戒行動などないのだ。


 とにかく移動し、様々な場所を移ることでそこに異変がないことを確認かくにんし、異変があったら対処をする。異変を見つけるには移動するしかない。

 行軍とは単調かつ重労働だ。下手へたをしたら戦闘せんとうの方が楽な時もあり得る。


 特に、標的を求めず行軍する哨戒活動では一日通して歩いたけれども敵と接触せっしょくできず、何の戦果も得られずに終わった――とやる気をいでくれる結果になることも往々なのだ。


 そして、ニコルが属するチャダ中隊が求める敵というのは、今まで仲間たちがゴーダム公爵こうしゃく領内を散々に哨戒して回っても姿はおろかかげすらもつかめず、直接の被害ひがいった者しかその目にしたことがないというまぼろし盗賊とうぞく団なのだ。


「このまま歩くだけで終わってしまうのかなぁ」


 三日目の午前の段階になると早くもつかれが緊張感きんちょうかんを削いでしまって、一同の歩調にもたるみが表れてきた。騎士きし見習いだけでなく、今まで何度も哨戒活動に出ながら空振からぶりに終わったという経験を積み重ねている騎士たちの気分も散漫さんまんになってきている。


 約三十人がそれぞれに馬を引き、列を作って細い道を行く行軍のほぼ最後尾さいこうびで、騎乗きじょうするアリーシャの背中を見ながらニコルとマルダムは小声で会話をわす――二人ふたりの後ろには、車輪をガタゴトと鳴らして進む輸送用の幌馬車ほろばしゃしかいなかった。


 一日目には厳しく私語を禁じていた騎士さえも、この任務も徒労に終わるのだろうという見通しが先に立って雑談に興じてしまう始末だ。ただ、中隊の指揮官であるチャダ正騎士だけがひとり口を真一文字に結んで、馬上の高みから周囲を見渡みわたす。


「しかし今もかなりの中隊が哨戒活動に出ているはずなのに、どうしてこうも盗賊団を捕捉ほそくできないんだろうねぇ」


 チャダ中隊はまだこの作戦中では盗賊団の被害を目にしたわけではないが、二日目に立ち寄った街では前々日に盗賊団による被害が遠くの村で発生したことが早くも風のうわさとして伝わっていて、ニコルたちもそれを情報として入手していた。


 その方面には今も別の中隊が哨戒活動として展開しており、チャダ中隊がけつけることはない。下手に独自の判断で動いて警戒けいかいあみの目を乱すわけにはいかない。噂の盗賊団は全員が騎乗していて、その機動力はあなどれないというのだから。


「噂では騎士団の中に敵の間者がもぐんでいて、作戦の内容が筒抜つつぬけになっているという話になっているね……こちらの部隊展開の全貌ぜんぼうを知っていないと、網の目をすりけるように警戒の空白となっている場所をおそうことはできないからと……」


 歩くことにもきてきたが、止めるわけにもいかないニコルが答える。ニコルは『噂』と言ったが、それは自然に騎士団のだれもが考えることだった。

 そうでなければ、この警戒網の厳しさの中でかえされる被害の大きさは説明できない。


「これだけ毎日矢継やつばやに作戦が立案されて命令が下っているのに、その無数の作戦の全部を把握はあくするなんていうことが可能なのかな……。第一、駐屯ちゅうとん地内でそれを知ったとして、盗賊団にどうやって知らせているんだろう。あいつら、一団で領内を移動し続けているんだろう? その移動だって、新しく下る作戦を全部回避かいひしているんだ」

「それは、マルダム……伝書鳩でんしょばとかなんかで……」

「伝書鳩は固定された先にしか飛ばせない。移動し続けている盗賊団に伝書鳩で情報を届けるのはちょっと現実的じゃないね」

「……だろうね」


 思いつきを即座そくざに否定されてニコルは苦笑くしょうした。自分でも特に思いつかないから口走っただけのことだった。


「盗賊団に襲撃しゅうげきされた町や村の位置を時系列的に並べてみても、かなり柔軟じゅうなんに動いているのがわかるらしいよ。その日の朝に出発した部隊の進路を翌日の朝には把握していると考えないと、説明がつかない進路を取っているっていう話だ。このチャダ中隊の予定進路も把握されていると見るべきなんだろうね」

「じゃあ、ぼくたちのこの哨戒も空振りに終わる……」

「まあ、逆に考えようよ、ニコル。少なくとも僕たちがいる近隣きんりんの町や村は襲われないんだ。まったく無駄むだじゃない。そう前向きに考えないとつぶれちゃうよ」

「そうだね、マルダム……」


 かぶとの下で笑うマルダムの笑顔えがおを横目で見ながらニコルはその楽天的な考えに感心した。確かに悲観していても始まらないのかも知れない。


「それより今日きょうの昼ご飯について考えようよ。今日はザアーの町で昼休憩きゅうけいが取れるんだ。食堂かどこかでまともな食事ができるかもね」

「マルダムはご飯のことばかりだなぁ」

「食べることは数少ない楽しみのひとつだからね。かた乾燥かんそうパンは飽きちゃったよ。口の中の水分が全部持って行かれてのどがカラカラになる。そんなものでなくちゃんと美味おいしいものを食べれば気分も上向くってもんだ」

「ザアーの町というと、あの黒いけむりが立ちのぼってる方向にあるのかな?」


 ニコルが前方を指差す。った青さを背景にして、空のてっぺんにまで届こうかという細く細く、長い長い煙突えんとつが空にびるように真っ黒い煙が二本、立ちのぼっていた。


「そうそう、道はまっすぐあの黒い煙の方に向いているから、きっとそっち……」


 ニコルの問いにマルダムが呑気のんきこたえ――応えてから、その黒い煙が立ちのぼっている意味についてしばらく考えた。

 空白の心で煙の黒さを目でとらえ、止まっている思考で考える。


 答えは、前方に位置する騎士から発せられた。


「火事だ! ザアーの町が燃えているぞ――――!!」


 その鮮烈せんれつさけびが、一瞬いっしゅんにして中隊のすべてに緊張きんちょうめさせた。


「全員騎乗ぉ――――!!」


 チャダ正騎士の叫びに全員がほとんど反射的に反応した。馬を疲れさせないために背にまたがっていなかった荷馬にうまにも騎士見習いたちが飛び乗り、あぶみに足を乗せて手綱たづなにぎる。


 ニコルもマルダムも例外ではない。全員が馬上の人となり、目に闘志とうしみなぎらせていた。


「前身! 全速でザアーの町に向かう! 町が襲われている最中かも知れん! 襲撃者しゅうげきしゃを捕捉し、らえるぞ!」


 そうチャダ正騎士が叫んだ時には、中隊は砂塵さじんを巻き上げて走り出していた。

 ここからザアーの町の全景は空気の層によってぼやけ、うっすらとしか見えない。距離きょりにして十カロメルトといったところだろうか。


じゅん騎士以上は先行する! 一撃いちげきを食らわして襲撃者を足止めするぞ! アリーシャ、お前は騎士見習いたちを指揮して後から来い! どうせ荷馬は速度がおそい!」

了解りょうかいです! 騎士見習いたちの指揮をり、追走します!」

「行くぞ!!」

「おう!!」


 チャダ正騎士を先頭にした五猛然もうぜんと速度を上げて走り出す。荷物をくくりつけている分速度が落ちざるを得ない騎士見習いたちの荷馬がその後を追い、五騎が巻き上げたうす砂煙すなけむりの中に突入とつにゅうするように走った。


「道の周辺に敵の姿はない! まっすぐ町に向かって進め! ニコルとマルダムは幌馬車の護衛だ! 決して前に出るなよ! マルダム、ニコルの面倒めんどうを見ろ!」

「は――はい!」


 特に速度が出ない幌馬車の護衛につくということは、必然的に部隊の最後尾に着くことを意味する。経験が全くない新兵のニコルを死なせないという配慮はいりょをして、アリーシャは第二軍となった騎士見習い部隊の先頭に立った。


「ニコル、心配らないよ。君は見学するつもりでいればいい」

「は、はい――!」


 並走するマルダムの言葉に応え、前からけてくる疾風しっぷうはだに感じながらニコルはくちびるはしんで前をにらんだ。


 自分は実際にやいばを交えないであろう戦闘。しかし、実戦に参加するというのには変わりない。全速で走り馬体を激しく震動しんどうさせるレプラスィスが下から体をげてくる感触かんしょくえながら、ニコルは自分の血が激しくたぎるのを感じていた。


「これが――これが、戦闘、実戦か……!」

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