「公爵家の団欒と、ニコル」

 公爵こうしゃく家の一家団欒だんらんの場。そんな私的な場を自分の気配で乱していいものかというニコルの危惧きぐ遠慮えんりょがあり、それが少年の足をすくませるようにしていた。


「ニコル、なにか用があってここに足を運んだのですか? いえ、別にお前ならいつここにてもかまわないのですが」


 音を立てずにエメス夫人がカップの中の紅茶を口にふくむ。公爵夫人に相応ふさわしい高貴な気品がその所作しょさに表れていた。


「は、はい。お嬢様じょうさまの毎晩の日課の、夜のお散歩の途中とちゅうでお会いしまして。お嬢様が供を着けずにお歩きになられていたのでこれは危険と思い、不躾ぶしつけながら自分がここまでお送りいたしました」

「毎晩の日課? 夜の散歩が? サフィーナ」


 片まゆの角度をわずかに上げてエメス夫人が首をかしげる。


「あなたにそんな日課があるなんて、この母は聞いていません。お友達ともだち部屋へやに集めてさわぐのが毎晩やっていることでしょう?」

「今晩から日課にしたのです」


 サフィーナは水の一滴ひとしずくも悪びれずにそう言い、となりでニコルの顔がくずれた。


屋敷やしきの領域内とはいえ、夜に年頃としごろむすめがひとりで外を出歩くなど感心しません。たまたまニコルと出逢であえたからよかったものの。今後はつつしむのです」

「では、ニコルと一緒いっしょならいいのですか?」

「その時はわたしも連れて行きなさい」


 エメス夫人は真面目まじめな顔でそう言い切った。


「で……では、ぼくはこれで失礼いたします。お二人ふたりとも、おやすみなさい」


 この場に自分を引き留めようとする強力な引力の気配を覚え、ニコルは頭を下げたと同時に入ってきたとびらの方に歩を向ける。最低限失礼にならない程度の小走りで扉にったそんなニコルを、不運が待ち受けていた。


 ニコルが扉の取っ手にれるよりも先に扉が開き、ノックもなく手前に開いてきた扉がニコルの手をかわし、代わりにし寄せてきたかべのように大柄おおがらな気配がニコルに軽くぶつかってきた。


「ぷは」


 ゴーダム公爵家の居間の扉をノックなしで開けられる人間などは、極々ごくごく限られている。その限られたうちの一人ひとりが、ニコルの目の前に立っていた。


「うん? なんだ、ニコルか」


 歩を止められずにつんのめってきたニコルの顔を厚い胸板むないたで受け止めたゴーダム公が、わずかに不思議そうな顔をして少年を見下ろしている。自分がだれにぶつかったのかを理解して、ニコルの頭の先からものすごい勢いで血が降りていった。


「こっ……公爵閣下……! し、失礼いたしました! おやすみなさいませ!」


 非礼をびてわきをすりけよう――そう考えたニコルにできたのは頭を下げることだけで、ゴーダム公をけようと体を傾けた途端とたん、たくましいうでびてきてニコルの両肩りょうかたをがっしとつかんだ。


「まあそうあわてるな。少しくらいゆっくりとしていけ」


 かたをつかむ手がニコルの体を反転させ、そのまま居間のおくに歩かせて少年を絶望させた。


「あら、あなたにしては気がくではありませんか」

「あなたにしては、というのはどういう意味だ」

「そのままです。さあニコル、ここにおすわりなさい」

「は、は、は、はひ」


 軽く肩を押された惰性だせいでニコルはふらつく足でソファーに体を流され、立ち上がって待ち構えていたエメス夫人の手に肩をかれて、そのまま隣に座らされた。

 トドメのようにサフィーナが反対側の隣に座る。


 ニコルは自分がおりの中に入れられ、出入り口のじょうがかけられる音を錯覚さっかくとして聞いた。

 そんな少年とテーブルをはさんだ向かいにゴーダム公がこしを下ろす。包囲網ほういもうの完成だった。


「我が妻と娘で両手に花か。うらやましいものだ」

「かっ……閣下、僕は!」

「別にこの部屋にしのんだわけでもあるまい。どうせサフィーナが強引ごういんに引っ張ってきたのだろう。まったく仕方のない娘だ。サフィーナ、少しは慎んでくれよ」

「あら。ニコルが来てくれてうれしいのはお父様とうさまも同じではないですか。もっと娘の手柄てがらめてもバチは当たらないでしょうに」

「来てしい時は自分で呼ぶ。ちょうど今、気晴らしがしたかったところではあるが」


 扉がノックされ、ふたりのメイドたちが車輪付きの荷台にせてお茶とお菓子かしを運んでくる。かしずきながら配膳はいぜんをするメイドたちの手で、一人でお茶を


「なんだ、私の分もあるのか」

「お父様もニコルのにおいにつられて来られるかと思っていましたので」

「私は犬か?」


 言いつつゴーダム公の手がカップに伸び、熱い紅茶に口をつける。


「さあ、ニコルも遠慮せずにがって」

「は、はい、恐縮きょうしゅくです……いただきます」


 サフィーナにすすめられてニコルはカップを手にし、音を極力立てまいと念じながら一口をすすった。口にながれ込んできた紅茶は上質なものであるはずだったが、緊張きんちょうのためか全く味を感じなかった。


「ニコル、そろそろ騎士きし団の暮らしにも馴染なじみましたか」

「は、はい、おく……お母様かあさま戸惑とまどうこともまだ多々ありますが、やさしい先輩せんぱいにもめぐまれ、頑張がんばれています」

「そう、それはよかった。お前もこの騎士団に来ていきなりとんでもない目にわされたので、私も気をんでいたのですよ。私は一刻も早くなんとかしなければと手をし伸べたかったのですが、夫が邪魔じゃまをし……」

「おいおい、私を悪者あつかいするな」

「いえ、あれくらいの個人間のもめ事をなんとかできなければ、到底とうてい騎士になれる素質など自分にあるはずがありません。自分がそうできることを閣下がお信じになられて見守ってくださっていたこと、深く理解しています。学びの場をあたえてくださってありがたく思っております」

「どうだ、エメス。ニコルはちゃんとわかっている。それがお前ときたらすぐに腰がうわついていちいちハラハラとして、周りで見ているこちらが気を揉むというものだ」

「人を落ち着かない女呼ばわりして。なんてひどい夫なのでしょう」

「ニコル、き菓子をお食べなさいな。はい、あーんして」


 そればかりは、とニコルは身が縮みそうな困惑こんわくの中、目でうったえた。

 この場の全員が自分に好意を持ってくれていることくらいは理解できたが、慣れないものは慣れないものだ。


 伯爵はくしゃく令嬢れいじょうという肩書かたがきを持ちながら本質的には平民と変わらないリルルとは、全く別の次元にいる人々なのだから。


「まあなんだ、ちょうどよかった。ニコル、お前に伝えたいことがあったのだ」

「は、はい、閣下。どのようなご用件でしょうか」

「うむ。それがな」


 紅茶を飲み干したカップをゴーダム公が皿の上に置く。チン、とすずやかな音がひびいた。


「入ってきたお前には少し早いかも知れんが、外での実地任務についてもらおうかと思っている。少し異例なことではあるから、出るか出ないかお前に判断の余地を与えよう。自信がないのなら拒否きょひをしてもかまわない。ただ、今はひとりでも外の任務にける人員が欲しいところなのだ。返答はすぐにでなくともいい。頭の中に入れておいてくれないか」

「僕が、外での任務…………」


 ニコルはその言葉が持つ意味に、ソファーの上で武者震むしゃぶるいをした。

 騎士団における外での任務は、討伐とうばつ作戦だろうが哨戒しょうかい作戦であろうが、『実戦』という意義を含むということがわかっていたからだ。


「バイトンはその任務の特殊性とくしゅせいから、外に出ることはない。だからお前は臨時としてアリーシャ付きの従兵として任務についてもらうことになる。マルダムと一緒にな。そうしないと外の任務に就く機会もない。懇意こんいにしてもらっているアリーシャの元なら動きやすいだろう。アリーシャも女性騎士という立場の特殊性から、付いている騎士見習いがいないという立場だからちょうど良いのだ。外任務に就くことは、じゅん騎士に昇格しょうかくするための実績として評価されるしな……。――どうだ、ニコル」


 訓練も決して安全なものではないが、実際に白刃はくじんるわれ矢がう実際の戦いにすれば命の保障はされているに等しい。敵意を持った者と相対すれば、どちらかがその敵意を喪失そうしつするまで戦いは終わらないのだから。


 その認識にんしきを共有しているエメス夫人とサフィーナも同じように息を飲み、肩を触れわせられる距離きょりで固まっているニコルの横顔を見つめている。


「僕は……」


 いつか来ると思っていた実戦――いや、必ず実戦に雪崩なだれ込むとは限らないが、その可能性を大きく開くことになる展開についての選択せんたくに、ニコルはその場でそれ以上の言葉をつむげないでいた。

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