「双眼鏡の視野の中」

 それは、夜のほのおを認めて群がろうとする夏の羽虫に似ていたのかも知れない。

 だが、三百歩以上ははなれた前方で赤々と燃える篝火かがりびの炎を目指して夜半の森、密集する木々の間をすりけてその気配たち――数は十二、十三、十四か――は、火に飛び込むことはなかった。


「停止しなさい」


 百メルト先なら篝火の近く、炎の明るさの中にかびがっている鋼鉄のかんの近くでしゃがんでいる小者の声は聞こえてこない。聞こえてこない声だからこそ、こちらの声も聞こえないのだという判断で一行の先頭のかげが静かに合図を送った。


「近くにハシゴがあるはず」

「――ありました!」

「声が大きい」

「すっ、すみません」


 後ろでねた声――どう聞いても少女のそれ――を先頭の気配のぬしがたしなめる。


「話だとハシゴは五本。一本につき三人が上りなさい。落ちたら二度と参加させません」

「は、はいっ」


 先頭の声もまた少女だ。後ろにひかえる気配の声と同年代に聞こえるが、従える気配たちを統括とうかつし、まとめるだけの力がその声音こわねにはあった。


わたしが最前列の最上段に上ります」


 言葉の通り、篝火に最も大木の幹に立てかけられ、たおれないよう入念に固定されているハシゴに先頭に位置する少女は取り付いた。従わされている少女からすればそれは最も美味おいしい位置であるわけだが、異論はない。


 自分たちはその少女のおかげで、この美味しい話に一枚ませてもらっているのだから。


 ハシゴの段に両足を乗せ、右腕みぎうでで太い木の枝をつかんで体を固定し、首からぶら下げている軽くない双眼鏡そうがんきょうを目に当て、せまい視野をさぐる。

 炎の赤さをたよりに目標の手がかりをつかむと、それを容易に見つけることができた。


「あ…………!」


 黒く塗装とそうされた鋼鉄の缶の中に入った少年の姿がかたまで見え、こちらに背を向けているのが双眼鏡の視野の中でとらえられる。篝火がはじけさせる火の色に白いはだが染まり、中性的な印象をうかがわせる少年に奇妙きみょうな力の色気をただよわせ、それをのぞく少女の口元をゆるませた。



   ◇   ◇   ◇



「あれ?」


 鋼鉄の缶の中の湯船の中で、皮膚ひふんでくる熱い湯の感触かんしょく歓喜かんきのうめきを上げていたニコルは頭の横から後ろに抜けていった違和感いわかんの矢を覚えてあごを跳ねさせた。


「どうしやした、旦那だんなぁ?」

「……いや、ちょっとなんか、だれかに見られているような気がして」

「気のせいでやしょ。ここは駐屯ちゅうとん地でも外れ。こんな夜更よふけにこんな場所をうろつく物好きはいませんわ」

「そうだね。そのはずだね。そのはずなんだけど……」

「この男ばかりの駐屯地に、旦那のはだかをのぞきにたい物好きもいませんでしょうや」

「まあ、そっか」

「さあ旦那、これで体をみがいてくださいな。あとで入るあっしのことはかまいません。存分にあせあかを落としてくんなせぇ」

「ありがとう、本当に助かるよダリャン」

「いいえ、こっちも本当に助かっておりますので」

「え? どういう意味?」

「旦那の残り湯にあっしも入れるということで」


 ニコルはダリャンがふところに手をれている格好を見たが、その意味まではわからなかった。


「小者のあっしがこんな所でひとり用の露天風呂ろてんぶろなんていうのは贅沢ぜいたくが過ぎて遠慮えんりょがあるってもんですわ。それも旦那のついでと言えば言い訳が立つもんで」

「なら、どんどんここで|露天風呂に入らせてもらうかな。ふたりで幸せになれそうだ」

「それにおまけもありますし」

「おまけ?」

「いえいえ、こっちのことで」


 小者のダリャンが示したみょうな反応に、首をひねりながらニコルはかた海綿体スポンジを受け取って湯船の中で立ち上がる。

 その瞬間しゅんかん、背中からいてきた夜風がかすかに耳をくすぐる音――声を乗せている感覚に、ニコルは耳と目を跳ねさせた。


「どうしやした、旦那?」

「今、誰かの声が聞こえたような気がして」

「ここら辺は動物も住み着いておりやすからね。噛みついてくる動物はおりませんが、ねこやらきつねやら栗鼠リスやらがあちこちをうろちょろしておりますわ」

にぎやかな森だなぁ」

「そんな森ですから、旦那が真ん中で風呂に入ってるのを物珍ものめずらしく見物するのもいるでしょうや」

ぼくの裸なんかのぞいたって仕方ないよね」

「そうでやしょそうでやしょ。さ、がーっと体を磨いてくださいな。がーっと」

「うん」

「でもなるべく後ろは向かない方がいいでやすよ。特にこの缶から出る時は、上がってきた段の方を向くようにしてくだせぇな」

「段の方にしか体は向けられないよ。変なダリャンだなぁ」

「まあ、作法とか、そういうのがありましてね……旦那もそれ・・は見られたくないでしょうし……」

それ・・?」


 ニコルはますます首を捻らされたが、それ以上は気にせず体を磨くことにした。



   ◇   ◇   ◇



 双眼鏡の狭い視野の中で、おなかから上を大きな缶のえんから見せたニコルが上機嫌じょうきげんで体をっている像が浮かび上がる。期待していた姿が手に取るように見えたことに、片手で双眼鏡を強く目にてているサフィーナ・・・・・の口から小さく黄色い声が跳ねた。


「サ、サフィーナお嬢様じょうさま、声が大きいです」


 先ほどたしなめられた同年代の少女がサフィーナの下の段で同じように双眼鏡に目を当てている。さらにその下の段にも、別の大木に立てかけられた四本よつもとのハシゴに取り付いた少女たちもみな、同じような格好で同じ対象に双眼鏡を向けていた。


「あら、私としたことが」


 サフィーナは咳払せきばらいをし、ついでに口のこぼれたよだれを手でいた。


「でもこれって、近くでかまいている小者のダリャンにバレたりしません?」

「誰がこのハシゴを立てかけたと思っているんですか? あの派手なくらいに明るい篝火だってこのためのもの。ダリャンにはしっかり小銭こぜにをつかませてありますから大丈夫だいじょうぶ

「さすがサフィーナお嬢様!」

「私たち一生ついていきます!」


 良家のむすめから貧しい家の娘まで、少なくともこの場ではサフィーナ以下の少女たちはみな身分も何もかも平等な一団がきゃっとつ。そんな取り巻きたちをサフィーナは口元に指を立てて制した。


「静かに。そんなことより集中しなさい。ニコルがいつまでも湯船の中で立ってくれているわけではありません」


 誰よりも最も集中するサフィーナがいう。赤い炎の光を照り返してかがやいているニコルの上半身を視野の中にえて、一瞬いっしゅんまばたたきもしくその目をらし続けた。


 着痩きやせするといっていいのか、服を着ている時は目立たない、細い体の割にはがっしりとした肩幅かたはばが印象に残る。大きくはないが丈夫じょうぶでしなやかな筋肉を内包したうで、筋肉質というほどには割れていないが貧相ひんそうという言葉からは遠い胸回り。


 少年の体をほんの薄皮うすかわ一枚で包む脂肪しぼうがどこかなまめかしさを感じさせ、はっきりと浮き鎖骨さこつラインと細くも太くもない絶妙ぜつみょうな首回り、そして人目を引く少年の愛らしさと凜々りりしさの両方を伺わせる顔立ちにいやでも視線が集中する。


 そんな少年が湯にれた肌を磨いている姿、時に体をひねって見せる背中の肩甲骨けんこうこつから背骨までの美しい線を見せられるたびに、静かなざわめきのように少女たちの声がいた。


「でもサフィーナ様、どうしてわざわざあたしたちをさそったんですか?」

「その気になれば、お嬢様ひとりで独占どくせんできますわね」

「美しいものは共有し、みなででたい。そう考えることが不自然かしら?」

「まったく不自然ではありません!」

「声が大きい」


 声がそろいかけたのをサフィーナは制し、こほん、と調子を直した。


「いいですね。今夜のことは仲間内で言いふらしたりしないように。そんなことがうわさにでも聞こえたら二度とこんな場はもうけません。ニコルに自分がのぞかれているなんて知られてかれはじかせるのも厳禁。文章で日記に記したり、ましてや記憶きおくを頼りに絵にこうなど言語道断の行いです。この美しい姿は記憶以外に残してはなりません。いいですね」

「はーい!」

「声が大きい!」

「はーい」

「よろしい」

「わ、今、おしりが見えた! 可愛かわいいおしり!」

「声が大きいと言ってます! 静かに!」


 サフィーナは念を押し終わると、その『美しいものを愛でる』作業に自らも没頭ぼっとうした。

 街での遊び仲間に声をかけてこんな夜中の場を設定したのは単に、自分ひとりだけでのぞきをするという罪悪感を人数割りすることでうすくするためだった。

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