「夢と幻」

 その夢は見るたびにいつも、消毒液のにおいがまぼろしのものとして感じられた。


『――じゅん騎士きし昇格しょうかく試験に落ちただと!?』


 医務室の寝台しんだいかせられ、動けない自分に父親の罵声ばせいが浴びせられる。


『何をしているのだ、お前は! お前の三人の兄は、他家で立派な騎士となったというのに! ワシの息子むすこの中でもお前は最も有望だと思っていたのに! なんだこのていたらくは! ワシがお前をこのゴーダム騎士団に入れるまで、どんな苦労をして伝手ツテきずいてきたのか知らんわけではあるまい! ――お前の准騎士昇格を祝えるよう準備もしてきたというのに、ワシにあかぱじかせおって!』


 ――親父おやじ、そんなことより、おれ右腕みぎうでを心配してくれ。

 俺の右腕は千切れかけて、切断まで覚悟かくごさせられたんだ。

 今だって奇跡的きせきてきに切り落とすのをけられて、元にもどるのに数ヶ月はかかるんだ――。


『お前がこんな不甲斐ふがいない息子だとは思わなかった! もう帰って来なくていい! ワシがおこしたこの騎士の家で! 息子を全員騎士にさせるワシの夢をくだきおってからに! このおろものが! 勝手に生きていけ!』


 そんな、親父、待ってくれ。そんな簡単に、俺を見捨てないでくれ。

 親父の夢をかなえるために、そのためだけにこの二年間、がんばってきたのに――。


『あなた、コンストン家の四男ぼうですよね?』


 腕を砕かれて・・・・・・から三ヶ月が過ぎ、ようやく右手の指が動かせるようになったころ、そいつはやってきた。


『初めまして。わたし、カルレッツ・マートンと申す者です。本日、あなたと同じバイトン正騎士の元に配属された騎士見習いですよ』


 マートン……マートン商会の縁者えんじゃ。このゴーダム公爵こうしゃく領の流通を牛耳ぎゅうじるマートン商会の名前を知らない者はまず、このゴッデムガルドにはいない。金持ちのボンボンか……。


大怪我おおけがをされたとかで。でも、もうすぐ治るんでしょう? 治癒ちゆ魔術まじゅつの効果はすごいですからね。あなたのうわさは色々聞いています。コンストン家の神童しんどうで、ゴーダム騎士団に来るまでにも色々な逸話いつわを作った――』


 その話はされたくない。帰ってくれ。

 神童なんて呼ばれていたのも、カビが生えるくらい昔のことだ。

 俺はもう、何も考えずに寝ていたいんだ……。


『いいじゃないですか。親の夢をたくされるなんて子供には迷惑めいわくな話です。勝手に夢を託して、それがかなわねば勝手に裏切られた気持ちになる。たまったものではないでしょう。そんないやなことを忘れるには、これがいちばんですよ』


 ――酒か。お前もまだ、十四さい、成人には二年もかかるだろうに……。


かたいこと言いっこなしですよ。私はね、騎士見習いというはくをつけるためにこの騎士団に入ったんです。准騎士を目指そうなんてこれっぽっちも思っていません。だらけていても上からは何も言われない、そういうカラクリになっています。――だから、ね』


 ――だから、なんだ。


『私と一緒いっしょにつるみましょうよ。私にはいくらでも金が入ってきます。ただ、何をするにも仲間はいた方がいいし、あなたの腕っぷしたよ甲斐がいがありそうだ。用心棒代は出しますよ。世間のお給金以上にね。私みたいなのを毛嫌けぎらいするやからも多いでしょうから、あなたのその腕でまもってください』


 ……お前みたいなのを毛嫌いする輩、か。

 俺もお前みたいなのが嫌いだよ。

 ――でも、いちばん俺が嫌いなのは、お前みたいなやつの言葉にかれそうになっている俺自身だ。


 親父がめてくれないのなら、がんばる必要なんかない。

 すべてから楽になって、このままくさっていくのか。

 それもいい。このまま泥沼どろぬましずむように。楽になろう。


 どうせ、俺などは、それくらいの価値しかないのだから――。



   ◇   ◇   ◇



「――――――――っ」


 自室の寝台の上、窓の外がようやく白みだした薄闇うすやみの中でダクローは目を覚まし、布団ふとんげるように起き上がった。

 心臓がわずかに拍動はくどうを増し、額にはうすあぶらあせを掻いている。


 口の中がかわききっていて、そのねばっこさがさらに不快感を掻きててくれた。


「……また、いつもの夢か……」


 かたわらの台に置いてある水差しの水を飲もうとしたが、からだった。


「――ちっ」


 起き出したダクローは寝室しんしつから出、居間のすみえてある水瓶みずがめから柄杓ひしゃくで水をすくい、直接口をつけてそれを飲み干す。

 かえると、カルレッツがねむる寝室のとびらがほんのわずかに開いていた。


「――――――――」


 中をのぞきむと、寝台の上で布団にくるまり大いびきを掻いてカルレッツが眠っている。その寝台の下には、いくつかの空になった酒瓶さかびんが転がっていた。


「こいつは…………」


 いつもは女をはべらせる酒場に出入りしているカルレッツだが、父親からの仕送りが減るために家で飲むことにえているのだろうか。

 顔をしかめてダクローは扉を閉め、玄関げんかん先に立てかけている木刀を手に取った。


「――ふぅっ!」


 早朝をむかえつつある冷たい空気を吸って肺を冷やし、息をく。

 集合住宅の階段を駆け降り、まだ人気ひとけが絶えている街の中をダクローは木刀をたずさえて走り始めた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 ゴッデムガルドで舗装ほそうされている道は多くない。そんな街をダクローは郊外こうがいに向かって長い距離きょりを走り、やがて建物のない森の中、細い小川に沿っての獣道けものみちけに駆けた。

 約三十分の時間をかけ、全速力よりひとつ下の勢いでおよそ十カロメルトを走る。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 走る、走る、走る、走り、走って、走る――。

 ――走る、か。


 ――自分は、いったい何のために走っているのだろうか?

 四年前、腕を切断されかける重傷を負ってから、准騎士になろうという意欲はせた。

 准騎士になるための試験の場に並び、あの醜態・・・・の場を再現するのが嫌だった。


 そしてもう自分は二十歳だ。准騎士になる実力のない騎士見習いなら、見切りをつけて別の人生を選択せんたくしようとしていてもおかしくない歳だ。

 そんなにおくれている自分が今更いまさら騎士見習いから准騎士に上がり、そこからどうしようというのか。


 だが、このまま何もせずに本当に腐りきってしまうのも、こわい。

 自分にはまだ望みがあるのだという、最後のか細い希望をつかむために、目的のわからない疾走しっそうを続けているのだろうか。


 ――あの時、あの日。

 あんな事件・・が起きなければ――。


「くそっ!!」


 森の中、自分の稽古場けいこばと定めている場所で足を止め、ダクローは体中の服にみ込んだ汗が熱を発しているのが冷える間もなく、手にした木刀を振りまわした。

 大木の枝からげている、人の胴体どうたいした板を目がけ、き、突き、って突く。


「くそ、くそ、くそ、くそ――――!」


 胸の内にい回るかゆみのような感覚。掻こうにも指など届かない。心の中が不快なざわめきにくすぐられ、それがどうしようもない苛立いらだちを掻き立てる――。


「これも……あいつがてからだ! 全てあいつのせいだ!」


 木刀で打ちまくる人型の板に幻影げんえいかび上がる。

 明るい金色を帯びた、やわらかいかみを見せる少年。やさしい水色の眼差まなざし。

 六年前に自分が浮かべていたであろう、希望を持つ者が見せる決意に満ちた口元。


「――ニコル……!」


 その幻のニコルに向かって、ダクローはけんを打ち続けた。

 自分の言っていることが筋が通らず、支離滅裂しりめつれつなのもわかっている。

 それでもそうしなければ、自分の心の内側を浸食しんしょくむしばんでくるこのうずきがはらえないのだ。


「あんな奴が来るから俺の心が掻きみだされる! あいつが、あいつが、あいつが――!」


 自分があの日失ったものの全てをかかえ、公爵家にも家族ぐるみで愛されている少年。

 何故なぜ自分はそれを失ってしまったのか。何故り戻すことができないのか。

 その理由が全てわかっているから、青年はいきどおるのだ。


 それは、全て自分に帰来きらいするものであるから――。


「くそぉ――――!」


 ほかだれもいない森の一角で、青年の雄叫おたけびが板を打ち付ける音をともなってひびつづける。

 それがゴッデムガルドの片隅かたすみで毎朝行われている、日常の一部だった。

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