「マートン商会の正体」

「なるほど、現在はそういう状況じょうきょうになっているのですか」


 栄養をらないことには脳も回らないだろうと状況の説明をまずはおいて、ニコルはフィルフィナの手を借りて食事をした。麦粥むぎがゆもやわらかくた魚ものどを通ってくれて、ほぼ二十四時間ぶりの食事に体が生き返って行くのを感じた。


 いきなりの栄養を受けて体がおどろかないよう、フィルフィナはさじに小さくすくった粥を何度も息を当てて冷まし、少しずつ少しずつニコルの口に運び、普通ふつうは十五分もあればすむ食事に一時間ほどをかけて、皿の上の物を空にした。


「今回はなんとかかわせたけれど、次も上手うまくいくとは限らないよ。このままだとめられてこちらが音を上げる方が早いと思う」

早急さっきゅうに手を打たねばならないというのには、同意しますね……」

「フィル、この状況を打開する何かいい方法はないかい?」

「三つほど、頭に選択肢せんたくしかびました」

「そんなに!?」


 しずんでいたニコルがあごげる。かげっていたはずの顔にかがやきがもどっていた。


「さすがフィルだ! 教えてよ!」

「では、わたしの考えを開陳かいちんさせていただきます」


 こほんと咳払せきばらいをして、フィルフィナはその選択肢を並べた。


「一、殺す。二、殺す。三、殺す」

「殺すしかないじゃないか!」

「殺すしかないと思いまして……」

「殺しちゃダメだよ! ああ、一瞬いっしゅんでもフィルに期待したぼく馬鹿ばかだった……」

「そんなにまないでください。ですが何事も暴力が手っ取り早いですよ? ニコル様が手を下すのがマズいとおっしゃるのなら、わたしが他人のふりをして代わりに」

「暴力以外で解決させないと意味がないよ……。騎士きし団の中で暴力沙汰ざたは禁止されているんだ。僕は訓練にかこつけてやられたけれど。それに僕がカルレッツにあたえた正当防衛で、かれは僕にますますのうらみをつのらせているに決まっている。また仕掛しかけてくるよ。それをさせないために、話し合いで解決をしないと……」

「ですが、おそらく無理だと思いますね。特にそのカルレッツという男性に対しては」

「…………やっばり、そう思うのかい……?」


 薄々わかっていたことではあるが、他人の口からそれを聞かされると、ニコルの心は沈んだ。


「彼は商人の子です。騎士の子ではありません。家がどうこうということではなく、商人としてのたましいしか持っていない。そんな彼に、ニコル様が騎士の魂をもってして説得しても、無理があるということです」

「商人の魂と、騎士の魂……」

「ニコル様のお話は、ニコル様の話をわかる人にしか伝わらないということですよ。説得は、無駄むだでしょう……」

「…………」


 ひとみくもらせ、ニコルはうつむいた。


「……僕は暴力で相手をだまらせたいとか、仕返しをしたいとかは思っていないんだ。なるべくなら人を傷つけたくはない。相手がいやがらせをやめてくれればそれでいいんだ。僕にはあの二人ふたりにかまってる余裕よゆうなんてないんだよ」

「困りましたね……」


 カルレッツとダクロー、その二人を復讐心ふくしゅうしんが芽生えてこないようになるまでどつき回そう、という手段を却下きゃっかさせて、フィルフィナもかんがえ込む。


「せめてそのカルレッツの親が首魁しゅかいの、マートン商会の圧力さえなんとかできればかなり楽になるとは思うのですが」

「カルレッツが威張いばれるのは、マートン商会がこのゴーダム騎士団領の流通市場を一手に引き受けていて、ゴーダム公爵こうしゃく家にも強気で出られるからなんだ。そのマートン商会の圧力を退しりぞけられれば、カルレッツも無茶はできなくなるはず……」

「……そろそろ食堂が閉まる時間らしいです。食器を返してますね」


 フィルフィナは椅子いすから立ち上がり、空になった食器がぼんを手に取った。


「ああ、ありがとう。魚料理は新鮮しんせん美味おいしかったよ。食堂の人にそう伝えてほしいな」

たらだったようですね。昨日きのうの油でげた魚も同じく鱈とのことでした。結構な内陸の街なのに、新鮮な海の魚を大量に出せるなんてすごいものですね、マートン商会は」

「鱈……海の魚…………」


 スカートのすそらしてフィルフィナが医務室を出ようと出口に向かう。その引き戸がカラカラと音を立てて開けられるのを耳にして、ニコルは頭の中で引っかかっていたものを言葉にできていた。


「――フィル、ちょっと待って」

「はい?」

「おかしくない?」

「何がですか?」


 ニコルの口走りにフィルフィナがきびすを返して戻ってくる。


「僕が今食べた魚だよ」

「おかしかったですか? 美味しくて、変な味もしなかったのでしょう?」

「どうしてマートン商会が魚をあつかえているんだろう?」


 フィルフィナの首がかしげられた。


「王都とゴッデムガルドは近くはないけれど、絶望的に遠いということもない。隣接りんせつし合っている領地同士だ。――なら、この魚はフォーチュネット水産会社が扱っていてしかるべきなんじゃない? フォーチュネット水産会社は水産物の水揚みずあげから加工、流通まで一気に引き受けているんだろう? ゴーダム公爵領には西にアーデスの港町があるんだ。十分、旦那だんな様の会社の商圏しょうけん内のはずだよ」

「そういえば、アーデスの街に加工工場があるとかなんとか聞いたことがありますね」

「なら、ますます旦那様の手の内なんだよ、このゴーダム公爵領は。それにこの魚の新鮮さは、『時停ときとめの魔法まほう』をほどこした箱で輸送しているからじゃないかな?」

「……食堂の裏手にその箱がたくさん置かれていましたね。食器を返すついでに、確認かくにんしてきます」

「何を確認するの?」

「その箱に紋章もんしょうがあるはずなんですよ。フォーチュネット水産会社の紋章が」



   ◇   ◇   ◇



「やはり、箱はフォーチュネット水産会社のものでした」


 ものの五分で帰ってきたフィルフィナがそう報告した。


「ニコル様がし上がった魚は、旦那様の会社で水揚げされ、加工され、出荷しゅっかされたものに間違まちがいはないようですね」

「それなら、このゴッデムガルドに魚を納めているのはマートン商会ではなく、旦那様の会社になるはずなんだ。でもそうではない。フィル、この矛盾むじゅんをどう考える?」

「フィルは、このカラクリがだいたいわかりました。ニコル様、考えてみてください」


 フィルフィナが微笑ほほえんでいた。


「すぐに教えて差し上げてもいいのですが、それではニコル様の成長になりませんから」

「厳しいなぁ。ええと、つまり……旦那様の会社とマートン商会は、商売上のつながりがあるはずだ。旦那様がただ、マートン商会に品物をおろしているだけなのかな? というか、マートン商会ってどういう会社なんだろう……企業きぎょう年鑑ねんかんを調べればわかるはず……」

「どうぞ」

「うわあ」


 寝台しんだいの上にすわるニコルのひざに、分厚く広い本が一冊置かれた。


今年ことし発行された最新版です。エルカリナ王国企業年鑑」

「びっくりした! どこからこんなもの取り出したの!」

「女には色々と秘密があるものです」

「フィルに秘密があるんだけなんじゃないか……そもそもこんなものをどうして持ち歩いているのさ?」

「毎朝、新聞の株式市場らんを確認するのがフィルの日課でして」


 いつの間にかフィルフィナの目に、太い黒縁くろぶちのメガネがかけられていた。


「まあ、それはいいや。ええと、マートン商会、マートン商会と……」

「わたしがめくりましょう」


 み込まれている気配がする紙面を素早すばやくめくり、フィルフィナはマートン商会が載っているページを開いた。


「ええと……株式会社マートン商会、会長の名前はパテシリア・マートン……カルレッツのおとうさんかな? 本拠地ほんきょちはこのゴッデムガルド、資本関係は――あれ?」


 ニコルは資本参加関係の欄を見て、思わず声を上げていた。


「なんだ、ゴーダム公爵領の流通を一手に引き受けているのに、マートン商会は子会社なんだ。株式の過半数を『エルカリナ中央流通機構株式会社』ににぎられている」

「確かにそうですね」

「――じゃあ、この『エルカリナ中央流通機構株式会社』は……」


 フィルフィナの手によってまた紙面がめくられ、『エルカリナ中央流通機構株式会社』が記載きさいされている頁で止まった。


「この会社、たくさんの子会社を持っているな……十五か二十社くらいある。どれも各地の商会ばかりだ。商会を統括とうかつする組織なのかな?」

「ニコル様、この会社の資本参加関係をご確認ください」

「えーと、どれどれ…………あ、あれれ?」


 目当ての項目こうもくを指差したニコルは、そこに馴染なじみの深い企業名を見つけていた。


「ここの株式の過半数を持つのは、フォーチュネット水産会社? ということは……」

「そういうことでございますよ」


 フィルフィナは微笑みながら言い、ニコルはその結論に大きな声を上げていた。


「――マートン商会は『エルカリナ中央流通機構株式会社』の子会社で、その『エルカリナ中央流通機構株式会社』は旦那様の会社の子会社……じゃあ、マートン商会はフォーチュネット水産会社の孫会社、つまりは旦那様の会社ってことになるんじゃないか!」

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