「配属される先」

 一夜明けて。

 午前九時にニコルはゴーダム公爵こうしゃくていされ、そこで騎士きし見習いとしての認証にんしょう式を受けた。


 式に列席している人数は少なかった。

 これが正式な騎士階級――準騎士以上の叙任じょにん式であればひとつの祝いの席でもあるからちがうのだろうが、騎士見習いは正式な騎士ではないということを物語っていた。


「ニコル・アーダディス」

「はい!」


 場所もゴーダム公爵の執務しつむ室であり、ひとつの事務手続きといった雰囲気ふんいきでしかない。

 それでも自分の入団がかなったことは事実であるニコルの心はっていた。

 自分は、そのためにこの地にたのだから――。


「お前にけんさずける」

「はっ! ありがとうございます!」


 副団長のオリヴィスがかたわらに立ち、少年に一りの剣がわたされる様を無言で見つめている。そのとなりに呼ばれてもいないエメス夫人とサフィーナが並んでいた。


「サフィーナ、お前は今朝けさ、九時から音楽の授業だったのでは?」

休憩きゅうけい時間です」

「授業は始まったばかりでしょう?」

「お母様かあさまとて九時から大事な会合だったはずではないのですか?」

「お茶の時間にしてあります」

「まったく、お前のこととなるとあの二人ふたりは目の色が変わるようだ」


 妻とむすめの姿に、もはや文句をつける気もせたゴーダムこうは、剣を左に差した制服姿のニコルをまぶしいものを見るように見つめた。

 確かに上背のない小柄こがらな体格だが、すっとびた背筋のまっすぐさがさわやかに見える。


「そして徽章きしょうだ。それを常にえりにつけているようにな」


 一歩歩み寄ったゴーダム公が、親指の先ほどの大きさをした金属片きんぞくへんを少年の襟につけた。五角形の台座の中で、左を向いた獅子しし――背中をつばさを負った一頭の獅子がすわっている様が浮き彫りレリーフとして刻まれている。


 色が金色でもなく銀色でもなく赤銅色しゃくどういろなのが、騎士見習いであるという身分を示していた。


「それでお前はどこでも、このゴーダム公爵騎士団の一員と認められる。――この言葉の裏の意味は、わかるな?」

「はい! どこにいても、騎士団の一員としてずかしい振るいをしないよう自分をりっしなければならない、そういうことだと思います!」

「そういうことだ」


 満足を得たゴーダム公が微笑ほほえみ、数歩を下がって執務机の椅子いすに納まる。代わりにオリヴィス正騎士が前に出た。


「ニコル。ゴーダム公爵騎士団について簡単に説明しておこう。今お前はゴーダム公爵騎士団の一員である騎士見習いになったわけだが、当然のことながら正式な騎士ではない。ゴーダム騎士団で騎士と認められるのはお前のひとつ上、準騎士からだ」

「はい、心得ています」

「ゴーダム騎士団はその準騎士、正騎士、上級騎士から構成される。まずは最上位の上級騎士、世襲せしゅう貴族の男爵だんしゃく相当の位からだ。が騎士団にはこの上級騎士が三十五名存在する」

「はい」

「その上級騎士はそれぞれ四人の正騎士を直接の部下としている。つまり正騎士は百四十名在籍ざいせきしている計算だ。そしてその正騎士自身も、一人ひとりにつき四人の準騎士を部下に持っている――準騎士は全部で五百六十人。さて、準騎士以上の騎士は総勢何人かな?」

「ええっと…………七百三十五人、でしょうか?」

「計算はまあまあ速いようだな」


 オリヴィスは歯を見せて笑った。


「それが実際の在籍する人数であるわけではない。が、だいたいそういう人数であると思ってくれてつかえはない。厳密な人数は常に変わるからな。そしてその上級騎士、正騎士、準騎士がひとりに付き四名の騎士見習いをかかえる。約三千七百人。これがゴーダム騎士団の戦闘せんとう員としての戦力だ。騎士見習いは戦場において騎士に従い、騎士を助けて行動する」

「は、はい――」


 戦場。

 物語や人の口に伝えられて聞く言葉だが、そんなものを自分の目で見たことはないニコルは緊張きんちょうを覚えてその背筋がさらに伸びた。


「そして騎士ひとりには従者が加わる。従者は日常において騎士の生活の世話をするが、戦場におもむく義務はない。騎士の生活の世話をするのは騎士見習いも同じだがな。平時においては騎士見習いは訓練にいそしみ、余った時間で自分たちの生活を成り立たさなくてはならない。ほかに食事を作ってくれる人員もいないのだ。それは騎士見習いの仕事である。まあ、だれがどの仕事をするのかは配属先によって変わるから今、ここで詳細しょうさいを述べることはできないがな。では、お前が使える正騎士を紹介しょうかいしよう――バイトン! 入れ!」

「はっ!」

「…………あ!」


 執務室のとびらが開き、一人の青年騎士が入ってきて――ニコルは思わず声を上げた。それは扉のノブをにぎったままはなせなくなった青年騎士も同じだった。


「君は――確か、昨日きのうの朝、会った」

「む? 二人は初対面ではないのか?」


 口にするオリヴィスも、椅子に座して様子をながめているゴーダム公も興味にひとみかがやかせて二人が言葉をわしているのに注目していた。


「はい。昨日の朝、このおやかたの近くでお会いいたしました。お名前は確か、バイトン・クラシェル様と名乗られたかと……」

記憶力きおくりょくもよいようだ。昨日のことを覚えられているというのは恥ずかしいが」


 生真面目きまじめという言葉が制服を着て歩いているような青年、バイトンはそれも毎朝りそろえているのではないかという整ったまゆ苦笑くしょうゆがめてみせた。


「そうか、君がわたし付きの騎士見習いとして付くのか。ニコル・アーダディス。昨日の入団試験の顛末てんまつは副団長から聞いている。あのレプラスィスを乗りこなしたそうだな」

「い、いいえ。レプラーが……レプラスィスがぼくに合わせてくれたのです。レプラスィスのおかげです」

「それがすごいというのだ。あのくせのある馬に気に入ってもらえる人間は、私は見たことがない。私の厩舎きゅうしゃにレプラスィスがつながれているのを見た時は何かの間違まちがいかと問い合わせてしまったが、そういう経緯いきさつがあったと聞いて二度おどろいた。期待している」


 バイトンが差し出した右手を、ニコルはあわてて握った。


「バイトン、あとは任せた。ニコルのことをよろしくたのむ」


 ゴーダム公は席から立ち上がり、オリヴィスを従えて部屋へやを出て行く。


「クラシェル殿どの、頼みましたよ。ニコルを、ニコルをどうかお守りくださいね」

「は、は、はい、奥様おくさま


 絨毯じゅうたんゆかにもかかわらず靴音くつおとを立てて歩み寄ってきたエメス夫人に力強くこぶしを握られ、熱に浮いたような表情で懇願こんがんされたバイトンはわずかに狼狽うろたえながらうなずいた。


「では早速さっそく、これからお前の生活の場となる場所を紹介しよう。ニコル、ついてこい」

「はい、クラシェル様」

「バイトンでいい」


 口元にわずかな微笑を見せてバイトンは言った。


「気楽に呼んでくれ。バイトンさん、くらいがちょうどいいかな」

「か、かしこまりました」

かたに力が入りすぎているな。少し気をかないとつぶれてしまうぞ。――では奥様、お嬢様じょうさま、失礼いたします」

「失礼いたします!」

「ニコル、なにか不便や不都合があったらいつでもうったえるのですよ!」

「またお会いしましょう、ニコル」


 二人に手を振られて見送られ、バイトンとニコルは執務室を退出した。


「あのお二人に大変気に入られているようだな」

「あ、ありがたいことです」


 足早といった歩調で廊下ろうかを歩くバイトンを追うニコルは、やはりそれが気になるのか、と赤面しかすかにこそばゆい気持ちで返事をした。


「私もこの騎士団に入ってはや十年以上だ。御家おいえの事情はそこそこわかっている。奥様のご気性きしょうならば、君のような少年をお気に入られるということも。――私としても、君のような真面目まじめな人間が部下になってくれるのは大変心強い。私につけられている騎士見習いは、癖の強い者ばかりなのでな……苦労させられている……君も覚悟かくごした方がいい」


 自分の背中について歩くニコルが怪訝けげんな顔をしたのが見えているかのように、バイトンは言葉をつなげた。


「昨日の朝、君と出会ったのは私だけではないだろう。私の前に君がからまれていた二人の男たち、覚えているか」

「…………覚えています」


 忘れられるわけがない、と言いそうになったのをニコルはつば一緒いっしょに飲み下した。


「私には騎士見習いが四人いた。本来ならそれで定員なのだが、君が私につけられたということは、どういうことかわかるな」

「一人が、欠員したというわけですか……」

めたのだ。あの二人の仕打ちにえきれなくてな。ダグローとカルレッツ。恥ずかしい限りだが、二人とも私付きの騎士見習いだ」

「あの二人が…………」


 どちらがダグローでカルレッツなのかはわからなかったが、二人そろって問題児であるのなら、どちらがどちらなのかには大した問題はなかった。


 早朝から通りすがった旅の少年に絡み、抜剣ばっけん寸前までやらかすしつけの至らなさだ。それがこの真面目そうな騎士の下についている騎士見習いだというのだから、相当の暴れ馬だということはニコルにも想像がつく――。


「この騎士団にも規律は存在する。確かな規律が。しかし例外は例外なく存在する。私はその苦い例外を背負わされているということだ。おかげで毎日胃をキリキリさせられる。こんなことを口にするのも泣きたくなるほどの情けない話だが、私ではかばいきれない局面も多々あると思う。今から覚悟してくれ」


 ニコルはその言葉を聞きながら、昨夜、コノメの母がぽつりとこぼした言葉の意味をいくらか理解できた気がした。


 目の前のバイトンが頼りない騎士であるという印象は受けない。となれば、そのバイトンの胃を痛めている人間があまりに規格外ということか――。


「あの二人も近々、公が処分におよぶと聞いている。ただ、今は騎士団が未曾有みぞうといってもいい厳しい局面にあるので先送りになっているのだ。少しの間、我慢がまんしてくれ。きっといいようになるからな」

「はい、わかりました」


 ここまでくぎされるということにニコルは文字通りの覚悟を覚えながら、しずみがちになるあごを上げた。自分はげ出すわけにはいかないのだ。



   ◇   ◇   ◇



「よう」


 バイトンのひかしつの扉を開けた時、覚悟はしていたがニコルは、見覚えがある二人の青年の顔を見、その横柄おうへいそのものの態度に思わず顔を歪めてしまった。


 騎士見習いの身分であるにも関わらず、二階級上のバイトンの来訪にも地べたからこしを上げようとしない。


 挨拶あいさつの第一声をなんとかければいいのか迷い、ニコルはその場にいる全員の視線を受けて数秒、意識も硬直こうちょくさせてしまった。

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