「第05話 ひとりぼっちのリルル」

「会いたかったわ、わたしのリルル」

 ――何分、何十分、何時間、リルルはそのバルコニーの真ん中でうずくまっていただろうか。

 国王は、倒した。それがリルルがここに来た最大の目的だったはずだ。

 ヴィザードはもう二度とこの世界に干渉かんしょうできない。干渉しようという意志も失わせた。


 リルルは、勝ったのだ。

 なのに。


「…………私は…………」


 勝利がもたらす喜びも、高揚感こうようかんも、安堵あんど欠片かけらすらなく、この世界でたったひとりのリルルは打ちのめされていた。


 ちっぽけな人の身では深さを測ることのできない暗闇の宇宙を背にして、リルルはうずくまり続ける。太陽や月や星々がただ角度を変えるだけのこの空間では、時刻も日付の変化も、その区切りの指標しひょうが見えない。


 ただ、長い時間を消費して、リルルはふらと立ち上がった。

 バルコニーの手すりをつかみ、え切った体にムチを打つようにして体を起こした。

 エルカリナ城の最上層のバルコニー。城をいただいているおかを合わせれば、ほぼ平面な市街から百五十メルトの高さがある。


 その高所からは、宇宙に浮かぶ王都のが見え、そして端の向こうも見えた。


「ああ…………」


 真っ赤に溶けた地上が、星の丸みに沿って宇宙を流れる孤島ことうと化した王都のはるか下に広がっていた。高熱を発して対流する溶鉄ようてつの色、ただ一色になった地上が燃え、け、流れていた。


 海も陸もない。世界は燃える巨大な球となって、その発せられる熱でこの王都を支えるようにけていた。


「もう、人ひとりも……魚一匹も、虫の一匹も、細菌だって生き残れない……炎の星だわ……」


 バルコニーの手すりをつかんだまま、リルルは静かに涙した。あの灼熱しゃくねつの中に消えて行った命を想い、両の目からあふれる涙と共に、永遠とも思える黙祷もくとうをした。


 浮かぶ王都は、炎が炎を呼んで燃え続ける星に沿い、ゆっくりと流れ続ける。いつまでも、いつまでも離れはしないというように。


『――リルル』


 閉じたまぶたから涙を流し続けていたリルルの目が、開いた。


『――リルル、おいで……』

「これ……は……」


 下――足元から心に響いて来た『声』にリルルは涙をぬぐった。知らない声――耳をかいさない、言葉が直接意識に投げかけられたような呼びかけだった。


 もう、この王都に生きている者は、リルルひとり。

 そんなリルルに呼びかける者がいるとしたら、ひとりしか思いつかなかった。


「……わかったわ。今、行きます」


 しがみつくように強く握っていた手すりから、リルルは手を離した。もう自分にするべきことはそう、残っていない。ニコルとフィルフィナの亡骸なきがらほうむり、いてか、えてか、やまいかで死ぬことしか残っていないのだ。


 だから、やるべきことが増えるのは嬉しかった。やるべきことがないと、人生はつまらない。



   ◇   ◇   ◇



 一階に下りたリルルは、目的地に向かうより優先するべきことを優先した。そのため、いったん城を出た。


「――フィル……」


 丘にきずかれた二百段の長く続く階段、その脇に寝かせていたフィルフィナの亡骸の元にリルルはおもむき、抱き上げた。

 もう、流すべき血を全て流し切ったフィルフィナの体は、こわくなるほどに軽かった。

 それでも、フィルフィナの死に顔は微笑ほほえんでいた。やるべきことをやりきった者の顔だった。


 リルルはそのフィルを抱いたまま階段を上がって城に戻り、大ホールのなかばまで進む。

 豪華ごうかな作りの長椅子ベンチの一脚に、マントを胸元までかけられたニコルが眠っていた。


「ニコル…………」


 隣り合わせで二脚並んでいる長椅子のひとつに、フィルフィナの体を横たえる。メイド服も白いエプロンも血で汚したフィルフィナの格好をどうにかしてあげたかったが、リルルには手段がなかった。その両手をお腹の上で組ませてあげ、リルルは側で両ひざを着いた。


「ふたりとも、ありがとう。あなたたちのおかげで、私は無事だった。あなたたちがまもってくれたから、無事だった。……本当なら、ここにサフィーナも、ロシュちゃんも寝かせてあげたかったけれど、無理なのね……」


 亡骸にすがりつくことすらできないふたりの家族を想って、またもリルルの目から涙がこぼれた。


「……ここで少し、待っていて。用事を済ませたら、戻ってくるわ。そうしたら、屋敷に戻りましょう。三人で暮らした、フォーチュネットの屋敷に……。あの屋敷があるだけ、戻れるところがあるだけ、私たちは幸せなのかもね……」


 物言わぬ白い顔の、もう白くなっているふたりのくちびるに小さくキスをして、リルルは立った。


「行ってきます。――女神エルカリナに、会ってくるわ」



   ◇   ◇   ◇



 リルルは迷わなかった。バルコニーで聞いた呼びかけが、全ての進路を教えてくれていた。

 エルカリナ城の深い地下につながる螺旋らせん階段を、リルルは下る。階段の入り口にはとびら厳重げんじゅう封印ふういんがあったが、リルルは腕力だけでこじ開けていた。

 一度だけこの階段は下ったことがある――去年の春に起こった『竜の事件』、あの時以来の来訪らいほうだ。


 完全武装の兵士が十人は横に並べるほどに広い階段を、ぐるぐる、ぐるぐると下りていく。蛍光石けいこうせきかべめ込まれた階段はほのかな輝きを放つだけで薄暗く、前方の気配が見通せない。以前に下りたときの感覚などは忘れていた。忘れてしまうほどに色々なことがあった。


 自分が何段、何十段、何百段を下りたのか、感覚がなくなり始めてきたころに、終わりが来た。


「ここか……」


 祭壇さいだんのような空間がそこにあった。

 四方は百メルト、高さは優に十メルトほどはある空間だ。無味乾燥むみかんそうとした白い天井、かべ、床があるだけで一切の装飾そうしょくはない。が、その徹底てっていした単純シンプルさが逆に、神聖なものを想わせた。


 空間の最奥部さいおうぶの壁には、幅二十メルト、高さ八メルトほどの巨大な合わせ扉がもうけられていて、開けられたままになっている。その周りには巨大な瓦礫がれきの山が半分片付かたづけられ、なんとか扉までの通路を確保していた。


なつかしいわね……。コナス様とフィルと一緒に、この扉をくぐったのは……まだ、一年もっていないというの……?」


 感慨かんがいを抱きながら、リルルは空間の中心にを進めた。そして、足をめた。


「――――」


 リルルの足元、爪先つまさきが触れそうな床に、四本の光の線がそれぞれに走った。それが縦横じゅうおう一メルトの正方形をえがいた瞬間、地面から高さ二メルトの直方体となって勢いよくり出した。

 光が上から下に走り直方体をたてに割って、そこが合わせ目であるかのように扉が開く。


 光る直方体の光る内部――光る昇降機エレベータが、その光でリルルをまねいていた。


「……これは、以前はなかったわね」


 ふふ、とひとつ笑ってリルルは、足をみ入れた。顔も知らない友達、その友達が住む家を初めて訪問するかのような気持ちになる。楽しみまで覚えながら、リルルはその中で扉に向き直った。


 扉が閉じ、リルルを光の中に閉じ込める。

 そして、降下が――長い降下が、始まった。



   ◇   ◇   ◇



 高速であるはずだが数分にもおよぶ降下を経て、光の昇降機は停止した。さすがに息が詰まる感覚を覚え出して来たころに、永遠に続くかと思えた下る感じが消える。


 停止から一拍いっぱく置いて扉が開き、昇降機の内部の明るさにれていたはずのリルルは、外界から飛び込んできたさらに強い輝きの奔流ほんりゅうに一瞬、目がつぶれる思いがした。


「うわあっ……!」


 リルルは腕をかざして光を防いだ。反射的にそうしてしまうほどの、目に刺さるような色取り取りの輝きだった。


 ルビー、サファイヤ、トパーズ、ガーネット、エメラルド、ペリドット、タンザナイト、ラピスラズリ、アクアマリン、アパタイト、ターコイズ、アメジスト、パール、オニキス、黒真珠。


 それ以外にもあったかも知れぬ、それだけの膨大ぼうだいな種類の、膨大な輝きがリルルの目をいた。


「宝石の……お花畑…………!?」


 目が落ち着くまで数分をようした。輝きの波動に圧迫あっぱくされたようにリルルは昇降機から踏み出すことができず、この目映まばゆさしかない空間を前に、完全に圧倒されていた。

 地上に存在した宝石の全部の量をき集めても、ここにある宝石の一割にも遠く及びはしないだろう。


 やみしかない、限界が全く見通せない、星のない宇宙のような空間。そんな空間の暗さを吹き飛ばすほどに、地に広がる広大な花畑――葉も、くきも、花の全てが宝石でつくられた花畑はきらびやかな光を自ら放ち、輝いていた。


 こんなすさまじい光量でも目が慣れるのか、それともそういう性質の光なのか、リルルにはわからなかったが、勇気を振り絞って一歩を踏み出した。地の全てが輝かしい鉱物こうぶつで光り、輝き、きらめく世界の中、細い道が一本だけ、まっすぐにびている。


「これは……すごいわ……」


 視界の全てから押し寄せるすさまじい光景に、そんな陳腐ちんぷな感想しからせないリルルが、ふらふらと道を行く。まるで道に運ばれるかのようにリルルは歩いた。


 自分が進んでいるのかどうかうたがわしくなる、変わりえのない景色の中――数分を歩いてリルルは、強い光にかくされるように見えなかった前方に、宝石以外のものを見つけていた。真っ赤なガーネットの花弁かべんをつけた、つたの形をした珊瑚さんごかこわれた小さな薔薇ばら園が現れる。


「あ…………」


 全部が白銀で作られた天蓋てんがい付きの寝台ベッドが、その中心にあった。

 宝石の糸でられたレースのカーテンは開いていて、小さな人影が寝台の上に座っていた。脚をぱたぱたさせていた。


「あ、来た来た」


 心を空白にされ、吸い寄せられるように近づくリルル、その気配に気づいた人影が、顔を上げた。


「――待ってた。やっと来てくれたの」


 白銀の寝台を目の前にして、リルルは歩みを止めた。

 愛らしいお人形に命を吹き込んだかのような、可愛らしい――本当に可愛らしい小さな少女が、可憐かれん微笑ほほえみを浮かべてそこにいた。


「初めまして。わたしは、エルカリナ。会いたかったわ、わたしのリルル」


 少女は純金のひとみを輝かせ、大きな目を閉じてわずかに首をかかげ、それ以上はないというほどの満面の笑みを浮かべた。

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