「開幕」
王立エルカリナ大劇場を市民に開放する、というお達しはあったが、厳密にはその全てを開放しているわけではなかった。
客席の上部、一般席とは
もっとも、今現在、当の貴族階級は焼かれた領地から領民を保護しながらこの王都に移動させる仕事で、多忙の
有名な歌劇団による
だから、正装したリルルとその
「――もし」
「貴賓室をご利用の方でございますか?」
「ええ、そうです」
微笑を浮かべ続けるリルルの代わりに、メイド服姿のフィルフィナが応える。その姿に警備員たちは少し首を傾げた。この場にお付きの者が来るとしても、こんなあからさまなメイド服は着てこないものだ。が、
「失礼ですが、身分証を」
「どうぞ」
フィルフィナは無言でリルルから手渡された身分証を、警備員たちに手渡した。写真入りのそれに書かれた文面に警備員たちは目を通す。
「リルル・ヴィン・フォーチュネット……伯爵令嬢……でいらっしゃいますか……」
フィルフィナに身分証を返し――返してから、二人の警備員たちはハッとした。
両手に隠れるくらいの白く小さな鞄を抱くようにしている、目の前のドレスの少女に視線が行く。
純粋の絹で織り上げられた真珠色の
「――あなたは、お城から連れさらわれた、リルル嬢……!」
閃いた時には、遅かった。
「さすがにそう結びつけられるだけの知識は受けていたようですね」
大声を上げようと口を開いた警備員の顔に、フィルフィナの
受け身もなしに警備員は
「フィル、そんな仕草はこの高貴な場には相応しくないわ。もっと上品にできないの?」
「すみません。今度から気をつけます」
「じゃあ、貴賓室に行きましょうか。適当に空いているところは……と」
「お嬢様、正面の部屋に人気がありません。位置的にもちょうどいいかと」
「そこにしましょうか」
リルルは地面に転がった警備員にわずかに一礼をして、
◇ ◇ ◇
劇場内は
が、時計が開演を示す正午ちょうどに近づくと、緊張感が勝って自然と
今は下りて舞台の全てを隠している厚い
ジリリリリリリリリリリ……!!
空気を激しく震わせるベルが鳴る。小さな風に吹かれた麦の穂の海のように、市民たちの総勢が微かに揺らいだ。機械音が重々しく響いて緞帳がゆっくりと上がり、幅五十メルト、高さ十五メルトという小さな屋敷が一軒はまるまると収まる広大な舞台が姿を現す。
その舞台上に
それは、巨大な
書き割りに描かれた背景は、そこが寒々しい流刑地であることを示す冬の光景を表していた。
冷たい色の石の壁、冷たい色の石の柱、冷たい色の石の天井――そして触ってしまえばその冷たさに凍え凍り付きそうな黒い鉄格子が
それ以上に市民たちを驚かせたのは、灰色の世界の中で唯一、鮮やかな色をまとうことを許されている中央の一人の囚人だ。
「快傑令嬢、サフィネル……!」
快傑令嬢サフィネルが囚われたという話を信じていない者はいなかったが、この数ヶ月の王都に出没していた彼女が実際に束縛されている姿を見せられるのは、ひとつ違った段階の驚きをもたらした。
そして、いつもの快傑令嬢サフィネルと決定的に違うことが、ひとつあった。
「待て……顔がわかるぞ」
「顔がわかる? 魔法のメガネをしているのに?」
「メガネはしている。でも、顔はわかる!」
気を失って体の全部を前に傾け、体重の全てを鎖に預けるままにしているサフィネルの顔には、確かに
「あの顔、どこかで見たことがある……」
「なにいってるんだ、サフィーナ様だよ、ゴーダムの家のサフィーナ様! よく孤児院の
「なんだって!?」
劇場内を埋め尽くしている一万人の市民に、薄紙に赤い
「あの公爵令嬢サフィーナが、快傑令嬢サフィネルだって!?」
「そんな……いや、でもそういわれれば、納得してしまうものも……」
地鳴りのように起こる声が、大劇場の優秀な反響設備によって空気の全てを響かせる。ひとつの巨大な洗脳装置そのものにそれは機能して、全ての市民たちが一致する認識を得るという効果があった。
「――正午になった! 約束の時間が来た! 聞いているか、快傑令嬢リロットよ!」
どこからその声が発せられているのか。
「姿を現すがいい、リロット! そなたが相棒を見捨てられぬ者であることはわかっている! この場のどこかに潜伏していることも! もしも怖じ気づいて姿を見せられぬというのなら、そなたの罪までこの相棒が背負うことになる! 大人しく言葉に従えば罪を
「――ご配慮の数々、
涼しい春先の風のような少女の声が、この閉鎖された空間に吹き込んだ。
誰もが知った。その声を知らない者も知った。
それが快傑令嬢リロット、その人の声であることを確信した。
「このような素晴らしい舞台を用意していただき、厚く
客席を大きく二つにわける、劇場の中央を縦に貫く幅広の通路。そのど真ん中に天井から
風が吹く。目に見えて吹く。若草の香りを乗せて、
その少女を見上げることのできる位置に座っていた市民たちは、心の底から驚いた。
真珠色の
「お初にお目にかからせていただきます!
我が名はリルル・ヴィン・フォーチュネット! フォーチュネット伯ログトの一人娘!
そしてまたの名を――快傑令嬢リロット!
さあ、ご期待にお応えいたしまして、ここから一世一代の大舞台を演じさせていただきます!
どうか、最後までお楽しみくださいませ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます