「変身」

 大劇場いっぱいにリルルの清冽せいれつな声が響き渡り、客席を二つに分けて本舞台に架けられる『橋』の中央に照明が当てられた時、リルル捕獲作戦の総責任者であるコルネリアは身をひるがえすようにし、ほとんど駆け足で裏方に向かっていた。


 照明を当てるなどという演出が行われているということは、舞台の照明や緞帳どんちょうなどを操作する操作室が占拠されているということだ――リルル以外の、協力者によって!


 部下に声をかけるいとまもなく急行したコルネリアが扉が開け放たれて中が丸見えになっている操作室で目にしたのは、中で倒れている二人の部下たちだった。


「やはり……!」


 取り敢えず全ての照明を点灯させ、劇場内を明るくしなければ――その焦りがコルネリアを迂闊うかつに室内に踏み込ませ、踏み込んだ途端に死角からの強烈な蹴りを横腹に食らわされた。


「うぐっ!」


 細くそれほどには長くない、少女のものかという脚による蹴りだったが、コルネリアの体を壁に叩きつけるには十分過ぎる威力があった。頭と肩が壁に激突する音、同時に扉が閉められて錠が下りる音を耳が聞き分けている。


「待っていた甲斐がありました。大物がかかりましたね――コルネリアさん、ですか」


 やはり少女の声がそれに重なった。頭を打ち付けた痛みに耐え、コルネリアは声の主に正対する。


「初めまして。あなたについてはお嬢様から色々と聞いております。ずいぶんリルルお嬢様とフォーチュネットの家がお世話になったようですね」

「お前は……!」

「どうも、快傑令嬢リロットの名前を知られていない参謀です。多分あなたも読まれていますかね、『快傑令嬢記録・第一弾』にもわたしのことは一行も載っていないんですよね。今度『完全版』を発行してもらうことにしましょうか。やはりわたしにもちょっと悔しいかなという感情はあるのですよ」


 自分より頭ひとつは確実に小柄な、メイド服姿の少女が不敵に笑っていた。


「自己紹介させていただきましょう。わたくし、リルルお嬢様の専属メイド、フィルフィナと申す者です」

「……! 西の森の森妖精エルフの第一王女……!!」

「やはり、ずいぶん事情にはお詳しいようですね」


 色々なものを察した顔になったフィルフィナを前にして、コルネリアは歯噛はがみした。


「ということは、東の森の里の襲撃にも色々と関与しているということですか。あなた、国王の懐刀ふところがたな的な存在かなにかですか……んん?」


 不審げな顔になったフィルフィナを前にして、コルネリアは身をよじるように下がろうとするが、背後には壁しかなかった。部屋から脱出しようにも、出入口はフィルフィナの背後にある。

 舞台装置を操作する操作盤は横手にあり、舞台全体を俯瞰ふかんできる窓もそこにあった。


 客席を分けて舞台に架けられた橋には、真珠色のドレスをまとったリルルが降り立ち、目映まばゆい照明を全身に受けてその全身をきらきらと輝かせている。その対処もしないといけないというのに、自分はこんな所に追い詰められて――。


「あなた、普通の人間ではありませんね」

「何故わかる!!」


 コルネリアは泣き出したい気分に襲われた。こうして向かい合っているだけで、自分を覆っているものがボロボロと崩れ落ちていく恐怖しかなかった。


「ハイ・エルフの嗅覚と直感を甘く見るものではないですよ。魔族……いいえ、違いますね。この生命の波動は……魔人のものですか」

「くぅっ――――!!」


 コルネリアが腰から短剣を抜く。腰だめに構えたそれで一気に接近し、体重を乗せてこの小柄なエルフの腹をえぐってやろうと姿勢を低くしたが、得物も持たない手を下ろして構えも見せていないはずのフィルフィナに、全くすきがうかがえなかった。


「以前、一体だけですが魔人と戦ったことがありましてね。その時はとても苦労させてもらいました。……あなた、とても国王に強い忠誠を捧げていると聞きましたが、何故魔人が人間に対してそこまで低くなれるのです? 魔人といえば、神を除けば最上位の権威を持つ存在でしょう」

「うるさい! 陛下に敬称をつけないなど、私が許さない!」


 激しい苛立ちの気配が密室の中で嵐を渦巻かせる勢いだった。


「陛下は私の恩人だ! その神のオモチャにされていた私を救ってくれた! 死なない体に苦痛を与え続けさせられるということがどういうことか、貴様にはわかるまい!」

「わかりたくもないですがね。そうですか……変身・・されると非常に厄介やっかいですが、この場ではそんな無茶もできないでしょう。魔界と敵対している国王の側に、魔族と見られても仕方がない者が秘書としてついているということを知られるだけでも、かなり体裁が悪いことでしょう?」

「くぅ……!!」

「大勢の市民を集めてわたしたちの行動を制限しようとしたんでしょうが、手足を縛られたのは自分たちのようですね」

「黙れ! 人質を取られてなにもできない立場のくせに! こちらには二人も人質がいる! どうやってこの場を切り抜ける! 事前にこの場に細工もできなかっただろう! そのために場所の指定を早朝にしたのだ!」

「ええ、それについてはとても困りました。わたし、なにをするにも事前のはかりごとおこたらないたちですので。――ですから細工は、場所には・・・・しませんでしたよ」

「なに……!?」

「わたしがこんな余裕顔を見せている、そのわけはいわずとも知れますよ――もう十分とかからぬうちに、ね」


 フィルフィナは、コルネリアが心底呪いたくなるほどの穏やかな笑みでそういった。いつの間にかその手には一丁の拳銃が握られていて、コルネリアの眉間を正確無比に照準をつけていた。



   ◇   ◇   ◇



 天井から床まで、普通の建物の軽く五階分の高さ。それを軽やかに舞い降りてきた少女の姿、そして主演女優ここにありと宣言するように響き渡ったその鮮やかな口上に、劇場に詰めかけていた全ての市民が驚愕きょうがくしていた。


「……快傑令嬢、リロットの正体だって……?」

「この普通の女の子が?」

「あれ! おさかな令嬢のリルルよ!」


 貴賓席きひんせきに座っていた貴族の少女が立ち上がって唾を飛ばすように叫ぶ。


「私、学校の教室で近くの席だった! あんな地味な子が、リロットですって!? 嘘でしょ!?」


 慈善じぜん活動などの慰問いもんで街に顔を出すリルルの顔を知っている者は、多いとはいえないが皆無かいむでもなかった。頭上からのまるい光の中、背を伸ばしすかっくと立つその涼やかな立ち姿に見覚えがあるものも、この一万人の中に百人単位でいることはいた。


 その誰もが、伯爵令嬢リルルと快傑令嬢リロットの印象を重ね合わせることができず、困惑の想いを脳裏に張り付けていた。まさか、いやそんな、あり得ない――美しいドレスで正装をしているとしても、少しいい家のお嬢様にしか見えない少女の印象からにはそうとしか思えないだろう。


 観客席から地鳴りのように湧き上がるざわめきを耳にしながら、リルルは微笑んでいた。

 そんな反応が大半であろうことは最初からわかっている。街角で『私は快傑令嬢リロットなのです』と訴えたところで誰もが鼻で笑うだけだろう。

 だから。


「どうやら皆様みなさま、お疑いのご様子! こんな小娘が、夜な夜な王都の空を騒がせていた快傑令嬢の正体であるとは信じられない! それは無理もないこと! ですから、私は示させていただきます! なにごともこう申します――『百聞ひゃくぶん一見いっけんにしかず、と!』


 そんな空気を一手で吹き払うのには、ただひとつの手段しかなかった。


「――それでは皆々様みなみなさま、ご覧ください! 本邦初公開! かぶり付きで観られる方はまことにご幸運!

 快傑令嬢リロットの――『変身・・』でございます!」


 高々と掲げたリルルの手に、魔法か手品のように、赤いフレームのメガネが出現していた。

 光を浴びて艶やかな色に輝くそのメガネに、人々の喉から感嘆のうなりが漏れる。それは誰もが本や絵で見たことがある、快傑令嬢リロットを示す象徴シンボルである赤いメガネ!


 誰もがその表情を見れば一生脳裏に刻み込むような愛らしい笑顔を見せて、リルルは、そのメガネを一分のブレも狂いも無く、一挙動で自分の目にめ込んでいた。


 少女の目にメガネが収まった瞬間、少女の体内から膨れ上がり、爆発するように拡がる白い光が劇場内の闇を全て吹き飛ばす。

 誰もが視界を真っ白に染め上げられ、数秒後に目の機能を取り戻した時、全員が観ていた。


『橋』の真ん中に立つ、薄桃色のドレスの少女を。

 真紅の薔薇バラ一輪を象ったつばの広い帽子を被り、広いスカートのすそを優雅に広げ。

 片足を引き、わずかに腰を落とし、華麗で鮮やかなカーテシーを披露した少女がそこにいた。


 挑戦的に微笑んだ少女がメガネを外す。

 今までそこにいた真珠色のドレスの少女と少しも変わることのない、全く同じ顔が笑っている。

 その少女の姿を見て、誰も彼女を「伯爵令嬢リルル」とは呼ばない。


 誰もが心の中でこう呼んだ。

 ――快傑令嬢リロットと!

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