「変身」
大劇場いっぱいにリルルの
照明を当てるなどという演出が行われているということは、舞台の照明や
部下に声をかける
「やはり……!」
取り敢えず全ての照明を点灯させ、劇場内を明るくしなければ――その焦りがコルネリアを
「うぐっ!」
細くそれほどには長くない、少女のものかという脚による蹴りだったが、コルネリアの体を壁に叩きつけるには十分過ぎる威力があった。頭と肩が壁に激突する音、同時に扉が閉められて錠が下りる音を耳が聞き分けている。
「待っていた甲斐がありました。大物がかかりましたね――コルネリアさん、ですか」
やはり少女の声がそれに重なった。頭を打ち付けた痛みに耐え、コルネリアは声の主に正対する。
「初めまして。あなたについてはお嬢様から色々と聞いております。ずいぶんリルルお嬢様とフォーチュネットの家がお世話になったようですね」
「お前は……!」
「どうも、快傑令嬢リロットの名前を知られていない参謀です。多分あなたも読まれていますかね、『快傑令嬢記録・第一弾』にもわたしのことは一行も載っていないんですよね。今度『完全版』を発行してもらうことにしましょうか。やはりわたしにもちょっと悔しいかなという感情はあるのですよ」
自分より頭ひとつは確実に小柄な、メイド服姿の少女が不敵に笑っていた。
「自己紹介させていただきましょう。わたくし、リルルお嬢様の専属メイド、フィルフィナと申す者です」
「……! 西の森の
「やはり、ずいぶん事情にはお詳しいようですね」
色々なものを察した顔になったフィルフィナを前にして、コルネリアは
「ということは、東の森の里の襲撃にも色々と関与しているということですか。あなた、国王の
不審げな顔になったフィルフィナを前にして、コルネリアは身をよじるように下がろうとするが、背後には壁しかなかった。部屋から脱出しようにも、出入口はフィルフィナの背後にある。
舞台装置を操作する操作盤は横手にあり、舞台全体を
客席を分けて舞台に架けられた橋には、真珠色のドレスをまとったリルルが降り立ち、
「あなた、普通の人間ではありませんね」
「何故わかる!!」
コルネリアは泣き出したい気分に襲われた。こうして向かい合っているだけで、自分を覆っているものがボロボロと崩れ落ちていく恐怖しかなかった。
「ハイ・エルフの嗅覚と直感を甘く見るものではないですよ。魔族……いいえ、違いますね。この生命の波動は……魔人のものですか」
「くぅっ――――!!」
コルネリアが腰から短剣を抜く。腰だめに構えたそれで一気に接近し、体重を乗せてこの小柄なエルフの腹をえぐってやろうと姿勢を低くしたが、得物も持たない手を下ろして構えも見せていないはずのフィルフィナに、全く
「以前、一体だけですが魔人と戦ったことがありましてね。その時はとても苦労させてもらいました。……あなた、とても国王に強い忠誠を捧げていると聞きましたが、何故魔人が人間に対してそこまで低くなれるのです? 魔人といえば、神を除けば最上位の権威を持つ存在でしょう」
「うるさい! 陛下に敬称をつけないなど、私が許さない!」
激しい苛立ちの気配が密室の中で嵐を渦巻かせる勢いだった。
「陛下は私の恩人だ! その神のオモチャにされていた私を救ってくれた! 死なない体に苦痛を与え続けさせられるということがどういうことか、貴様にはわかるまい!」
「わかりたくもないですがね。そうですか……
「くぅ……!!」
「大勢の市民を集めてわたしたちの行動を制限しようとしたんでしょうが、手足を縛られたのは自分たちのようですね」
「黙れ! 人質を取られてなにもできない立場のくせに! こちらには二人も人質がいる! どうやってこの場を切り抜ける! 事前にこの場に細工もできなかっただろう! そのために場所の指定を早朝にしたのだ!」
「ええ、それについてはとても困りました。わたし、なにをするにも事前の
「なに……!?」
「わたしがこんな余裕顔を見せている、そのわけはいわずとも知れますよ――もう十分とかからぬうちに、ね」
フィルフィナは、コルネリアが心底呪いたくなるほどの穏やかな笑みでそういった。いつの間にかその手には一丁の拳銃が握られていて、コルネリアの眉間を正確無比に照準をつけていた。
◇ ◇ ◇
天井から床まで、普通の建物の軽く五階分の高さ。それを軽やかに舞い降りてきた少女の姿、そして主演女優ここにありと宣言するように響き渡ったその鮮やかな口上に、劇場に詰めかけていた全ての市民が
「……快傑令嬢、リロットの正体だって……?」
「この普通の女の子が?」
「あれ! おさかな令嬢のリルルよ!」
「私、学校の教室で近くの席だった! あんな地味な子が、リロットですって!? 嘘でしょ!?」
その誰もが、伯爵令嬢リルルと快傑令嬢リロットの印象を重ね合わせることができず、困惑の想いを脳裏に張り付けていた。まさか、いやそんな、あり得ない――美しいドレスで正装をしているとしても、少しいい家のお嬢様にしか見えない少女の印象からにはそうとしか思えないだろう。
観客席から地鳴りのように湧き上がるざわめきを耳にしながら、リルルは微笑んでいた。
そんな反応が大半であろうことは最初からわかっている。街角で『私は快傑令嬢リロットなのです』と訴えたところで誰もが鼻で笑うだけだろう。
だから。
「どうやら
そんな空気を一手で吹き払うのには、ただひとつの手段しかなかった。
「――それでは
快傑令嬢リロットの――『
高々と掲げたリルルの手に、魔法か手品のように、赤いフレームのメガネが出現していた。
光を浴びて艶やかな色に輝くそのメガネに、人々の喉から感嘆のうなりが漏れる。それは誰もが本や絵で見たことがある、快傑令嬢リロットを示す
誰もがその表情を見れば一生脳裏に刻み込むような愛らしい笑顔を見せて、リルルは、そのメガネを一分のブレも狂いも無く、一挙動で自分の目に
少女の目にメガネが収まった瞬間、少女の体内から膨れ上がり、爆発するように拡がる白い光が劇場内の闇を全て吹き飛ばす。
誰もが視界を真っ白に染め上げられ、数秒後に目の機能を取り戻した時、全員が観ていた。
『橋』の真ん中に立つ、薄桃色のドレスの少女を。
真紅の
片足を引き、わずかに腰を落とし、華麗で鮮やかなカーテシーを披露した少女がそこにいた。
挑戦的に微笑んだ少女がメガネを外す。
今までそこにいた真珠色のドレスの少女と少しも変わることのない、全く同じ顔が笑っている。
その少女の姿を見て、誰も彼女を「伯爵令嬢リルル」とは呼ばない。
誰もが心の中でこう呼んだ。
――快傑令嬢リロットと!
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